第117話空の上でも、行き止まりにしておきましょうか
三番通りに、とん、とん、と木槌の音が響いていた。
果物屋の方の、敷き布の横だった。スタロ様が、木の柱を四本立てて、その上に横木を渡している。屋台の骨組みだ。
果物屋の方は、橙色の果物を並べながら、何度もスタロ様の方を振り返っていた。
「兄ちゃん、横木くらい、あとは俺がやるって」
「いい。どうせ、今日は暇だ」
【コメント】おはよう
【コメント】スタロが屋台作ってる
【コメント】金ピカが蹴った屋台、スタロが建て直してる
【コメント】いつから建ててんだ
【コメント】おっちゃん、何回振り返るんだ
ゆうべ、宿に戻ってから、スタロ様は朝まで姿を見せなかった。
朝になって通りに来てみたら、こうなっていたのだ。
わたくしは、日傘を差して、果物屋の方の向かいの石段に腰を下ろした。
小夜さんは、丁子屋で買った二つの袋を胸に抱えて、わたくしの隣に座っていた。黒胡椒と、赤い粒胡椒。
「スタロ、ああいうの、上手だね」
「スタロ様は、何でもおできになりますのね」
「……あなたが壊して、スタロが直すの、もう見慣れちゃった」
「今日の屋台は、わたくしではございませんわ」
「知ってる」
*
通りの少し先で、硝子の割れる音がした。
宝石商の飾り窓だった。
分厚い硝子が、内側から、黒いもので押し割られていた。黒い泡のようなものが、飾り窓いっぱいに膨らんで、それから、石のように固まっていく。
「――泥棒っ!」
店の中から、主人の方が転がり出てきた。
その脇を、白い影がすり抜けた。
白衣だった。裾の焦げた、長い白衣。顔には、黒く光る石を削り出したような仮面。目のところだけが、細く切れていた。
手袋の手のひらに、こぶし大の青い宝石が、ひとつ載っていた。
昨日の朝、宿の食堂の板で聞いた名前を、わたくしは思い出していた。黒曜石の仮面。スターグリント様の宿敵だという、ドクター・オブシディアン様。
【コメント】え
【コメント】黒曜石の仮面
【コメント】ニュースで言ってた、金ピカの宿敵!
【コメント】ドクター・オブシディアン
【コメント】宝石泥棒してる
【コメント】飾り窓、黒い泡で割ったのか
オブシディアン様は、通りの真ん中を、こちらへ向かって駆けてきた。
スタロ様が、木槌を放り出して振り返った。
「待て!」
オブシディアン様は、振り返りもせずに、白衣の袖から黒い硝子玉をひとつ放った。
玉は、スタロ様の足もとで割れた。
割れたところから、黒い泡が、どっと噴き出した。泡は、あっという間に固まって、スタロ様の両足と、建てかけの屋台の柱を、石畳ごと包み込んだ。
柱が、ぐらりと傾いた。その下に、果物屋の方がいた。
スタロ様は、追わなかった。
両腕で、傾いた柱を抱きとめた。左の手には、白い布が巻いてあった。
【コメント】足、固められた
【コメント】柱が倒れる
【コメント】スタロ、柱を支えた
【コメント】追うより、おっちゃん守る方を取った
【コメント】そういう奴なんだって(二回目)
オブシディアン様は、そのまま、わたくしの目の前を駆け抜けていった。
日傘の縁が、白衣の風で、ふわりと揺れた。
わたくしは、振り向かなかった。
「お嬢様は、殿方を追いかけたりはいたしませんの」
【コメント】あ
【コメント】それ
【コメント】初配信のやつ
【コメント】初配信と同じこと言った
【コメント】古参、震えてる
それから、ようやく、肩越しに通りの先を見やった。
三番通りは、まっすぐに島の縁まで続いていた。その先に、白い石の渡り橋が一本、隣の島へ向かって、空の上に架かっている。渡り橋の向こう端には、白い門の塔が立っていた。
オブシディアン様の白衣が、ずいぶん小さくなっていた。速い。
「スタロ様。三十秒、お待ちいたしますわ」
「待て、今は――」
スタロ様は、柱を抱いたまま、動けなかった。
黒い泡は、靴の上で、石のように固まっていた。
十。
オブシディアン様の白衣が、島の縁を越えた。渡り橋の上を、空の真ん中へ向かって駆けていく。
二十。
渡り橋の真ん中あたりで、白衣が、ちらりとこちらを振り返った。
その向こうに、門の塔。塔の窓に、門番の方らしい人影がひとつ。
柔らかい目だった。
その目を、お借りした。
――窓の下の、渡り橋。駆けてくる白衣。笑ったような、黒い仮面の細い切れ目。手袋の中の、青い光。
三十。
「……あちらは、行き止まりにしておきましょうか」
渡り橋の向こう端が、白く光った。
【コメント】あ
【コメント】門の塔
【コメント】塔がない
【コメント】渡り橋、向こう半分落ちた
【コメント】初配信の拡大版
【コメント】ビル一棟どころじゃない
【コメント】宿敵ごといったな
ひと呼吸遅れて、音が届いた。
煙が、空の風にゆっくりと流されていく。
渡り橋は、空の真ん中で、ぷつりと途切れていた。その先には、何もなかった。門の塔も、向こうの島の端の家並みも、ひとかじり分。光の粒が、いくつも空へ昇っていった。
途切れた橋の、切れ端に。
黒い、丸いものが、ひとつ残っていた。
大人ひとりがすっぽり入るくらいの、黒い石の殻だった。表面が、濡れたようにつやつやと光っている。煤のひとつも、ついていなかった。
【コメント】……なにあれ
【コメント】黒い卵?
【コメント】さっきの泡だ
【コメント】泡で自分を包んだのか
【コメント】待って
【コメント】待って待って
殻に、細い亀裂が走った。
ぱきり、と乾いた音がして、殻が、花びらのように外へ割れて落ちた。
オブシディアン様が、立っていた。
白衣は、さっきと何も変わらないように見えた。手袋の中で、青い光が揺れていた。
【コメント】効いてない!?
【コメント】無傷
【コメント】お嬢の爆破、初めて防がれた
【コメント】嘘だろ
【コメント】これが金ピカの宿敵か
【コメント】そりゃ、金ピカが何年も捕まえられないわけだ
オブシディアン様は、途切れた橋の先の、何もない空を、ちらりと振り返った。
それから、こちらへ向き直った。仮面の細い切れ目が、まっすぐに、わたくしの日傘へ向いていた。
白衣の裾をつまみ、芝居がかった仕草で一礼した。
「見事な花火だ、お嬢さん。実に、興味深い」
よく通る、乾いた声だった。
「だが、私の泡は、火では割れない。……さて、帰り道がなくなってしまったな」
男は、一歩、こちらへ踏み出した。
白衣の袖から、黒い硝子玉が、ひとつ、ふたつ、みっつ。指の間に挟まれて、朝の光をはね返した。
「では、こちらから参ろうか」
わたくしは、日傘の陰で、小さく首を傾げた。
「まあ。丈夫な方ですのね」
【コメント】お嬢、動じてない
【コメント】丈夫な方(感想)
【コメント】いや、もうちょっと動じて
【コメント】これ、始まるぞ
頭の上の高いところで、腹に響く低い音がした。
雲が、まっすぐに割れた。その穴から、銀色の胸甲が、光の尾を引いて降ってくる。
「――オブシディアンッ!」
オブシディアン様が、空を見上げた。
仮面の細い切れ目の奥で、何かが、楽しそうに細くなった。
「やあ、スターグリント。今日は、少し遅かったね」




