第122話閑話 塔の中から、小声で
☆ 夜歩きのユキト視点 ☆
「……はい。夜歩きのユキトです。昼だけど」
声は、喉の奥で潰す。
階段の踊り場の、手すりの陰。俺は、白い壁に背中をぴったりつけて、しゃがんでいた。頭の上の、そのまた上の階から、どかん、どかん、と、何かを殴る音が降ってくる。
「今、市場の島の、中央塔の中です。……ニュースは窓の外からしか撮れないんで。中、行きます」
【コメント】きた
【コメント】ユキト、塔の中にいるのかよ
【コメント】どうやって入った
【コメント】まさか、忍び込んだ?
【コメント】声ちっさ
【コメント】いつもの
手元の硝子の目が、ぶれる。俺の手が震えてるからだ。
仕方ない。島ごと、さっきから傾いてる。階段が坂になってる。手すりを掴んでないと、下の階まで転げ落ちる。
一段ずつ、這うように上がる。
階段は、塔の内側の壁に沿って、ぐるぐると巻いていた。手すりの向こうは、底の見えない縦穴だ。下から、ひやりとした風が吹き上げてくる。
「……ここ、親石が上がってきた穴です。たぶん」
どかん、という音が、近くなる。
最上階の、ひとつ手前の踊り場で、止まった。
扉が、半分開いていた。その隙間に、硝子の目を寄せる。
「……見えますか。これ、親石です。島を浮かせてる、でかい浮き石」
丸い部屋だった。
床の真ん中に、さっきの縦穴の口が開いている。その真上に、人の背丈よりでかい、淡い青の石が浮いている。その下半分から上に向かって、黒い泡が、じわじわと這い上がっている。もう、半分以上が呑まれていた。
石の前に、白衣の背中。
部屋の入口に、銀色の背中。
【コメント】うわ、近い
【コメント】オブシディアンと金ピカ
【コメント】ニュースより近い
【コメント】さすがユキト
【コメント】死ぬなよ
金ピカの拳が、黒い盾を砕く。砕けたそばから、次の盾が生える。
ニュースの中継だと、派手に見えた。でも、ここからだと分かる。金ピカの肩が、上下に大きく動いている。拳の振りが、最初に見た映像より、明らかに遅い。
「……スターグリント、息、上がってます」
オブシディアンが、振り返りもせずに、楽しそうに言った。
「十年だよ、スターグリント。十年、君の拳を受けてきた。いい加減、割れ方の癖も覚える」
「黙れ!」
「この島の親石をいただいたら、私は自分の島を作る。誰にも殴られない、静かな研究所をね。……君にも、遊びに来てほしいな」
【コメント】動機、それ?
【コメント】自分の島
【コメント】研究所欲しいだけの宿敵
【コメント】この島の人たち、どうなるんだよ
【コメント】考えてないだろ、あいつ
俺は、硝子の目を、もう少しだけ隙間に寄せた。
部屋の隅に、灰色の制服の塔番が、腰を抜かして座り込んでいるのが見えた。俺がここまで来られたのは、あの人が持ち場の入口を離れて、上で腰を抜かしていたからだ。ありがとう、塔番。
そのとき、コメント欄が、急にざわついた。
【コメント】ユキト
【コメント】ユキト、ちょっと
【コメント】今、お嬢の配信見てる奴いる?
【コメント】お嬢、三番通りで板見てる
【コメント】板に映ってるの、その塔だぞ
【コメント】お嬢の配信に、ユキトのいる塔が映ってる
【コメント】爆破お嬢様が見てるぞ
「……は?」
声が、出た。小声じゃなかった。慌てて、口を押さえる。
【コメント】声でかい
【コメント】ユキト逃げろ
【コメント】お嬢、黙った
【コメント】黙ったらやばいやつ
【コメント】三十秒数えてるって
【コメント】選挙のとき、板見てるだけで台の裏が吹っ飛んだだろ
【コメント】逃げろって!!
知ってる。
知ってるよ。俺だって、あのお嬢の切り抜きは、全部見てる。板を見てるだけで、板の向こうが吹っ飛ぶ。どうやってるのかは、誰にも分からない。分からないけど、起きる。
ここは、板の向こうだ。
俺は、踊り場から、階段を転がるように下りた。手すりを掴む。離す。掴む。一階分。もう一階分。
硝子の目が、壁と天井と自分の靴を、ぐるぐる映した。
【コメント】画面酔う
【コメント】いつものユキト
【コメント】あと十!
【コメント】五!
二階分下りたところで、足を滑らせて、踊り場に腹ばいに倒れた。
頭の上で、世界が白くなった。
音は、少し遅れて来た。
階段の上から、白い石の粉が、滝みたいに降ってきた。天井が、みしみしと鳴った。俺は、硝子の目を胸に抱えて、頭を抱えて、ひたすら丸くなっていた。
……静かになった。
そっと、顔を上げる。
さっきまでしゃがんでいた踊り場から上が、まるごと、なかった。階段が、空の途中で、ぷつりと終わっていた。青い空が、見えた。
【コメント】……
【コメント】生きてる?
【コメント】ユキト!
【コメント】塔のてっぺん、なくなってる
【コメント】二階分下りてなかったら、拠点の寝台だったな
【コメント】お嬢の三十秒に、二階分で勝った男
「……生きてます」
自分の声が、ひどく掠れていた。
「生きてます。……てっぺん、ないです」
硝子の目を、空に向ける。
崩れた階段の先、空中に、黒い殻がひとつ、浮いていた。ぴしりと割れて、白衣が、何事もなかったように出てくる。親石は、まだそこにあった。黒い泡も。
そして、瓦礫の中から、銀色の腕が突き出した。
煤まみれの金ピカが、空中の硝子の目に向かって、何か叫んでいた。ここまでは、聞こえなかった。
【コメント】オブシディアン、また無傷
【コメント】金ピカ、なんか叫んでる
【コメント】三歩横どころじゃない、って言ってたらしい
【コメント】ニュースで流れてた
【コメント】金ピカ、完全に誰が撃ったか分かってる
足もとが、また、ぐらりと揺れた。
さっきより、大きく。
俺は、崩れた壁の穴から、外を覗いた。
隣の島が、見えた。さっきまで、この塔と同じくらいの高さに見えていた、隣の島の白い塔のてっぺんが――今は、少しだけ、見上げる位置にあった。
「……皆さん」
俺は、もう一度、声を喉の奥で潰した。
「この島、下がってます」
【コメント】下がってる?
【コメント】沈んでる
【コメント】隣の島と比べたら分かる
【コメント】ニュース、まだそれ言ってないぞ
【コメント】ユキトの方が先に気づいた
【コメント】これ、落ちるのか?
塔の上の方で、オブシディアンが、笑っていた。
その声だけは、なぜか、ここまで、よく聞こえた。




