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悪辣非道お嬢様配信 ~わたくし、お嬢様道を実践しているだけですの~  作者: 白い鴉


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134/171

第134話同じ方角へ、お散歩に参るだけですの

 小夜さんは、宿に戻るまで、一度も振り返らなかった。


 わたくしも、一度も呼び止めなかった。

 戸口をくぐると、小夜さんはそのまま階段を上がって、自分のお部屋に入った。戸が、静かに閉まった。


【コメント】部屋に入っちゃった

【コメント】そりゃそうなる

【コメント】お嬢、どうすんの

【コメント】ここで追いかけないのは、さすがに冷たくない?


 日が落ちるまで、小夜さんの戸は、一度も開かなかった。


 わたくしは、食堂の奥の帳場へ向かった。


「ご主人。お茶の道具を、一式お借りできますかしら」


 宿のご主人は、拭いていたカップを、ゆっくりと置いた。

 それから、わたくしの顔を見た。大通りの角の方を、窓越しに見た。もう一度、わたくしの顔を見た。


「……割らないでくださいよ」

「まあ。わたくし、カップを割ったことなど、一度もございませんわ」

「カップは、ね」


【コメント】カップは、ね

【コメント】ご主人、言うようになった


   *


 宿の屋上は、白い石の平らな床だった。

 洗い終えた白いシーツが、何枚も風にはためいている。その向こうに、上層の夜が広がっていた。塔の窓という窓が青白く灯り、島と島のあいだを、浮遊艇の小さな灯りが渡っていく。ずっと遠くの区画だけ、赤や紫や緑の光が、滲むように瞬いていた。


【コメント】屋上だ

【コメント】夜景きれい

【コメント】あの色の濃いとこ、ネオン街?

【コメント】スタロが馴染むって噂の

【コメント】お茶の準備してる

【コメント】お嬢、何する気


 わたくしは、物干しの柱の陰に小さな卓を据えて、カップを二つ並べた。

 ポットに湯を注ぐ。茶葉が開くまで、少し待つ。


 それから、配信の硝子の目の方へ向き直った。


「皆様。本日の配信は、ここまでにいたしますわ」


【コメント】え

【コメント】切るの!?

【コメント】今から!?

【コメント】お茶淹れたとこなのに

【コメント】あ、そういうことか

【コメント】小夜ちゃん呼ぶんだ

【コメント】……掲示板の連中に見せないため、か

【コメント】お嬢、たまにちゃんとしてるの何なの

【コメント】おやすみ、お嬢

【コメント】小夜ちゃんによろしく


「お茶会には、お招きした方しかお入りいただけませんの。ごきげんよう」


 硝子の目の灯りが、ふっと消えた。


   *


 小夜さんのお部屋の戸を、二度叩いた。


「お茶が入りましたわ。屋上に」


 返事はなかった。

 わたくしは、それ以上は何も言わずに、屋上へ戻った。カップに、お茶を注ぐ。湯気が、夜風に流れていく。


 二杯目を注ぎ終えるころ、階段の方で、足音がした。


 小夜さんは、屋上の入口に立って、卓と、カップと、わたくしを順番に見た。


「……配信、切ったの」

「ええ」

「なんで」

「お茶会ですもの。立ち見の方は、ご遠慮いただきましたの」


 小夜さんは、少しのあいだ黙っていた。

 それから、卓の向かいの椅子に座った。カップを両手で包む。


「……お茶、どこで借りたの」

「ご主人に。とても嫌そうなお顔で、貸してくださいましたわ」

「だろうね」


 小夜さんの口の端が、ほんの少しだけ動いた。

 笑った、と言うには、小さすぎた。


   *


 しばらく、二人とも、お茶を飲んでいた。


 遠くの区画の色とりどりの光が、瞬いては消えて、また瞬いた。浮遊艇の灯りが、ひとつ、島の影に隠れた。


「瑠璃華さ」


 小夜さんが、カップを見たまま言った。


「今日の、あれ。……わたしのため、だったんだよね」

「ええ」

「うん。知ってる」


 小夜さんは、それ以上、何も続けなかった。

 わたくしも、続けなかった。小夜さんが知っていらっしゃるなら、それで十分だった。


「……みんな、道、あけてくれたね」

「皆様、礼儀正しくなられましたわ」


 小夜さんが、小さく息を吐いた。今度は、さっきより少しだけ、笑い声に近かった。


「そういうとこ」

「どういうところですの?」

「そういうとこだよ」


 小夜さんは、お茶をひと口飲んだ。

 それから、遠くの光の方へ、目を向けた。


「……下に、帰りたいな」

「まあ。上の街は、お気に召しませんの?」

「きれいだよ。灯りも、ずっとついてるし。……でも、店、ずっと閉めっぱなしだし。棚、半分空っぽのまま来ちゃったし」


 小夜さんの指が、首もとの首飾りに触れた。

 磨いた石が、屋上の灯りを受けて、小さく光った。


「おばあちゃんの島、こんなに近いのに。……下にいたときより、遠い気がする」


 わたくしは、何と申し上げればよいのか、少し考えた。

 考えて、結局、思ったことをそのまま申し上げた。


「鈴村さんのご用が済みましたら、すぐに帰れますわ。それまでは、わたくしがおりますもの」


 小夜さんは、わたくしの顔を見た。

 それから、こくりと頷いた。


「……うん」


   *


 階段の方で、また足音がした。


「ああ、こちらでしたか」


 鈴村さんだった。役所帰りの、襟のついた紺の上着のままだった。片手に、書類の束を抱えている。

 卓の上のカップを見て、穏やかに目を細めた。


「お茶会でしたか。お邪魔をいたしました」

「鈴村さん。お帰りなさいまし」

「ただいま戻りました。……実は、少しお知らせが」


 鈴村さんは、書類の束を、もう片方の腕に抱え直した。


「聞き取りが、もうしばらく延びることになりまして。今日の大通りの件も、役所の方々のお耳に入ったようで。……代表として、お話ししなければならないことが、増えてしまいました」


 小夜さんが、カップを置いた。


「……まあ。それは、ご苦労さまですわ」

「いえ。これも、代表の務めですから」


 鈴村さんは、小夜さんの方へ向き直った。


「小夜さん。明日は、宿でゆっくりなさってください。お使いは、私の方で」

「やだ」


 小夜さんは、顔を上げた。


「お使い、行く。……宿にいたら、隠れてるみたいで、やだ」


 鈴村さんは、少しだけ驚いたように、小夜さんを見た。

 それから、困ったように笑った。


「そうですか。……では、桟橋の荷受けを、お願いできますか。下からの荷が、明日の昼に着く予定でして。受け取りの判子を押していただくだけです」

「うん。行く」

「ありがとうございます。くれぐれも、気をつけて」


 鈴村さんは、もう一度、卓の上のカップに目をやった。


「冷めないうちに。……それでは、おやすみなさい」


 足音が、階段を下りていった。


   *


 小夜さんは、カップの底に残ったお茶を、しばらく揺らしていた。


「……瑠璃華。明日、ついてこなくていいよ」

「ついてまいりませんわ」


 わたくしは、空になったカップに、新しいお茶を注いだ。


「わたくしは、桟橋の方角へ、お散歩に参るだけですの。たまたま、同じ方角へ」


 小夜さんが、こちらを見た。

 長いこと、見ていた。


「……それ、ついてくるって言うんだよ」

「まあ。お嬢様は、追いかけたりいたしませんわ」

「知ってる。……追いかけないで、隣にいるんだよね」


 小夜さんは、新しいお茶を、ひと口飲んだ。

 それから、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。


 遠くの区画の光が、また、色を変えた。


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