第144話お返しする必要は、ございませんの?
桟橋の上が静かになったのは、大時計の長い針が、ひと回りの四分の一ほど進んだころだった。
五隻の艇は、衛兵の方々の鉤縄で引き下ろされて、桟橋の脇に、傾いたまま並んでいた。甲板には、もう誰も立っていなかった。
縄の内側に、組の方々が並べて座らされていた。どなたも、縄で後ろ手に括られていた。衛兵の方々が、一人ずつ顔を確かめては、硝子の板に何かを書きつけていく。
【コメント】終わった
【コメント】十人……十一、十二
【コメント】あれ全部、スタロとゲイリーが縄かけたやつ
【コメント】金ピカの方は?
【コメント】数えるな
【コメント】縄の列に入ってない分が、そうだよ
縄の列の、いちばん端に、折り目のついた赤い袖があった。
若い方は、膝の上に、鉄の帯の木箱を抱えたままだった。衛兵の方が取り上げようとしても、腕がほどけなかった。指が、箱の帯に食い込んだまま、固まっていた。
縄の外で、灰色の上着の女の方が、一歩、踏み出した。
衛兵の方が、肩を押さえた。
「ご婦人。調べが済むまでは」
「……顔だけ」
女の方は、それ以上は前に出なかった。縄の外に立ったまま、列の端を見ていた。
若い方が、顔を上げた。女の方を見つけて、それから、すぐにうつむいた。箱を抱えた腕が、少しだけ、ほどけた。
衛兵の方が、その隙に、箱をそっと取り上げた。
【コメント】……
【コメント】顔だけ、って
【コメント】生きてた
【コメント】生きてる、で合ってるんだよな、今の
【コメント】合ってるだろ。金ピカの前から抜けたんだから
【コメント】スタロが引っこ抜いたやつだ。俺、スタロの配信の方で見てた
【コメント】あれは、間に合ったんだな
縄の列の反対の端で、ゲイリー様が、二人の首根っこを掴んで、衛兵の方に突き出していた。白い布の頭目の方と、青い布の、目の細い方だった。
「二つ。手配書の分だ。受取の紙、寄越せ」
「……三つと伺っておりましたけれど」
「三つ目は、金ピカに持ってかれた。赤い袖の、片耳の欠けたやつ。俺の目の前でな」
ゲイリー様は、衛兵の方から紙を二枚ひったくって、視界の端の何かを指でなぞった。
「……一つ分、足りねえ」
【コメント】ゲイリー、二つ
【コメント】三つ目、取られた
【コメント】一つ分足りねえ、で済むのか
【コメント】ゲイリーには、数字がひとつ減っただけ
【コメント】片耳の方は、明日ごとなくなったんだけどな
【コメント】それ言ったら、ゲイリーは賞金首しか見てないんだよ。最初から
紺の制服の方が一人、縄の前に進み出た。胸に、銀行の島の印を光らせていた。
「本店より、お知らせいたします。下町の出張所から上がった現金のうち、本日戻った分は、このまま本店へお運びいたします。残りの分も、明日、昼の鐘のころ、この桟橋に戻る見込みでございます。本店は、明日より、払い戻しを再開いたします。……ただし、お一人さま一日あたり、決まった額までと、させていただきます」
隊長らしい方が、続けて声を張った。
「下町行きの便は、明日の昼の鐘ののち! 桟橋の調べは、今日いっぱい!」
【コメント】払い戻し、再開
【コメント】残りの分って、さっきお嬢が空に撒いたやつな
【コメント】お嬢が撒いて、明日届いて、銀行が開く
【コメント】お嬢のおかげで銀行が開く……?
【コメント】違う、そうじゃない
【コメント】いや、そうなんだけど、そうじゃない
待合所の人々の間で、小さなため息が、いくつも重なった。
それから、その目が、窓際の長椅子に座っている、前掛けの女の子の方へ、ゆっくりと移っていった。
「……また、あの子だ」
「桟橋に、組が戻ってくる時刻にな」
「便を待ってただけだろう」
「昨日も、そう言ってたよ」
小夜さんは、背負子の紐を膝の上で丸めたまま、窓の外を見ていた。縄の外に立つ、灰色の上着の背中の方を。
【コメント】始まった
【コメント】便待ってただけなのに
【コメント】小夜ちゃん、母ちゃんの方見てる
【コメント】自分のこと言われてるのに
わたくしは、待合所の中の方々を、ひとりずつ見た。
目が合う前に、どなたも、窓の外へ顔を向けた。
*
「ハーッハッハッハ! 勇敢な市民!」
桟橋の先端から、銀の胸甲が、まっすぐこちらへ歩いてきた。硝子の目が、肩の後ろで、ふわふわと揺れていた。
縄の外の灰色の上着の前を、銀の胸甲は、気にも留めずに通り過ぎた。女の方は、その背中を見なかった。
「今日は、見物だったかね!」
「ええ。小夜さんのお帰りの便を、お待ちしておりましたの」
「結構、結構!」
スターグリント様は、わたくしの両手を見た。それから、日傘の柄を握る、わたくしの指を。
「指輪は、どうしたね」
「こちらに」
わたくしは、ドレスの隠しから、貝殻を張った小箱を取り出した。蓋を、少しだけ開けてお見せした。
「殿方からいただいた贈り物ですもの。普段使いにはいたしませんの。……そういえば、スターグリント様。お返しする必要は、ございませんの?」
「返す? ハーッハッハッハ! とんでもない!」
スターグリント様は、親指を、わたくしの胸もとへ、ぐいと突きつけた。
「あれは、私の手にあるより、お前の手にある方がいい。お前の方が、ずっと使いこなせるだろう!」
【コメント】使いこなせる
【コメント】島ひとつ咲かせて、自分ごと吹っ飛んだのに
【コメント】金ピカ基準だと、あれで使いこなしてる判定
【コメント】お嬢は吹っ飛んでも拠点で起きるからな
【コメント】それも込みで「使いこなせる」なんだろ、あの人の中では
「まあ。光栄ですわ」
わたくしは、蓋を閉じて、小箱を隠しに戻した。
「では、ここぞという時まで、大切にしまっておきますわね」
「……しまう?」
「ええ。しまいますの」
スターグリント様は、白い歯を見せたまま、二、三度、まばたきをした。
「……ハーッハッハ! それも、また良し!」
【コメント】金ピカ、一瞬止まった
【コメント】使いこなせ、って言われて、しまう女
【コメント】噛み合ってないのに、なんか成立してる
スターグリント様は、くるりと背を向けて、肩の後ろの硝子の目に向かって、片手を上げた。
「市民諸君! 上層の空は、今日も守られた!」
桟橋の根もとで、スタロ様が、縄の列の端に立っていた。
金色の稲妻の紋が、そのすぐ前を通り過ぎていった。
スタロ様は、通り過ぎる背中を、見ていなかった。
縄の列に座らされた方々の、ひとりひとりの顔を、見下ろしていた。いちばん端の、折り目のついた袖のところで、少しだけ長く止まった。




