第11話あなたが、角をなくした人?
三度目の配信は、お礼から始めることに決めていた。
拠点の扉の前で、同時視聴の数字を確かめる。九十六。
わたくしは日傘を胸の前に立て、深々と頭を下げた。
「ごきげんよう、皆様。まずは、ひとことお礼を申し上げたく存じますの。先日は、あれほどたくさんの投げ銭をいただきまして、本当にありがとうございました」
【コメント】?
【コメント】投げ銭?
【コメント】誰か投げた?
【コメント】投げてない
【コメント】俺も投げてない
【コメント】古着屋の二階です むしろこっちが見舞金をもらった側です
【コメント】三階です 同じく
流れていく文字を眺めて、わたくしは小さく微笑んだ。
どなたも、名乗り出ようとなさらない。
「奥ゆかしい方々ですのね」
【コメント】奥ゆかしいとは
【コメント】話が噛み合ってないのに本人満足してる
【コメント】いや、誰か黙って投げてんのか?
【コメント】あの額が入ってたなら相当だぞ
【コメント】額見てないだろお前ら
皆様の照れ隠しに、これ以上踏み込むのは野暮というものだ。
わたくしはもう一度だけ会釈をして、坂を下りはじめた。
今夜の行き先は、決めてあった。
坂の中ほど。戸口に鉢植えを並べた、小さな店。
この半年、拠点を出入りするたびに前を通ってきたのに、一度も中を覗いたことがなかった。鈴村さんの話を聞くまでは、そこが雑貨屋だということすら知らなかった。
人との縁こそ、最大の財産。
万里花様はそうおっしゃっていた。縁というのは、待っていても向こうからは来ないこともある。坂の中ほどの店は、わたくしを追いかけてきてはくれないのだから。
お店に入るのは、追いかけるうちに入らない。お客として伺うだけだ。
【コメント】今日はどこ行くの
【コメント】坂の途中で止まった
【コメント】雑貨屋?
【コメント】あの串屋のおっちゃんが言ってた店か
鉢植えは、どれもよく手入れされていた。葉の色がつやつやしている。軒先には色褪せた布の日よけが張られ、その下の木の看板に、かすれた字で「日向雑貨店」とあった。
扉を押すと、頭の上で小さな鈴が鳴った。
店の中は、外から見るより奥行きがあった。
棚という棚に、ありとあらゆるものが並んでいる。糸巻き、蝋燭、釘の小箱、干した香草の束、茶葉の缶、瓶詰めの飴。天井からは籠やら鍋やらが吊り下がり、隙間という隙間に、それぞれの値札がきちんと貼ってある。
古い木と、乾いた草と、ほんの少しの蜜の匂いがした。
「いらっしゃいませー」
奥の帳場から、声だけがした。
棚の陰から覗くと、娘がひとり、帳面と木箱の山に囲まれて座っていた。栗色の髪を後ろでひとつに括り、袖をまくり上げ、鉛筆を耳に挟んでいる。年のころは、わたくしと同じくらいに見えた。
娘は帳面から顔を上げた。
わたくしを見た。
ドレスを見て、日傘を見て、髪を見て、もう一度わたくしの顔を見た。
「……あ」
鉛筆が、耳から落ちた。
「あなたが、角をなくした人?」
【コメント】角をなくした人
【コメント】呼び名が増えていく
【コメント】ビルの人、角をなくした人
【コメント】次は何をなくすんだ
わたくしは、日傘を下ろして一礼した。
「九条院瑠璃華ですわ。角をなくしたのではなく、屋台をお守りしたのですけれど」
「角ごとね」
即答だった。
娘は落ちた鉛筆を拾って、もう一度耳に挟み直した。
「昨日の朝、大変だったんだから。鈴村さんとこに炭と塩を届けに行ったら、角が丸ごと瓦礫になってて。荷車が通れないから、港の方からぐるっと回って、いつもの倍かかったの。乾物屋のおじさんなんて、瓦礫の上に座って朝ご飯食べてたよ」
「まあ。それは、お気の毒でしたわね」
「他人事みたいに言う。……まあ、今朝にはもう元通りになってたけどさ。だからいいってことにはならないでしょ」
娘は、はあ、と大きく息をついて、帳面を閉じた。
「日向小夜。この店の人。……鈴村さんから聞いてるよ。串一本で角ひとつ片付けたお嬢様がいるって」
「片付けたのは、悪い方々ですわ」
「角もでしょ」
「次からは、両隣までにいたしますの」
「そういう問題じゃないんだよなあ」
【コメント】ツッコミが的確
【コメント】この子まともだ
【コメント】初めて会話が成立してる相手かもしれない
【コメント】小夜ちゃん強い
小夜さんは、頬杖をついてわたくしを眺めた。
呆れているような、面白がっているような目だった。怖がっている様子は、どこにもなかった。この街の人たちは、わたくしを見るとたいてい少しだけ身を引く。店の品物を布で隠した女将のように。小夜さんは、そうしなかった。
なんだか、それがとても新鮮だった。
「で、何か買いに来たの? それとも、うちの店も吹き飛ばしに来た?」
「お買い物ですわ。この半年、前を通るばかりで、一度もお邪魔したことがなかったものですから」
「半年? あなた、そんな前からこの坂にいたの」
「ええ。坂の上に、拠点を借りておりますの」
「全然気づかなかった。……こんな目立つのに」
小夜さんは、わたくしの髪を指さした。
わたくしは少しだけ胸を張った。四巻きにしておいてよかった。
棚を見て回るあいだ、小夜さんは帳場から出てきて、あれこれと教えてくれた。この茶葉は港の向こうの島から来たもので、香りが強いから少なめに淹れること。この蝋燭は長持ちするけれど煤が多いから、窓を開けて使うこと。この飴は子どもに人気だけれど、歯にくっつくから気をつけること。
聞いてもいないことまで、ひとつずつ丁寧に。
「お詳しいのですね」
「店番してれば覚えるよ。おばあちゃんの代からの店だし、ほとんどの品物は、昔から同じところから仕入れてるから」
わたくしは、茶葉の缶をひとつと、白い磁器の茶杯をひとつ選んだ。
小夜さんは手早く紙に包みながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば、明日は店、閉めるんだ」
「どうかなさいましたの?」
「仕入れ。鈴村さんに頼まれてさ。角が瓦礫になった日、炭がだいぶ駄目になっちゃったんだって。いい炭は工業区の方の問屋にしかないから、取りに行ってほしいって」
工業区。
港の北、煙突の立ち並ぶ一帯だ。拠点の窓から、いつも煙が見えている。一度も足を運んだことはなかった。
「おひとりで、ですの?」
「うん。いつもそうだよ。……まあ、あっちの道はちょっと柄が悪いけど、昼間なら平気――」
「ご一緒いたしますわ」
小夜さんの手が、包み紙の上で止まった。
「……は?」
「炭が駄目になったのは、わたくしがあの角で悪い方々を片付けたからですもの。お手伝いするのが筋というものでしょう」
「いや、いいよ。別に、あなたのせいだって言いたいわけじゃ」
「それに、柄が悪い道なのでしょう?」
「……それは、そうだけど」
「では、決まりですわね」
【コメント】押しが強い
【コメント】小夜ちゃん押しに弱そう
【コメント】「柄が悪い道」に反応したの絶対そっちが目的だろ
【コメント】工業区、終わったな
小夜さんは、包み終えた茶葉の缶とわたくしの顔とを、しばらく交互に見比べていた。
それから、観念したように肩を落とした。
「……朝、早いよ。鐘が六つ鳴ったら出るから」
「承知いたしましたわ」
「あと、お願いだから、問屋さんごと吹き飛ばさないでね。仕入れ先がなくなったら、うちも鈴村さんも困るから」
「善処いたしますわ」
「それ、鈴村さんが言ってた。一番信用しちゃいけない返事だって」
小夜さんは包みをわたくしの手に押しつけて、それから、ほんの少しだけ笑った。
呆れたような、仕方ないなという顔で。




