第123話わたくし、お荷物ではございませんわ
店先の映像の板の中で、親石が、黒くなっていた。
青い光は、もう、どこからも漏れていなかった。崩れた塔のてっぺんに、つやつやとした黒い卵がひとつ、浮かんでいる。それが、ほんの少しずつ、空の方へ昇っていた。
「……持っていかれる」
宝石商の方が、縄を握ったまま、かすれた声で言った。
足もとが、ぐらりと沈んだ。屋台の柱が、ぎい、と長く鳴った。
【コメント】親石、真っ黒
【コメント】卵じゃん
【コメント】昇ってる
【コメント】あれが抜けきったら、この島どうなるんだよ
【コメント】考えたくない
空から、白衣が降りてきた。
塔の方からではなかった。三番通りの、真上から。オブシディアン様は、さっきと同じ十歩ほど先に、ふわりと止まった。
「やあ、お嬢さん。待たせたね」
「まあ。お待ちしておりませんでしたけれど」
銀色の尾が、すぐ後ろから追ってきた。
「オブシディアンッ!」
オブシディアン様は、振り返りもせずに、黒い硝子玉をひと掴み、肩越しに放った。
スターグリント様が、通りの角に着地した、その瞬間だった。泡が、銀の体をまるごと包んで、丸く膨らんで、固まった。
通りの角に、人の背丈の倍ほどもある、黒いお椀を伏せたようなものが出来上がっていた。中から、どん、どん、と鈍い音がする。
【コメント】金ピカ、閉じ込められた
【コメント】ミルフィーユの次は、かまくら
【コメント】中で殴ってる音する
【コメント】十年分の手際の良さ
「さて」
オブシディアン様は、手袋の指を一本、立てた。
「島の引っ越しの前に、荷物をひとつ、増やしたくてね。……君だよ、お嬢さん」
「わたくしを、お荷物に?」
「研究所には、研究するものがいる。……あの花火の中身を、私の島で、ゆっくり調べさせてもらいたい」
「お招きでしたら、まず、お手紙をくださいませ。お茶会の日取りも、お客様のお好みも伺わずに、いきなりお運びになるなんて」
「客人ではないよ。荷物だ」
「まあ。それは、お断りいたしますわ」
【コメント】お断りしてる
【コメント】断れる状況じゃない
【コメント】足、固まってるんだぞ
【コメント】それでも口調が一ミリも崩れない
通りの縁で、スタロ様が、こちらを振り向いていた。
両腕には、まだ、黒い像の方々が抱えられていた。縄に繋ぎきれていない、最後の三人。手を離せば、島の縁へ滑っていく。
「小夜! おっちゃん! これ、頼む!」
「――持った!」
小夜さんと果物屋の方が、二人がかりで、像を一体ずつ柱へ引き寄せる。三人目の縄が結ばれるのを見届けてから、スタロ様は、光の足場を蹴った。
男の袖から、黒い硝子玉が、ぱらぱらとこぼれた。
わたくしと、ゲイリー様と、オブシディアン様。三人を囲むように、通りの幅いっぱいの石畳の上で、大きな輪になって割れていく。
黒い壁が、せり上がった。
「――瑠璃華っ!」
小夜さんの声が、壁の向こうに消えた。
光の線が、壁の外側を横切るのが、最後に一瞬だけ見えた。スタロ様だった。
【コメント】壁!
【コメント】囲まれた
【コメント】スタロ、間に合わなかった
【コメント】なんか叩く音しない?
【コメント】アリアのカメラだけ、上から映してる
壁の内側は、ひどく静かだった。
外の騒ぎも、島のきしむ音も、遠い。
オブシディアン様は、通りの角の方へ、仮面を向けていた。壁に遮られて、そちらは何も見えないはずだった。
「……これで、準備は整った」
「何の、でございますの」
答えは、なかった。
【コメント】準備って何の
【コメント】島の引っ越しのことだろ
【コメント】いや、今かまくらの方向いたぞ
黒曜石の仮面の、細い切れ目。その奥が、細くなった。
壁の上の縁に、鳩が一羽、とまっていた。柔らかい目だった。
「……撃つのか」
隣で、ゲイリー様が、低く言った。
「ええ。お招きの作法をご存じない方には、お帰りいただきませんと」
「島ごと盗んでる最中の奴に、帰れってか」
わたくしは、黙って、三十を数えはじめた。
「――瑠璃華! 聞こえるか!」
壁の向こうから、スタロ様の声がした。拳で壁を叩く音が、合間に挟まる。
「さしたって、見えないだろ! そっちからは!」
二十。
オブシディアン様は、楽しそうに、わたくしの顔を眺めていた。
二十六。二十七。
二十八で、黒い殻が、白衣を包んだ。
二十九。
鳩の目を、お借りした。
――黒い殻。それだけ。
三十。
壁の内側が、白く光った。
熱い風が、頬を叩いた。隣で、ゲイリー様が顔をしかめた。
【コメント】撃った
【コメント】殻、先に作ってた
【コメント】二十八で
【コメント】金ピカと同じ覚え方された
殻が、割れた。
オブシディアン様は、裾の砂を払いながら、出てきた。鳩は、壁の縁から、ぱたぱたと飛んでいった。
「君は、撃つ前に、少し黙る」
男は、静かに言った。
「黙っているあいだは、殻の中で待っていればいい。……もっとも、入るのは、終わり際で足りるけれど」
【コメント】バレた
【コメント】仕組みじゃなくて、癖がバレた
【コメント】癖だけで十分なんだよな、あいつには
【コメント】お嬢、もう撃っても無駄ってこと?
「まあ。わたくしのこと、よくご覧になっていらっしゃいますのね」
「十年、同じ英雄を見てきたからね。人を見るのは、得意なんだ」
白衣が、すいと宙を滑って、目の前まで来た。
オブシディアン様が、黒い硝子玉を、ひとつ、わたくしの足もとの黒い石の上に落とした。
冷たいものが、また、這い上がってきた。
膝から、腰へ。ドレスの襞を、ひとつずつ呑み込んで。
「おい」
隣で、ゲイリー様が、腰から上だけで身を乗り出した。
「動くな、お嬢ちゃん。割ってやる」
大きな拳が、わたくしの腰の黒い石を叩いた。ひびが入った。もう一度――
ゲイリー様の両腕の上で、硝子玉が二つ、割れた。
泡が、肘から肩まで、腕ごと胴に縫い止めた。
「……今度は、腕まで揃えやがった」
「まあ。ご丁寧に」
【コメント】ゲイリー!
【コメント】腕も持ってかれた
【コメント】もう首から上しか動いてない
【コメント】この状況で「ご丁寧に」
泡は、止まらなかった。
胸。左の腕。わたくしは、日傘を持った右手だけを、少し高く上げた。
「日傘だけは、汚さないでいただけます?」
「もちろん。大事な標本だからね。丁寧に扱うよ」
【コメント】日傘の心配してる場合か
【コメント】標本って言った
【コメント】お嬢、リスポーンすれば?
【コメント】死んでないから戻れないんだよ、固められてるだけだと
【コメント】え、詰み?
【コメント】お嬢がなんとかするって
【コメント】どうやって?
【コメント】……
【コメント】スタロ! 早く!
壁の向こうで、かん、かん、と、小さな音がしはじめた。
木槌の音だった。叩く手が、細い。
「……割る。割るから」
小夜さんの声だった。
壁は、厚かった。かん、かん、という音は、なかなか、ひびの音に変わらなかった。
泡が、喉もとまで来た。
冷たい。わたくしは、顎を、ほんの少しだけ上げた。
空が見えた。
壁の真上に、アリア様の硝子の目が、ひとつ浮いていた。そのずっと向こうで、黒い卵が、ゆっくりと昇っていく。
「では、続きは、私の島で」
オブシディアン様が、わたくしの日傘の柄に、手袋の指をかけた。
そのときだった。
通りの角で、黒いかまくらが、内側から弾け飛んだ。




