第113話お空にも、追い剥ぎの方がいらっしゃいますのね
上層の朝は、今日も壁が喋っていた。
宿の食堂の壁にはめ込まれた、映像の板からだ。
『――おはようございます、エバーポートNEWS、美城アリアです。今朝の見出しです。浮遊艇の運転士の皆さんの座り込みは、本日も続いております。式典の会場となった庭園の島は、片付けのため、本日も立ち入りできません。それから、銀行の島の噴水に、迷子の小さな浮き石が流れ着き、ただいま持ち主を探しています。……それでは、本日のオススメニュース! 研究所の島から。スターグリントの宿敵、黒曜石の仮面の科学者ドクター・オブシディアンが、昨夜もまた警備の網をすり抜け、姿を消しました! 研究所の硝子の目が捉えた、逃走の瞬間を――ChECk☆it☆OuT☆!』
板に映る景色が、割れた天窓に切り替わった。白衣の裾が、一瞬だけ横切って、消えた。
【コメント】おはよう
【コメント】迷子の浮き石、かわいい
【コメント】宿敵いるんだ
【コメント】黒曜石の仮面
【コメント】オススメの映像、二秒
【コメント】一瞬すぎて何も見えん
わたくしは、白いパンをちぎりながら、食堂の卓を見回した。
鈴村さんと、小夜さん。それから、卓の端にスタロ様がいた。ゆうべ、ずいぶん遅くに戻っていらしたらしい。いつものように壁にもたれるのではなく、椅子に座って、カップを両手で包んでいた。板の方は、一度も見なかった。
あの板には、きのうの式典から何度も、スターグリント様の白い歯が映っていた。
「スタロ様。ゆうべは、どちらにいらしたの?」
「……少し、跳んでた」
「まあ。夜のお散歩ですのね」
「……ああ」
【コメント】スタロ帰ってきてた
【コメント】会話、三往復で終わった
【コメント】板、見ないようにしてる
【コメント】昨日、降参した奴を島の縁で始末したやつ、まだ引きずってるな
鈴村さんが、カップを置いた。
「皆さんに、ひとつお知らせが。昨夜、役所から使いがございまして。下町の暮らしについて、もう少し詳しく聞かせてほしい、とのことです。……一週間ほど、こちらで足止めになりそうです」
「まあ。では、上層のお茶を、もう一週間いただけますのね」
「そうなりますね」
鈴村さんは、穏やかに笑って、懐から、小さな書き付けを取り出した。買う品を書いたメモだ。
「それで、小夜さん。ひとつ、お使いを頼めますか。市場の島に、古くからの香辛料問屋がございまして。せっかくですから、上の香辛料を、一度串に使ってみたいのです」
「いいよ。何を買えばいい?」
「ここに書いておきました。私は、あの白髪の運転士さんの艇で、役所の島へ参ります。市場の島へは、今日は帆船が出るそうですよ。帆船は遅いと聞きますので、今夜は、向こうで宿をお取りください。明日の便で戻ってくだされば、十分です」
小夜さんは、書き付けを受け取って、前掛けの隠しにしまった。
それから、卓の端を見た。
「スタロも、来る?」
スタロ様は、少しだけ間を置いて、頷いた。
*
帆船は、思っていたよりずっと古かった。
木の船体に、三本の帆柱。帆は継ぎだらけで、日に焼けて飴色になっていた。船底に浮き石が埋めてあるらしく、桟橋の脇の空中に、波もないのに、ゆったりと揺れながら浮いている。
甲板は、人でいっぱいだった。
「浮遊艇がストで止まった途端に、これだ」
舵輪の前で、日に焼けた年配の船長さんが、満足そうに鼻を鳴らした。
「甲板がこんなに埋まったのは、いつ以来だろうな。帆船は遅い、古い、って笑ってた連中が、みんな頭を下げて乗ってきやがる」
【コメント】船長、うれしそう
【コメント】ストのおかげで満席
【コメント】久々の満員御礼
【コメント】この船、無事に着いてほしい
【コメント】お嬢が乗ってる時点で無理では
帆が風をはらんで、船は、島と島のあいだの空へ滑り出した。
足もとのずっと下を、雲が流れていく。小夜さんは、手すりから身を乗り出しかけて、すぐに引っ込めた。スタロ様は、ひとりで船尾に立って、遠ざかる桟橋を見ていた。
しばらく進んだところで、雲の下から、白い舟が一隻、浮かび上がってきた。
帆も櫂もない、平たい浮遊艇だった。ただ、舵の前に立っているのは、紺の制服の運転士ではない。革の外套に、鋲を打った胴着の男たちが、七人。
「……あれ、うちの組合の艇だ」
誰かが、呆然と言った。
「ストで、市場の島の乗り場に置きっぱなしにしてたやつだ」
浮遊艇が、帆船の横腹にぴたりと並んだ。鉤のついた縄が、何本も飛んできて、手すりにがちりと引っかかった。
【コメント】空賊だ
【コメント】ストで空いてる艇、盗まれてる
【コメント】そりゃ置きっぱなしならな
【コメント】下町の賞金首ランキング二位の
【コメント】歓楽街の追い剥ぎ!
【コメント】上に来て空賊に転職してる
【コメント】賞金首って、乗り場の審査で止められるんじゃ
【コメント】生活の顔で上がって、上の拠点で着替えたんだろ
縄を伝って最初に乗り込んできたのは、痩せた男だった。
指という指に、色の違う指輪がはまっている。どれも、持ち主の指の太さに合っていないように見えた。
「はいはい、お客さん方。財布と指輪を、この袋へ。順番にな」
男は、麻袋の口を広げて、甲板をゆっくりと歩き出した。
「いやあ、帆船は助かるよ。遅いから、追いつくのが楽でさ」
舵輪の前で、船長さんの顔が赤くなった。
追い剥ぎの手下の一人が、乗客の列のあいだを回っていく。小夜さんの前で、足を止めた。
その指が、小夜さんの首もとへ伸びた。
「お、いいもん下げてるな。それも――」
小夜さんが、首飾りを、両手で握りしめた。
わたくしは、日傘を、肩から下ろした。
「スタロ様。三十秒、お待ちいたしますわ」
言い終わる前に、船尾で、白い装甲の線が灯った。
【コメント】三十秒
【コメント】小夜ちゃんの首飾り狙った
【コメント】それはまずい
【コメント】お嬢、声のトーン、ちょっと低くなかった?
【コメント】五
スタロ様は、小夜さんの前の空賊の手首を掴んで、甲板に引き倒した。
追い剥ぎの男が、舌打ちをして、袋を放り出した。残りの空賊たちが、光の刃や光線銃を抜いて、スタロ様を囲む。
十。
青い筋が、四方から走った。
スタロ様は、囲みの真ん中にはいなかった。船尾の手すりを蹴って、帆船の外の、何もない空へ出ていた。
光線が、さっきまでスタロ様のいた所で交差して、甲板の板を焦がした。空賊たちが、手すりに駆け寄って、外を覗き込む。
【コメント】落ちた!?
【コメント】下だ、船の腹の外
手すりの外で、六角形の光が、点々と灯っていった。船尾から船首へ。手すり越しに見えるのは、その光だけだった。
覗き込んだ一人が、手すり越しに銃口を下へ向けた。青い筋が一本、まっすぐに下へ走って、すぐに斜めに跳ね返り、帆の上の空へ抜けていった。
船首の手すりの上に、白い影が跳ね上がった。
囲みは、もう、囲みではなかった。空賊たちは、全員、船尾の側の手すりに張りついて、外を覗いていた。その背中に向かって、スタロ様は、甲板を一直線に駆けた。
ひとり目の光の刃を、柄ごと蹴り上げる。ふたり目の光線銃を、銃身を掴んでひねって奪い、雲の下へ放る。三人目が振り向いて撃った青い筋を、身を沈めてくぐる。その低さのまま、肩で足を払った。
【コメント】一周してきた
【コメント】覗いてる間に後ろ取られてる
【コメント】十五
乗客の方々が、悲鳴を上げて、船首の方へ逃げていく。
スタロ様は、倒した空賊たちと乗客の方々のあいだに立って、両腕を広げた。
その指は、どなたにも向いていなかった。
二十。
追い剥ぎの男が、手すりを乗り越えて、浮遊艇の方へ飛び移ろうとしていた。艇の上には、まだ仲間が残っているはずだった。けれど、帆船の手すりの陰に隠れて、わたくしの立つところからは、艇は見えなかった。
いちばん前の帆柱のてっぺんに、見張りの船員さんがいた。
柔らかい目だった。
その方の目を、お借りした。
――白い艇。舵の前の二人。手すりを跨いだ男の、指輪だらけの手。それから、艇と帆船のあいだに張られた、何本もの縄。
三十。
白い光が、浮遊艇と、張られた縄ごと弾けた。光は、帆船の横腹までかかっていた。
【コメント】うわ
【コメント】艇ごと
【コメント】近すぎた
【コメント】帆船の横腹も
【コメント】前の帆、燃えてる
【コメント】三十ちょうど
空賊の方々が、光の粒になって、いくつも、雲の上へ昇っていった。
浮遊艇は、なかった。艇の並んでいた側の手すりが、半分ほどの長さ、まるごと消えていた。いちばん前の帆柱が、根元から、ゆっくりと傾いていく。燃えた帆の切れ端が、ひらひらと、雲の下へ落ちていった。
船が、大きく傾いた。
船首で身を寄せ合っていた乗客の方々が、甲板に伏せたまま、残った手すりにしがみついた。
帆柱のてっぺんにいた見張りの方が、宙に放り出された。
スタロ様が、手すりの消えたところから、空へ飛び出した。光の足場が、雲の上に、一枚、また一枚と灯る。見張りの方を抱えたまま、白い影は、ずいぶん長いあいだ、雲の上を跳ねていた。
【コメント】スタロ!
【コメント】落ちた人、拾った
【コメント】雲の下まで行く気かと思った
【コメント】ゲイリーいたら泣いてたな、ランキング二位の首
*
傾いた甲板に、スタロ様が戻ってきた。
見張りの方を、そっと甲板に下ろす。見張りの方は、腰が抜けたように座り込んで、帆柱の残りを見上げていた。
「お見事でしたわ、スタロ様」
「……ああ」
スタロ様は、それだけ言って、わたくしの横を通り過ぎた。
そのまま、船尾の、さっきと同じ場所に戻っていった。
【コメント】……ああ
【コメント】それだけ
【コメント】いつもなら説教が来るとこ
【コメント】怒る元気もないのか、怒るのやめたのか
小夜さんが、首飾りを握ったまま、わたくしの隣に来た。
「……ありがと」
「何が、ですの?」
「首飾りのとき。……声、低かった」
「まあ。そうでしたかしら」
「守ってくれたのは、スタロだけど」
小夜さんは、船尾のスタロ様の背中を、ちらりと見た。
「あとで、ちゃんと言う。今は、なんか、言いにくい」
それきり、何も言わなかった。
帆を一枚なくした帆船は、そのあと、ずいぶんゆっくりと空を進んだ。
舵輪の前で、船長さんが、ぼそりと言った。
「……久しぶりの、満席だったんだがな」
市場の島の桟橋が見えてきたのは、空が茜色に染まりはじめたころだった。




