第129話贈り物は、普段使いにはいたしませんの
かちん、と、小さな音がした。
お昼の食堂で、宿のご主人が淹れてくださったお茶を、いただこうとしたときだった。持ち上げたカップの縁に、指輪の花びらが当たっていた。
もう一度、そっと持ち直す。
かちん。
「……まあ」
【コメント】鳴った
【コメント】指輪、カップに当たってる
【コメント】お嬢の眉が一ミリ動いた
【コメント】それはそうと、前の配信で誰かが言ってた「ナンバーズ」、調べてきた
【コメント】まとめ班きた
【コメント】百から上の番号のやつな。よその地方の掲示板まで潜った
【コメント】強さは、店のどんな武器よりも上。ものによっては桁が違う
【コメント】代わりに、悪い状態がずっとつきっぱなしになる
【コメント】じわじわ体力が減り続けるとか、手が勝手に動くとか
【コメント】最後は操作がおかしくなりすぎて、アカウントごと使い物にならなくなった奴もいるらしい
【コメント】全部「らしい」な
【コメント】眉唾
【コメント】で、百八番の呪いは?
【コメント】誰も知らん
わたくしは、カップを受け皿に戻した。
それから、指輪を、根もとから抜いた。
「お茶の席で器を鳴らすなんて、無作法ですわね」
【コメント】外した!
【コメント】呪いの話、読んでた?
【コメント】いや、お嬢はコメント見ない
【コメント】カップが鳴ったから外しただけ
【コメント】理由がお茶会のマナー
【コメント】結果が同じなら、もう何でもいい
飾り棚に、ご主人の小物入れが並んでいた。貝殻を張った、手のひらほどの小箱。ひとつ譲っていただいて、指輪を中に寝かせた。
蓋を閉めて、ドレスの隠しにしまう。
「殿方からいただいた贈り物ですもの。普段使いにはいたしませんわ。ここぞという時のために、大切にしまっておくものですの」
【コメント】ここぞという時は、使う気
【コメント】島ひとつ分の「ここぞ」
【コメント】その時が来ないことを祈る
階段の上から、小夜さんが降りてきた。
手に、小さな書き付けを持っていた。
「瑠璃華。午後、銀行の島まで付き合ってくれる? 鈴村さんの、上の滞在費。聞き取りが延びそうだから、少し下ろしてきてほしいって」
書き付けには、鈴村さんの、きれいな字が並んでいた。判子も、ちゃんと添えてあった。
「まあ。お使いのお供でしたら、喜んで」
壁際で、スタロ様が、腕を組んだまま顔を上げた。
「俺も行く」
「まあ。スタロ様も、銀行にご用事ですの?」
「さっき通りで聞いた。銀行に、人が押しかけてるって。……人が集まるとこは、揉める」
【コメント】スタロ、ついてくる
【コメント】揉めそうなとこには必ず行く男
【コメント】あと、お嬢の見張りな
*
銀行の島へ渡る浮遊艇は、いつになく混んでいた。
誰も景色を見ず、隣の人と顔を寄せていた。「次は銀行の島が傾く」「金庫が落ちる前に下ろしておけ」――そんな囁きが、あちこちから漏れていた。
【コメント】噂、回ってる
【コメント】市場の島、昨日の今日だからな
【コメント】話が広まるの、早すぎない?
小夜さんは、書き付けを、両手で握り直していた。
銀行の島は、白い石の、角張った建物ばかりだった。
真ん中の、柱の太い館の正面階段に、人が、黒い帯のように連なっていた。
「本日の払い戻しは、お一人様、上限がございます! どうか、落ち着いて――」
玄関で、銀行の方々が、声を枯らしていた。
誰も、聞いていなかった。
行列の脇を、妙に身軽な方々が、すいすいと抜けていく。払い戻しを終えたご婦人のふくらんだ財布に、するりと手が伸びる。ご婦人が振り返った時には、もう、人混みの向こうだった。
【コメント】スリだ
【コメント】あいつらプレイヤーだろ
【コメント】札ついてない。捕まるまでは出ないからな
【コメント】下ろしたての金、狙い放題
【コメント】取り付け騒ぎに群がってる
スタロ様は、もう、隣にいなかった。
光の足場をひとつ蹴って、行列の脇へ。財布を抱えて逃げかけた背中の襟首を掴んで、引き戻す。財布をもぎ取って、ご婦人の手に押しつけた。
「スリだ! みんな、財布押さえろ!」
声が、階段じゅうに響いた。
その間にも、少し離れたところで、別の財布が、別の手に消えていた。
【コメント】スタロ、もう走ってる
【コメント】一人捕まえた
【コメント】その間に二人やられてる
【コメント】数が多すぎる
小夜さんは、階段の上の玄関を見上げていた。
それから、わたくしの袖を、きゅっと掴んだ。
「行こ。窓口、上だから」
「ええ。参りましょう」
わたくしたちは、行列の脇を、一段ずつ上った。
お嬢様は、人混みでも、急いだりはいたしません。小夜さんも、わたくしの袖を掴んだまま、わたくしの歩みに合わせてくれた。
玄関まで、あと三段だった。
大きな扉が、ぎい、と鳴った。
銀行の方々が、内側から、扉を閉めにかかっていた。
「本日の払い戻しは、ここまでとさせていただきます!」
階段じゅうから、怒鳴り声が上がった。
背中から、人の波が、どっと押し寄せた。
袖が、引かれた。
それから、袖が、軽くなった。
「――瑠璃華っ!」
小夜さんの声は、扉の向こうからだった。
押し流された人たちと一緒に、閉まりかけた扉の隙間へ、小夜さんの小さな背中が呑まれていくのが、一瞬だけ見えた。
扉が、閉まった。
【コメント】小夜ちゃん!
【コメント】中に入っちゃった
【コメント】閉じ込められた?
【コメント】中にも人、いっぱい押し込まれてたぞ
【コメント】スリも何人か、一緒に入った
わたくしは、押し戻されて、階段の中ほどに立っていた。閉じた扉を、見上げた。
扉の前の段では、締め出された方々が、拳で扉を叩いている。その人垣の中を、身軽な方々が、まだ、人の隙間を縫っていた。
指先が、ドレスの隠しの上の、小箱の形に触れた。
【コメント】お嬢、今、ポケット触った
【コメント】まさか
【コメント】ここぞ、って今か!?
【コメント】やめろ、小夜ちゃん中だぞ
【コメント】島ひとつ分だぞ!?
わたくしは、小箱から、指を離した。
「……スタロ様。いつもどおり、三十秒でございますわ」
人垣の向こうで、スタロ様が、スリの方をひとり、石段に押さえつけていた。
兜だけが、こちらを向いた。
「――待て! 先に聞かせろ!」
叫び声が、怒鳴り声の間を割って届いた。
「どこまで飛ぶ! 扉の向こうに、小夜がいるんだぞ!」
【コメント】聞いた!
【コメント】撃つ前に聞く、って言ってたやつ
【コメント】三十秒の質問タイム、本当に始まった
【コメント】お嬢、答えるのか?
【コメント】「お答えできることでしたら」って言ってたしな




