第125話三歩横で、ございましたわね
スタロ様は、壁の上で、外の通りへ向き直った。
「みんな! 縄、ほどけ! できるだけ離れろ! 島の、向こう側まで!」
声が、壁の外へ落ちていった。
ひと呼吸、何も返ってこなかった。それから、果物屋の方の、がらがらの声がした。
「聞こえたか! ほどけ! 隣の奴の縄も、ほどけ!」
【コメント】逃がしてる
【コメント】できるだけ、って
【コメント】どこまで飛ぶか、スタロにも分かってないんだ
【コメント】三十秒あるからな
五。
「――瑠璃華は!?」
小夜さんの声だった。
「あいつは、撃つ方だ!」
スタロ様は、それだけ叫んで、壁の内側へ飛び降りた。
わたくしの方ではなかった。隣の、ゲイリー様の方へ。
拳が、ゲイリー様の右腕の黒い石を叩いた。二度。ひびが走って、割れた。左腕。腰。
「……借りは、返さねえぞ」
「いらない! 運べ!」
ゲイリー様は、黒い粉を払いもせずに壁へ駆け寄って、ひと跳びで縁に手をかけた。向こう側へ消える前に、一度だけ、こちらを振り返った。
十。
スタロ様が、わたくしの喉もとの黒い石の前に立った。
拳が、持ち上がった。
「わたくしは、ここで結構ですの」
拳が、止まった。
「お嬢様は、撃つ場所を、動いたりいたしませんもの」
スタロ様は、兜の奥で、何か言いかけた。
それから、拳を下ろして、壁の上へ跳んだ。
「……三十秒だぞ」
【コメント】お嬢の泡は割らないのか
【コメント】お嬢が断った
【コメント】撃つ場所を動かない(物理的にも)
【コメント】スタロの配信だと、ゲイリーが像を両脇に抱えて走ってる
【コメント】小夜ちゃんが最後尾
【コメント】おっちゃんに引っ張られてる
十五。
空の上で、銀と白が、ぶつかっていた。
黒い卵のすぐ下で、スターグリント様の腕が、白衣の襟を掴んでいた。盾が咲く。砕ける。咲く。砕ける。その全部を、銀の体ごと押し込むようにして、二つの影が、こちらへ斜めに落ちてきた。
落ちた先は、壁の輪の中ではなかった。
三番通りのいちばん端の、三階建ての宿屋の屋根だった。屋根の白い石板が、まとめて跳ね上がった。
壁の縁の上に、その屋根だけが、小さく見えていた。
【コメント】落ちた!
【コメント】通りの端の宿屋
【コメント】遠い
【コメント】遠い
【コメント】通りの端まで行かれた
【コメント】あそこ、届くのか?
スターグリント様が、白衣の襟を掴んだまま、こちらへ引きずろうとしていた。
その足もとで、硝子玉が割れた。銀のすね当てが、屋根の石ごと、黒く固まった。
「ぬううっ……! 市民! 今、十歩の内まで――」
「無理だよ、スターグリント。足を抜くのに、十年分の癖で、あと二十は数えるだろう?」
オブシディアン様が、襟を振りほどいて、三歩、横へ離れた。
屋根の上で、こちらへ向き直る。よく通る声だった。
「お嬢さん! ここは、十歩の外だよ!」
【コメント】煽ってる
【コメント】わざわざ言いに来た
【コメント】金ピカ、足固められた
【コメント】連れ戻せなかった
【コメント】じゃあ、指輪の意味……
二十。
壁の上で、スタロ様が、外の通りを振り返っていた。
何かを、端から端まで確かめるように。それから、通りの端の、宿屋の屋根を見た。
スタロ様の腕が、上がった。
指の先が、屋根の上の白衣をさした。
「――あいつだ。屋根の上の、白衣の、あいつだけだ」
言い終わると同時に、スタロ様は、壁の向こう側へ身を投げた。
【コメント】指さした
【コメント】あいつだけ
【コメント】あいつ「だけ」
【コメント】百歩先まで咲く指輪で?
【コメント】いや、届かないだろ、十歩の外だぞ
【コメント】お嬢だぞ
【コメント】……お嬢だな
屋根の上で、銀の顔が、白衣の方へまっすぐ向いていた。固められた足を引き抜こうとしながら、一度も逸らさなかった。
二十八で、屋根の上に、黒い殻が閉じた。
十歩の外でも、癖は抜けないらしかった。
二十九。
「三歩横、でございましたわね」
指輪の花びらが、ひとつ、ひらいたような気がした。
よく光る、けれど、柔らかい目だった。
その目を、お借りした。
――三歩先の、黒い殻。手を伸ばせば届きそうな近さ。
三十。
白が、咲いた。
屋根の上で。宿屋の上で。通りの上で。壁の上で。
わたくしの、日傘の上で。
――まあ。
【コメント】……
【コメント】画面、真っ白
【コメント】まだ白い
【コメント】……あ、暗くなった
【コメント】真っ暗
【コメント】お嬢?
【コメント】これ、落ちた時の画面だよな
【コメント】お嬢が!?
【コメント】自分の爆破で!?
【コメント】初めて見た
【コメント】金ピカ、それ言わなかったな
【コメント】一言も言ってなかった
【コメント】で、オブシディアンは?
【コメント】分からん。こっちの画面、真っ暗なんだよ




