第121話お空の島は、傾くものですのね
足もとの石畳が、またひとつ、きしんだ。
今度は、気のせいではなかった。
屋台の台から、橙色の果物がひとつ転がり落ちて、ころころと通りを転がっていった。島の真ん中とは、反対の方へ。島の縁の方へ。
【コメント】果物、転がってる
【コメント】傾いてる
【コメント】島が傾いてる!?
【コメント】三番通り、坂になってきた
「……呼んでるんだ。あの石で」
宝石商の方が、黒い石の欠片を払いながら、わたくしの隣に来ていた。顔が、真っ白だった。
「呼んでいる、ですの?」
「あの青い石は、宝石じゃない。浮き石だ。この島の親石から欠いた、子石だよ」
宝石商の方は、震える声のまま、続けた。
「浮き石ってのはな、米粒ほどのかけらが数粒あれば、帆船が一隻、空を渡れる。浮遊艇の心臓に入ってるのも、そのくらいのもんだ。……こぶし大なんてのは、化け物だよ。売り物になんか、できやしねえ。うちの店で、代々、守り石として飾ってきたんだ」
【コメント】米粒で船が浮くのに
【コメント】こぶし大(化け物)
【コメント】昨日乗った帆船も、米粒数粒で浮いてたのか
【コメント】そりゃ盗むわ。買えないんだもん
【コメント】いや盗むなよ
宝石商の方は、島の真ん中の、白い塔を指さした。
「あの塔の真下、島の底の底に、この島をまるごと浮かせてる親石が眠ってる。塔のてっぺんの部屋で子石を鳴らせば、親石が応える。……そういう言い伝えだ。鳴らし方なんて、誰も知らねえはずだった」
「あの方は、ご存じでしたのね」
「前に、別の島で同じことをやりかけて、英雄に止められたって聞いた」
「まあ。お二人とも、お付き合いが長うございますのね」
隣で、腰まで黒い石に埋まったゲイリー様が、低く唸った。
「感心してる場合じゃねえよ、お嬢ちゃん……!」
【コメント】ゲイリーがツッコミに回った
【コメント】動けない者同士の会話
【コメント】お付き合い、って言い方が呑気すぎる
通りの店先の映像の板が、一斉に、白い塔を映し出した。
『――ご覧ください! 市場の島の中央塔です! ドクター・オブシディアンが、塔の中へ! 浮き石の間に、立てこもっています!』
硝子の目が、てっぺんの割れた窓の外まで寄っていった。窓越しに、丸い部屋が映っていた。
床の真ん中に、井戸のような大穴が開いていた。その穴の上に、人の背丈よりも大きな、淡い青の石が浮いていた。ゆっくりと回りながら、内側から光っている。島の底から呼び上げられた、親石だ。
その石を、黒い泡が、下から少しずつ包んでいた。
石の前で、オブシディアン様が、盗んだ青い宝石を掲げていた。宝石と親石が、同じ速さで、脈を打つように光っていた。
部屋の入口で、スターグリント様が、黒い盾を殴り続けていた。
殴るたびに、盾は砕ける。砕けたそばから、次の盾が生える。銀の拳が、目に見えて遅くなっていた。
『英雄スターグリント、苦戦しています! 十年の因縁、今日こそ決着なるか!』
【コメント】アリア、ずっとテンション高い
【コメント】それどころじゃない
【コメント】金ピカ、疲れてきてる
【コメント】親石、もう塔のてっぺんまで上がってきてる
【コメント】島の底から抜けたから、傾いてるのか
【コメント】もう、半分以上、泡に包まれてる
足もとが、ぐらりと揺れた。
通りが、もう一段、傾いた。
黒い像の足もとで、石畳が、継ぎ目ごとめくれた。像にされたままの方々が、剥がれた石ごと、ひとかたまりになって、ずるずると島の縁の方へ滑りはじめた。
スタロ様が、光の足場を蹴って、その前に回り込んだ。両腕を広げて、滑ってくる黒い像を、まとめて受け止める。蛍光の線が、強く明滅した。
「誰か! 縄!」
「――ある!」
小夜さんが、石段に置いていた袋を片腕に抱え直して、果物屋の方の屋台の柱から、縄をほどいていた。今朝、スタロ様が骨組みを縛るのに使った縄だった。
果物屋の方と宝石商の方が、それを受け取って、黒い像を一体ずつ、屋台の柱に繋いでいく。
【コメント】今朝の屋台の縄
【コメント】スタロが作った屋台が、今度はみんなの杭になってる
【コメント】作っといてよかった
【コメント】小夜ちゃん、判断早い
小夜さんが、縄の端を握ったまま、こちらを振り返った。
「瑠璃華も! 繋ぐから、こっち――」
「ご心配なく。わたくし、足もとはしっかりしておりますの」
わたくしの膝から下は、黒い石の中で、石畳にがっちりと縫い止められていた。
「……それ、しっかりしてるって言わないから」
「お嬢様は、いつでも、揺るがないものですわ」
隣で、ゲイリー様が、腰の黒い石を見下ろして、ぼそりと言った。
「……この泡、今だけはありがてえな」
【コメント】固められてるのが、命綱になってる
【コメント】お嬢とゲイリーだけ、微動だにしない
【コメント】揺るがない(物理)
【コメント】オブシディアンに感謝する日が来るとは
わたくしは、映像の板を見上げていた。
丸い部屋。黒い泡。その入口で、拳を振るう銀の背中。
部屋の隅に、塔の番をしていたらしい、灰色の制服の方がひとり、腰を抜かして座り込んでいた。泡と英雄の戦いを、目を見開いて見つめていた。
柔らかい目だった。
スタロ様は、通りの縁で、黒い像を受け止めていた。指をさすどころではなかった。
わたくしは、黙って、三十を数えはじめた。
【コメント】お嬢、板見てる
【コメント】まさか
【コメント】板の中を……?
【コメント】選挙の時の、あれか
【コメント】画面越しは、仕様で無理なはずなんだよ
【コメント】なのに、できてる
【コメント】やめろ、塔ごといったら島が――
【コメント】黙った
二十九。
板の中の、灰色の制服の方の目を、お借りした。
――丸い部屋。黒い泡に大半を包まれた、青い石。その前の、白衣の背中。
三十。
板の中が、白く光った。
ひと呼吸遅れて、島の真ん中から、音が届いた。
白い塔の、てっぺんの三分の一が、まるごと消えていた。
光の粒が、いくつか、塔の上の空へ昇っていった。
【コメント】撃った
【コメント】塔が
【コメント】板越しに、塔のてっぺん
【コメント】選挙の時と同じだ
【コメント】いや、規模が違う
島が、大きく揺れた。
傾きが、戻ったように見えた。
けれど、ほんの一瞬だった。次の瞬間には、島はさっきよりも深く、縁の方へ傾いていた。屋台の柱に繋いだ縄が、ぎしぎしと鳴った。
【コメント】悪化した
【コメント】お嬢、悪化させた
【コメント】塔のてっぺんが落ちて、重心が
【コメント】最悪の手助け
映像の板の中で、煙が晴れていった。
崩れた塔の上に、黒い殻がひとつ、浮いていた。割れて、白衣が出てきた。手袋の中の青い宝石も、宙に残った親石も、無事だった。泡は、親石のほとんどを包み込んでいた。
【コメント】……真ん中に一人だけ残るやつ
【コメント】よりによってヴィランが残った
【コメント】残すならヴィラン以外にしてくれ!?
【コメント】なんでそこ残したの
【コメント】いや、残したんじゃなくて殻だろ
瓦礫の中から、銀色の腕が突き出した。
スターグリント様が、瓦礫を跳ねのけて立ち上がった。白い歯が、煤で黒くなっていた。
スターグリント様は、宙の硝子の目を、まっすぐに睨んだ。
『……市民! 三歩横どころではないぞ、今のは!』
【コメント】金ピカにバレてる
【コメント】三歩横どころではない
【コメント】撃ったのがお嬢だって、分かってるんだな
【コメント】そりゃ分かる
「まあ。スターグリント様、お元気そうで、何よりですわ」
わたくしは、日傘を傾けて、映像の板の中の煤けた英雄に、小さく会釈をした。
足もとで、黒い石が、またきしんだ。




