第114話どちらのお店で、お買い物なさいますの?
市場の島に着いたときには、通りの灯りがひとつ、またひとつと点りはじめていた。
白い石の通りの両側に、店がぎっしりと並んでいる。軒先の灯りは、提灯ではなく、硝子の玉の中で青白く光っていた。干した果物の甘い匂い。焼いた肉の煙。知らない国の言葉で書かれた札。
三番通り、と彫られた角の石を、小夜さんが指でなぞった。
「ここ、ニュースで映ってたとこだ」
【コメント】三番通り
【コメント】金ピカ(スターグリント)が強盗やっつけたとこ
【コメント】両替所、ちゃんと直ってるな
両替所の硝子の扉は、何事もなかったように、ぴかぴかと灯りを映していた。
その数軒先に、ぽっかりと空いた場所があった。
屋台が一台、入りそうな幅。石畳に、四角く日焼けの跡だけが残っている。その跡の上に敷き布が一枚敷かれて、前掛けの年配の方が、橙色の果物を並べていた。
【コメント】あ
【コメント】果物屋のおっちゃん
【コメント】屋台、まだ戻ってない
【コメント】……そっか、あれ蹴ったの金ピカだもんな
【コメント】ござで商売してる
スタロ様が、足を止めた。
しばらく敷き布の前に立っていて、それから、果物をひとつ買った。銭を渡すとき、何か言いかけて、やめたように見えた。
「まあ。スタロ様、お腹が空いていらしたの?」
「……ああ」
スタロ様は、買った果物を、食べずに手の中で持っていた。
【コメント】スタロ、屋台のこと気にしてる
【コメント】壊したのはスタロじゃないのにな
【コメント】そういう奴なんだよ
*
香辛料問屋は、三番通りの外れにあった。
古い二階建てだった。白い石の街の中で、そこだけ、黒ずんだ木の柱と瓦の屋根が残っている。看板には、墨で、丁子屋とあった。
暖簾をくぐる前から、鼻の奥がつんとした。
「すごい匂い」
「良い匂いですわ」
店の中は、思っていたより広かった。
そして、真ん中で、きっちり二つに分かれていた。
土間の真ん中に、縄が一本、張られている。天井の梁から床まで、まっすぐに。
縄の左側には、黒ずんだ木の棚。古い壺が隙間なく並んで、どれにも、色の褪せた紙の札が貼ってある。帳場には、四十歳ほどの、眉の太い男の方。
縄の右側には、真新しい硝子の棚。色とりどりの粒が詰まった硝子の瓶が、灯りを受けてきらきらと光っている。帳場には、男の方とよく似た眉の、若い女の方。
【コメント】店が半分こ
【コメント】縄で区切ってる
【コメント】左が古い店、右が新しい店
【コメント】眉が同じ
【コメント】兄妹だな、これ
壁に、紙が一枚、貼ってあった。
震えた筆の字だった。
――跡目は、月の終わりまでに、多くの客を得た方に。
紙の下に、板が二枚。左の板にも右の板にも、客の数を数える墨の線が、五本ずつ束ねて並んでいた。
数えてみると、どちらも同じ数だった。
【コメント】遺言か
【コメント】跡目=跡継ぎな。客を多く取った方が店を継ぐ
【コメント】板の線、同点じゃん
【コメント】月の終わりって
【コメント】月の終わりって、いつ
「いらっしゃい」
左の帳場から、兄の方が、低い声で言った。
同じ瞬間に、右の帳場から、妹の方が、明るい声で言った。
「いらっしゃいませ!」
二つの声が、縄の真上でぶつかった。
兄の方が、縄の向こうの硝子の棚を、顎で指した。
「どこから流れてきたかも分からねえ、名前も読めねえ粒ばっかり並べやがって。親父が見たら泣くぞ」
「お父さんが最後に褒めてくれたの、わたしの瓶だったけど」
「……あれは、親父が熱で目がかすんでたんだ」
「兄さんの壺、先月から一度も蓋が開いてないでしょ。中で湿気てるんじゃないの」
兄の方が、黙って、いちばん手前の壺の蓋を、わざわざ開けてみせた。
黒い粒の、乾いた良い匂いがした。
【コメント】兄妹げんか
【コメント】古いのと新しいの
【コメント】壺の蓋開けて反論するの、職人だな
【コメント】どっちも親父のこと好きなんだな、これ
小夜さんが、前掛けの隠しから、鈴村さんの書き付けを取り出した。
「えっと……黒胡椒を、ひと袋。それと……」
小夜さんは、書き付けに目を近づけた。
「赤い、粒の。……なんとか胡椒。上で新しく入ったやつ、って書いてある」
兄の方の眉が、ぐっと寄った。
妹の方の眉が、ぱっと上がった。
「黒胡椒なら、うちだ。先代の、そのまた先代からの仕入れ先だ。こっちの棚にしかねえ」
「赤い粒なら、うちです! つい先月、ようやく入ったばかりの。兄さんの棚には、一粒もありません」
【コメント】あー
【コメント】一個ずつ、別々の側にしかない
【コメント】両方買ったらどうなるの
【コメント】赤い粒胡椒、海外サーバーで流行ってたやつか
【コメント】ああいうの、だいたい半年遅れでこっちに来るよな
「では、お二つとも、それぞれでお買い求めになれば」
わたくしが言うと、兄の方と妹の方が、同時に首を振った。
「客一人につき、線は一本だ」
「片方で一つでも買ったら、その方のお客です。決まりなので」
「月の終わりは、明日だ」
「明日です」
二人の目が、小夜さんに集まった。
板の線は、同じ数。
小夜さんは、書き付けを握ったまま、固まっていた。
「……え。わたし?」
【コメント】小夜ちゃんの買い物で跡目が決まる
【コメント】責任重すぎる
【コメント】胡椒買いに来ただけなのに
【コメント】小夜ちゃんの行く先、また揉めてる
【コメント】やめろって、それ
わたくしは、両手を胸の前で合わせた。
「まあ。小夜さんのお買い物で、お店の跡継ぎの方がお決まりになりますのね」
「決まらないよ! 一人だよ、わたし!」
「一人でも、一人は一人だ」
「お一人で、十分なんです」
兄の方と妹の方の声が、また重なった。
小夜さんは、助けを求めるように、わたくしの方を見た。それから、戸口の方を見た。
戸口の脇のスタロ様は、果物を手に持ったまま、黙って梁の縄を見上げていた。
「……ねえ、これ、鈴村さん知ってて頼んだのかな」
「鈴村さんは、串屋さんですもの。上の問屋さんのお家の事情まで、ご存じのはずがございませんわ」
「……だよね」
【コメント】串屋が知ってるわけない
【コメント】上の問屋の跡目争いとか、下の人間に分かるかよ
小夜さんが、口を開きかけたときだった。
暖簾が、外から乱暴に払われた。
入ってきたのは、男の方が四人。腰に痺れ棒、袖をまくった太い腕。二人は縄の左へ、二人は縄の右へ、それぞれの帳場の脇に、黙って並んだ。
頭の上に、賞金首の赤い札は出ていなかった。
【コメント】なんか来た
【コメント】左右に二人ずつ
【コメント】兄も妹も用心棒雇ってる
【コメント】客を取り合う店に用心棒って、何に使うんだよ
【コメント】相手の客を脅して帰らせるためだろ
兄の方が、気まずそうに咳払いをした。妹の方は、目を逸らした。
どちらも、何も言わなかった。
そこへ、もう一人、暖簾の向こうから、大きな影が身を屈めて入ってきた。
熊の毛皮の胴着。腰に、ずっしりと重そうな銭袋。
「……よう」
ゲイリー様は、わたくしと小夜さんを見て、縄の左側の用心棒の列の端に、気まずそうに並んだ。
「手配書の獲物を追って、こっちの島に来たんだが……日当が、良かったんだよ」




