第145話閑話 捕まえた数だけ
☆ スターライトロード視点 ☆
昼の鐘が鳴る前に、俺はもう決めていた。今日は、ささない。
昨日、俺は空の五隻をさした。見分けたうえで、桟橋の人を巻き込まないように、空の艇だけをさした。瑠璃華は、俺がさすのを待って、撃った。
吹き飛んだ連中が今日の昼に戻ってくることは、知ってる。下町で暮らしてりゃ、誰だって知ってる。プレイヤーが壊したものは、翌日には元に戻る。
ただ、戻ってくる場所には、金ピカが待ってる。
前に、夜の屋根の上で、本人から聞いた。自分が壊したものは戻らない、と。あいつがNPCの悪党を倒せば、その悪党は二度と戻ってこない。だから金ピカは、悪党が戻ってくるのを待って、自分の手で片をつける。宿敵の科学者のときも、そうしていた。
今日、瑠璃華がもう一度撃てば、連中はまた吹き飛んで、明日またここに戻ってくる。金ピカは、明日もここで待つ。それじゃ、きりがない。
連中があの拳から逃れる道は、一つしかない。生きたまま捕まえて、衛兵に渡して、牢に入れることだ。牢の中にまで殴り込みに来るほど、あの男だって無茶じゃない。……そう、信じたかった。
縄の前に、女の人が立っていた。灰色の上着で、布の包みを抱えていた。
衛兵とのやりとりが、木箱の上まで聞こえた。折り目のついたままの袖、と言っていた。
昨日、俺の問いに首を振った、あの若いやつだ。
俺は、木箱から腰を上げなかった。立てば、何か言ってしまいそうだった。言えることは、何もなかった。夜通し、市場の島で瓦礫を退けていた腕が、まだ重かった。
*
鐘が鳴って、空が歪んだ。
欠けていた桟橋の先がつながって、その先端に連絡艇が戻った。すぐ上の低い空には、五隻の艇が、昨日昇っていく途中の傾いた姿勢のまま浮いていた。
甲板で身を起こした連中が、桟橋の上の金ピカを見つけて、顔色を変えた。何が待っているか、分かっている顔だった。
五隻が、いっせいに舵を切った。近すぎた。艇と艇が宙で腹をぶつけ合って、箱がいくつか桟橋の先に落ちた。どの艇も、隣に押さえ込まれて、桟橋の上から動けなくなった。
金ピカが跳んだ。同時に、俺も跳んだ。
光の足場を三つ蹴って、いちばん手前の艇の甲板に飛び込む。肩に白い布を巻いた男の襟首を掴んで、引きずり出した。
背中で、瑠璃華が日傘を傾ける気配がした。
「ささない!」
男の腕をねじり上げながら、振り向かずに怒鳴った。
「今日は、ささない! 一人も、ささない! ……だから、撃たないでくれ! 頼む! 俺が全部、捕まえる!」
頼んだところで、あいつは撃つ。俺が「ささない」と言ったら、待たない。そういう約束だ。そうなるのは、分かっていた。
だから、撃たれるより早く。一人でも多く、縄の側へ。
返ってきたのは、のんびりした声だった。
――こちらの方々は、昨日お叱りしましたので、今日はもうお叱りいたしませんわ。
背中が、止まった。
瑠璃華は続けて、尊敬するお方の教えだとか、ひとつの過ちに二度のお叱りがどうとか、何か言っていた。半分も分からなかった。
分かったのは、撃たない、ということだけだった。
礼を言いかけた。
けれど、昨日あいつに撃たせたのも、俺だった。礼を言える筋合いが、どこにもなかった。
言わずに、男を抱えて、桟橋へ降りた。
*
男を桟橋に転がして、縄を巻いて、振り返った。
五隻の艇の上で、連射銃が鳴っていた。
組の連中が撃ち合っているのは、隣の艇だ。俺じゃない。けれど、艇と艇のあいだを跳べば、そこは撃ち合いの真ん中になる。弾は見えない。見えるのは、甲板のあちこちで揺れる、何十という銃口だけだ。
全部は読めない。だから、こちらを向いていない銃口の、すき間を跳ぶ。
足場を蹴る。白い布の艇と青い布の艇の、腹と腹のあいだへ。両側から鳴る連射の真ん中を、体を横に倒して抜ける。耳もとで、空気が何度も裂けた。抜けた先の足場に弾がまとめて当たって、光の板が粉になった。もう、その上にはいない。
当たったところで、俺は拠点で起きるだけだ。
何度死んでも、寝台の上で目を開けて、また跳びに来られる。痛いのも、怖いのも、ほんの少しのあいだだけだ。
だから、跳べる。
だから、俺が跳ばなきゃいけない。
舷べりを蹴って、上へ。甲板の上を、宙返りで越える。逆さの視界の中で、銃を構えた男の背中が見えた。着地と同時に、その膝を後ろから払った。銃を蹴り飛ばして、襟を掴んで、舷べりから身を投げる。足場を二枚、三枚。男を抱えたまま、桟橋へ。
縄。振り返る。また跳ぶ。
艇の向こう側では、銀の胸甲が、甲板から甲板へと渡っていた。
甲板に降りた金ピカは、もう跳ばない。歩く。連射が胸甲に当たって、火花が雨のように散っても、歩幅ひとつ変えない。金ピカが降り立った艇は、そこだけ、ふっと声が消えた。
声が消えるたびに、縄の前の灰色の上着が、そっちを向くのが見えた。
俺が一人を桟橋まで運ぶあいだに、向こうの声は二つ消えた。
足りない。
桟橋の根もとの方で、一度だけ、白い光が弾けた。組の艇のある方角ではなかった。それだけ分かれば、よかった。
運ぶのをやめた。甲板の上で、縛った。手首を縄で舷べりの金具に括りつけて、次へ跳ぶ。括った男の頭の上を、金ピカの影が通り過ぎていった。拳は、来なかった。なぜかは、考えている暇がなかった。
いちばん低い艇には、ゲイリーがよじ登っていた。手配書の顔を二人、襟首ごと掴んで、桟橋に投げ落としている。三人目の、赤い袖の片耳の男に手を伸ばしたところで、ゲイリーとその男の間に、銀の胸甲が降りてきた。
その艇の声が、ひとつ消えた。俺のいた艇からは、遠すぎた。
同じ艇の船首に、赤い袖が、もう一つ残っていた。
折り目のついた袖だった。鉄の帯の箱を、今も両腕で抱えていた。
金ピカが、そっちを向いた。
俺は、足場を蹴った。
一つ。二つ。三つ。数えるのをやめて、蹴れるだけ蹴った。
金ピカの拳が引かれるのと、俺の手が若いやつの襟に届くのが、ほとんど同時だった。そのまま箱ごと抱え込んで、船首から外へ転げ落ちる。足場をもう一枚、下に蹴り出して、桟橋の板に背中から叩きつけられた。
「――そいつは、俺のだ」
仰向けのまま、言った。息が、ひどく切れていた。
船首から、金ピカが見下ろしていた。拳はもう、下ろしていた。白い歯は見えなかった。
「……競争だったな。よかろう」
若いやつは、俺の腕の中で震えていた。震えながら、箱を放さなかった。
縄の向こうで、灰色の上着が、両手で口を押さえていた。
*
縄の列は、十二人になった。
衛兵が一人ずつ顔を確かめて、硝子の板に書きつけていく。ゲイリーは受取の紙をひったくりながら、三つ目のことで衛兵に噛みついていた。瑠璃華は待合所の前で、金ピカと指輪の話をしていた。
話を終えた金ピカは、硝子の目に向かって何か一言やってから、俺の前を通り過ぎた。少し先で、ついてくる硝子の目を手で追い払って、一人で戻ってきた。
「十二人、か」
カメラのない所で聞く、平らな声だった。
「出てくれば、また同じことをするぞ」
「しないかもしれない」
「するさ。悪党というのは、そういうものだ。牢で反省したところで、悪意を抑える術を持たない。短慮を起こして、また人様に迷惑をかける。昨日のことを見ただろう。紙一枚で、この島々の組が、みな刃を抜いた」
金ピカは、縄の列を見下ろした。どの顔も、うつむいていた。
「だから、私が消す。二度と戻らないように。それが、市民のためだ」
消す、と言った。
殺す、とは言わなかった。
俺は、縄の列の端の、折り目のついた袖を見ていた。その向こうに、縄の外から動かない、灰色の上着が見えた。
「……下町の港に、組が二つある」
金ピカの方は、見なかった。
「前は、毎晩みたいに刺し合ってた。それが今は番を下りて、同じ荷揚げ場で、帳面の端と端を持って荷を数えてる。顔も見ないでな。それでも、毎朝ちゃんと数えてる」
「それが紙一枚で崩れないと、誰が言える」
「崩れたら、また捕まえる」
「何度でもか」
「前にも言った。何度でも。……それと、紙を書いたやつを、捕まえる」
金ピカは、少しのあいだ黙っていた。それから肩を揺らして、低く笑った。カメラの前の笑い方じゃなかった。
「見つかればな。――競争の続きは、また今度だ、ヒーロー君」
銀の胸甲が、背を向けた。
この十二人も、いつか牢から出てくる。その日、出てきた所に、あの男が待っていないとは限らない。
この桟橋を離れていいのかどうか、まだ、分からなかった。
腕の装甲の光の線を、指でなぞった。まだ、暗かった。




