第136話閑話 拾って、返しただけです
☆ 夜歩きのユキト視点 ☆
「……はい。夜歩きのユキトです。今日は、ちゃんと夜です」
声は、喉の奥で潰す。
連絡艇の桟橋の、荷揚げ場の木箱の陰。昼間あれだけ人で埋まっていた桟橋は、すっかり空いていた。柱の光の板だけが、誰もいない白い石の上を、青白く照らしている。
【コメント】きた
【コメント】ちゃんと夜で草
【コメント】今日はどこ
【コメント】桟橋か
【コメント】昼に組の連中が並んでたとこ
「……昼の、あれの続きを見に来ました。組の人たち、夕方に一度いなくなって、それから、ちょっとずつ戻ってきてます」
硝子の目を、木箱の縁から少しだけ出す。
桟橋の端に、赤い袖の男が二人。待合所の硝子の向こうに、黒い手袋が三人。昼と同じだ。互いの方を、見ないようにしている。
【コメント】いる
【コメント】夜も張ってるのか
【コメント】何を待ってるんだよ
【コメント】ユキト、見つかったら終わりだぞ
【コメント】いつも見つかってないのが奇跡
そのときだった。
桟橋の入口の方から、足音がひとつ、近づいてきた。
小さい足音だった。
組の連中の、重たい靴の音じゃない。
「……え」
硝子の目の端に、前掛けが映った。
籠も、背負子も持っていない。両手を前掛けのポケットに突っ込んで、小柄な女の子が、ひとりで桟橋を歩いてきた。
【コメント】え
【コメント】小夜ちゃん!?
【コメント】雑貨屋の子
【コメント】ひとりで!?
【コメント】こんな時間に
【コメント】お嬢は?
【コメント】お嬢、今日はもう配信終わってる。寝る時間
【コメント】お嬢抜きで、ここに来たのか
俺は、息を止めた。
止めたつもりだったけど、たぶん、硝子の目には、俺の鼻息が全部入っていた。
「……追います。いや、追うっていうか。……動けないです、今」
*
雑貨屋の子は、組の連中の方を、見なかった。
まっすぐ、柱の光の板の前まで行って、止まった。
板には、昼から流れっぱなしの便の一覧が映っていた。赤い「運休」の文字は、昼よりずっと増えて、ほとんどの行を埋めていた。いちばん下の、下町行きの連絡艇の行だけが、まだ白い文字のままだった。
雑貨屋の子は、その一覧を、長いこと見上げていた。
片手が、ポケットから出て、首もとの首飾りに触れた。
【コメント】運休の一覧見てる
【コメント】帰りの便、確かめに来たのか
【コメント】ほとんど赤い
【コメント】下町行きだけ、まだ白い
【コメント】……
【コメント】いや待て、組の連中のど真ん中だぞここ
【コメント】わざわざ夜に、ここに来る理由ある?
【コメント】便の確認なら昼にもできるだろ
赤い袖の男のひとりが、柱の方へ歩いてきた。
板を見に来たのか、ただの通りすがりか。雑貨屋の子の真後ろを、肩が触れるくらいの近さで、通り過ぎた。
男の袖口から、何かが、ひらりと落ちた。
小さな紙だった。
石畳の上で、一回、裏返った。
雑貨屋の子が、それに気づいた。
しゃがんで、拾い上げた。紙の表に、ちらりと目を落とした。
それから、立ち上がって、男の背中に声をかけた。
「……あの。落としました」
男が、振り返った。
雑貨屋の子の手の中の紙を見て、一瞬だけ、顔が固まった。それから、ひったくるように紙を取って、懐にしまった。礼も言わずに、桟橋の端へ戻っていった。
雑貨屋の子は、男の背中を少しだけ見ていた。
それから、また、板の方に向き直った。
【コメント】今の
【コメント】拾って返しただけ
【コメント】ひったくってったぞ、あの男
【コメント】感じわっる
【コメント】今の紙、ちらっと映った
【コメント】字までは読めん
【コメント】待て
【コメント】お嬢の配信で、運転士が言ってた紙か
【コメント】それを、小夜ちゃんが手に持ってた
「……拾って、返しただけです」
俺は、喉の奥で言った。
「皆さん、見てましたよね。落としたのは向こうです。拾って、返しただけです」
【コメント】見てた
【コメント】ユキトの言う通り
【コメント】でも、紙の中身は見たよな、今
【コメント】見たっていうか、目に入っただけだろ
【コメント】顔、変わってた?
【コメント】画質で分からん
【コメント】切り抜かれるぞ、これ
【コメント】もう切り抜いてる奴いる
雑貨屋の子は、板の前に、まだ立っていた。
赤い「運休」の文字が、一行ずつ、板の上から流れていく。それが一番下まで流れきって、また一番上から始まるまで、ずっと、見上げていた。
それから、ポケットに手を戻して、来た道を、ひとりで帰っていった。
組の連中は、誰も、その背中を見なかった。
俺も、追わなかった。
追う理由が、なかったからだ。
「……今日は、ここまでにします。何も、起きませんでした」
【コメント】何も起きなかった
【コメント】起きなかった、よな?
【コメント】おやすみユキト
【コメント】明日の昼の鐘、何かあるんだろ
【コメント】雑貨屋の子、明日も桟橋来るのかな
*
配信を切って、宿の寝台に転がった。
寝る前に、掲示板を開いた。開かなきゃよかった。
――【決定的】雑貨屋の子、深夜の桟橋で組の男に紙を渡す【夜歩き】
俺の映像だった。
三十秒ほどに切ってあった。男が袖から紙を落とすところは、入っていなかった。雑貨屋の子が紙を持って、男に声をかけて、男が受け取って懐にしまうところだけが、何度も繰り返されていた。
俺の声は、消されていた。
俺は、その下に書き込んだ。
――撮った本人です。落としたのは男の方で、あの子は拾って返しただけです。元の映像、全部残ってます。
書き込んで、しばらく、画面を見ていた。
切り抜きの方には、もう、数えきれないくらいの返事がついていた。
俺の書き込みには、ひとつだけ、返事がついた。
――じゃあ、なんであの子、紙を見たあと一瞬止まったんだ?
俺は、画面を閉じた。
夜歩きなんて名乗ってるくせに、その夜は、なかなか眠れなかった。




