第112話閑話 名案だろ
☆ スターライトロード視点 ☆
式典の島から戻って、宿には寄らなかった。
寄ったら、瑠璃華の顔を見ることになる。見たら、俺は、たぶん何か言う。何を言っても、あいつは「まあ」と返すだけだ。
桟橋には、一度だけ顔を出した。白髪の運転士に、今夜は俺たちで見張る、あんたは寝ろ、と追い返された。寝る気には、なれなかった。
だから、上層の夜を、ただ跳んでいた。
白い塔の街の、端の方。島の縁にへばりつくように、古い一角が残っていた。下町の長屋とよく似た、石と木の、背の低い集合住宅。窓の灯りが、青白くなくて、橙色だった。
その一角の真ん中の建物を、灰色の制服の衛兵が、ぐるりと囲んでいた。
三階の窓に、人影が見えた。連射銃を構えた男が二人。その足もとに、膝を抱えて座らされている、女と、小さな子どもが二人。
囲んでいる衛兵の話し声が、屋根の上まで聞こえてきた。昼間、庭園の島を襲った組の仲間が、逃げ込んだらしい。人質は、この建物の住人の母子だという。
NPCが、NPCを、人質に取っている。
俺は、向かいの建物の屋根に降りて、しゃがみ込んだ。
衛兵は、動けずにいた。踏み込めば、銃口が子どもに向く。それに、古い建物だ。中で暴れれば、床が崩れ落ちる。下の階にも、人が住んでいる。
NPC同士の騒ぎで死んだら、誰も、戻ってこない。
*
「やあ! 昼間のヒーロー君じゃないか!」
背中から、でかい声がした。
振り向くと、銀の胸甲が、屋根の上に立っていた。昼間の金ピカだ。カメラは、ついてきていなかった。
金ピカは、俺の隣に、どすんと腰を下ろした。屋根瓦が、一枚割れた。
「見ての通りだ。困ったことになってる」
「……あんたなら、一瞬だろ」
「一瞬だとも」
金ピカは、白い歯を見せた。
「ただ、私が踏み込めば、床が落ちる。壁も崩れる。人質も、何人かは巻き添えだ。……で、私が壊したものは、戻らない」
さらりと言った。昼間の始末と同じ顔で。
「だから、衛兵どもは困ってる。私も、ちょっと困ってる。――そこで、だ」
金ピカは、指を一本、立てた。
いいことを思いついた、という顔だった。本当に、心の底から。
「名案がある」
俺は、黙っていた。
「君、プレイヤーだろう?」
「……ああ」
「なら、君がやればいい。この一角ごと、全部、吹っ飛ばせばいい」
金ピカは、両手を広げて、橙色の窓の並びを、まるごと抱えるような仕草をした。
「君がやれば、明日には全部戻る。建物も。床も。人質も。悪党も、まあ、戻ってくるが。……な? 私が壊すと戻らない。君らが壊すと戻る。だったら、君らが全部壊すのが、一番いいだろう?」
名案だろ、と、金ピカは言った。
夜風が、屋根の上を吹いていった。
三階の窓の向こうで、小さい方の子どもが、母親の腕に顔をうずめていた。
「下の街から来た、日傘の女の子がいるだろう。今日、握手した」
金ピカは、楽しそうに続けた。
「噂は聞いてる。下の街を、まるごと吹き飛ばすそうじゃないか。それでいて、頭の上に、賞金首の札ひとつ出ない。……理想的だ。君も、少し見習うといい」
*
腹の底が、冷たくなった。
あいつが撃つと、光が弾けて、粒が昇る。次の日には、戻る。
俺は、それを、ずっと「戻っても、怖かった時間は消えない」と思って見てきた。戻るからいい、とは、どうしても思えなかった。
この男は、違った。
お前らがやれば、戻る。だから、いい。自分がやれば、戻らない。だから、やらない。お前がやれ。
筋は、通っていた。
この男の立場から見れば、たぶん、どこも間違っていない。
「それから」
金ピカは、気軽な調子で、付け足した。
「それで、明日、悪党どもが戻ってきたら、そいつらの始末だけは、私に譲ってくれ。功績も、賞金も、全部君にやる。……君らが倒した悪党は、戻ってくるからな。戻ってきたところを、私がやる。そうすれば、もう二度と戻らない」
昼間の島の縁で、降参した男が、ひとつの粒になって昇っていった。
あのとき、小夜は、二歩先にいた。
俺は、立ち上がった。
「やらない」
「ん?」
「吹っ飛ばさない。譲りもしない」
金ピカが、首を傾げた。怒った顔ではなかった。本当に、分からない、という顔だった。
「じゃあ、どうするんだ」
「俺が、中に入る。吹っ飛ばさずに」
光の足場を、ひとつ、蹴った。
*
まっすぐは行けない。窓に近づく影が見えた瞬間、銃口は子どもに向く。
だから、まず、見せた。
向かいの屋根から、窓の正面の空へ、わざと大きく跳んだ。装甲の線を、いちばん明るく灯して。
窓の中で、二つの銃口が、子どもから離れてこちらを向いた。
連射の音が、古い一角に響き渡った。
弾は見えない。窓の中の、二つの銃口の向きだけを見る。上へ。足場を蹴る。いた場所を、弾の列が縫っていく。右へ。宙で体を倒して、次の足場へ転がる。蹴ったばかりの板が、背中の後ろで粉々に砕けた。窓の灯りの中で、二人の男の顔が、俺だけを追っていた。
それでいい。こっちを見ていろ。
足場を、建物の角の向こうへ出した。
角を回り込む。銃声が、一瞬、止んだ。消えた白い影を探して、二つの銃口が、窓の外の夜を彷徨う。
俺はもう、建物の裏側にいた。足場を三枚、壁沿いに縦に重ねて、駆け上がる。三階。裏の窓。中に、二人の背中が見えた。
窓を、肩で破った。
床は踏まなかった。古い床だ。踏み込めば、崩れる。部屋の中の宙に足場を一枚出して、それを踏み台に、壁際へ降りた。壁際なら、下に梁が通っている。
一人目の手首を、上から掴んで、捻る。連射銃が、床に落ちる前に蹴り上げて、窓の外へ。二人目が振り向いて、引き金を引いた。弾の列が、俺の胸を叩いた。痛い。でも、装甲が受けた。こいつの銃口は、裏の窓の方を向いている。子どもたちのいる方へは、一発も行かない。そのための入り方だった。
銃身を掴んで、天井へ向けた。残りの弾が、天井の漆喰を穿っていく。撃ち尽くすまで、離さなかった。
かちり、と鳴った。
そいつの足を払って、壁際に押さえつけた。古い床は、一度も軋まなかった。
「……大丈夫だ。もう、大丈夫」
母親が、子どもを二人抱えたまま、俺を見上げていた。
怖がっていた。俺のことも、たぶん、少し。光る線だらけの、顔のない男だ。無理もない。
二人の男を縛り上げて、階段を下りて、衛兵に引き渡した。
牢へ、と言った。衛兵は、頷いた。
建物の外に出ると、金ピカが、腕を組んで、壁にもたれていた。
「いい腕だ」
白い歯。
「だが、牢から出たら、あの二人はまた来るぞ」
「来たら、また捕まえる」
「何度でも?」
「何度でも」
金ピカは、しばらく俺を見ていた。
それから、腹の底から、笑った。
「ハーッハッハッハ! 面白いな、君は! ――次は、私が先に着く」
銀の胸甲が、夜空へ跳んでいった。
*
宿に戻ったのは、夜更けだった。
食堂の灯りは落ちていた。俺の席の前に、カップがひとつ、置きっぱなしになっていた。触ると、とっくに冷めていた。
串屋の親父が、置いていったんだろう。
冷めた茶を、ひと口、飲んだ。
あの金ピカの「名案」を、もし、あいつが聞いたら。
あいつは、たぶん、嫌な顔ひとつしない。にこにこ笑って、素敵な方ですわね、と言う。
俺は、カップを、そっと卓に戻した。




