第109話ふたたびのお庭、おめでとうございます
白い浮遊艇の舵の前に、見覚えのある白髪まじりの頭があった。
「乗りな。式典だろ」
「まあ。ストは、まだ続いておりますのに」
「あんたたちの分だけだ、って言っただろ」
運転士の方は、それだけ言って、舵を倒した。
艇が、桟橋から静かに滑り出した。
【コメント】こんにちは
【コメント】スト中の運転士さん
【コメント】専属になってる
【コメント】約束守る人だ
【コメント】串一本のために
艇の上は、ずいぶん賑やかだった。
鈴村さんは、紺の上着の襟を、きちんと閉め直していた。小夜さんは、いつもの服に、いつもの前掛け。ただ、首もとの首飾りだけが、ゆうべ磨いたおかげで、朝の光をきらきらと弾いていた。
ゲイリー様は、熊の毛皮の胴着のまま、艇の縁に腰かけていた。
「……ゲイリー様も、いらっしゃいますの?」
「ご同行の皆様、って書いてあったんだろ。タダ飯が出るって聞いた」
スタロ様は、艇の後ろで、腕を組んで立っていた。
昨日、ニュースを映す板を見たあとから、ずっと、口数が少なかった。
【コメント】ゲイリー、タダ飯目当て
【コメント】正直
【コメント】毛皮で式典
【コメント】ドレスコードという概念
【コメント】小夜ちゃん、首飾りだけおめかし
【コメント】かわいい
*
庭園の島は、思っていたより、小さかった。
手入れの行き届いた芝。石畳の小径。小径の先に、水を噴き上げる噴水。いちばん奥の、島の縁ぎりぎりのところに、白い東屋がひとつ。
その東屋の脇から、細い滝が一本、空へ垂れていた。
芝の上には、白い布をかけた卓が並び、硝子の杯と、小さな菓子の皿。着飾った上層の方々が、杯を手に、あちこちで笑いさざめいていた。
わたくしは、日傘を傾けて、島をぐるりと見渡した。
どこかで、見たことがあるような気がした。
【コメント】庭園の島、思ったより小さい
【コメント】金持ちの庭だ
【コメント】滝が空に垂れてる
【コメント】菓子、ちっちゃ
東屋の前に、白い髭をたくわえた、年配の紳士が立った。
島の持ち主の方らしい。杯を軽く掲げると、芝の上のざわめきが、すうっと引いていった。
「本日は、皆様、ようこそお越しくださいました」
穏やかな、よく通る声だった。
「この島は、先だって、原因の分からぬ崩落に見舞われました。翌日には、幸い、元の姿に戻っておりましたが……島の浮力が、尽きかけていたのかもしれぬ、との見立てもございまして。念のため、今日まで閉じて、点検を重ねてまいりました」
【コメント】……崩落
【コメント】あの島か
【コメント】灯台の丘から落としたやつ
【コメント】「今のわたくしでは、あのくらいが精一杯」のやつ
【コメント】お嬢、たぶん覚えてない
【コメント】覚えてたら来ないだろ
紳士は、杯を、東屋の脇の滝の方へ向けた。島が浮いているかぎり、あの滝は止まらないのだという。
「点検の結果、浮力に何の衰えもない、とのことでございます。……本日より、この庭を、ふたたび皆様に開きます」
芝の上に、拍手が起こった。
わたくしも、手を叩いた。
心から。
「おめでとうございます。ふたたびのお庭、本当に、ようございましたわね」
【コメント】拍手してる
【コメント】満面の笑み
【コメント】最前列で
【コメント】浮力の衰えはなかった(原因は日傘)
【コメント】点検代、誰が払ったんだろうな
【コメント】小夜ちゃんの顔
【コメント】小夜ちゃん、遠くを見てる
小夜さんは、拍手をしていなかった。
わたくしの隣で、杯も持たずに、島の縁の滝を、じっと見ていた。
拍手がやんでも、滝から目を離さなかった。
*
卓のあいだを、銀の盆を持った給仕の方々が、行き来していた。
揃いの白い上着。揃いの手袋。島の外から、菓子と杯を運んできた方々らしかった。
卓の椅子にどっかりと腰を下ろしたゲイリー様が、通りかかった盆から、菓子を三つまとめてつまんだ。
スタロ様は、芝の端で、給仕の列を目で追っていた。
「……お嬢ちゃん」
「なんですの」
「この菓子、うまいけど、腹にたまらねえ」
「お行儀よく、おひとつずつ召し上がってくださいまし」
ゲイリー様は、四つ目に伸ばしかけた手を、止めた。
止めたまま、給仕の方の顔を、見上げていた。
「……おい」
ゲイリー様の声が、低くなった。
「あんた、さっきから同じ卓のまわりを回ってるだけで、俺以外の誰にも、菓子を配ってねえぞ」
【コメント】ん?
【コメント】給仕
【コメント】誰にも配ってない
【コメント】ゲイリーの目
【コメント】食い意地で気づいた
【コメント】賞金稼ぎの勘か、食い意地か
給仕の方が、にこりと笑った。
それから、盆を持っていた手を、すっと下ろした。銀の盆が芝に落ちて、からん、と鳴った。盆の陰に隠していた方の手に、銃身の短い連射銃が握られていた。
同じ音が、芝のあちこちで、続けて鳴った。銀の盆が、六つ、七つ、八つ。
「――動くな!」
白い上着の方々が、一斉に連射銃を構えた。
賞金首の赤い札は、誰の頭の上にも出ていなかった。
【コメント】給仕が全員
【コメント】札、出てない
【コメント】上層の組の連中か
【コメント】式典に紛れ込んでた
二人が、東屋の前の紳士の両腕を掴んだ。
ほかの何人かが、東屋のまわりの名士の方々を、銃口で東屋の中へ追い込んでいく。悲鳴。杯の割れる音。
給仕の頭らしい方が、紳士の首に銃口を当てたまま、声を張った。
「島の真ん中の、浮き石をもらう。鍵は、このじいさんが持ってる。……おとなしくしてりゃ、誰も落ちねえ」
給仕の頭は、紳士の背中を、東屋の中へ突き飛ばした。自分は入口の脇に立って、銃口を、東屋の中へ向けたままにした。
【コメント】浮き石
【コメント】島を浮かせてる石か
【コメント】それ取ったら、島、落ちる
【コメント】前に一回落ちた島が、また落ちる
【コメント】東屋に人質
東屋のすぐ脇の、白い薔薇の植え込みの前に、小夜さんが立っていた。
さっきまで、わたくしの隣にいたのに。いつのまにか、東屋の脇の滝を見に、歩いていっていたらしい。銃を構えた白い上着の一人が、その小夜さんを、東屋の方へ乱暴に押しやった。
わたくしは、日傘の傾きを、少しだけ直した。
「スタロ様。三十秒、お待ちいたしますわ」
芝の端にいたはずの白い影は、もう、東屋に向かって走っていた。
【コメント】三十秒
【コメント】スタロ、もう走ってる
【コメント】小夜ちゃんが東屋の方に
【コメント】やばい
【コメント】ゲイリーも立った
【コメント】五
ゲイリー様が、つまんでいた菓子を卓に置いて、椅子から、ゆっくりと立ち上がった。
白い上着の方々の銃口が、一斉に、その大きな体の方を向いた。
「……タダ飯って、聞いてたんだがな」
十。
白い影が、芝の上から消えた。
次に見えたのは、東屋の屋根の高さだった。宙に、六角形の光が一枚灯って、消える。その一瞬あとに、もう一枚、まるで違う場所に。
白い上着の方々の銃口が、ゲイリー様から、一斉に空へ跳ね上がった。
連射の音が、お庭じゅうに鳴り響いた。
乾いた音が、重なって、ひとつながりの唸りになる。白い影が通り過ぎたあとの宙で、光の板が、硝子の花のように弾けては散った。散った欠片が、まだ落ちきらないうちに、白い影はもう、そのずっと横にいる。上へ。下へ。薔薇の植え込みすれすれを這うように。かと思えば、噴水の水柱を突き抜けて、真上へ。
銃口が、追いつかない。
【コメント】速っ
【コメント】全弾外れてる
【コメント】いや、避けてるんだよ
【コメント】足場、何枚出してんだ
【コメント】あれ全部、蹴った跡か
【コメント】スタロ、こんなに動けたの
【コメント】十三
入口の脇の給仕の頭が、空へ向けていた銃口を、東屋の中へ戻した。
白い影が、宙から落ちるように、東屋の入口の前の芝に降りた。
そこから、動かなくなった。
銃口と入口のあいだに、光の板が灯った。砕けた。また灯った。また砕けた。連射が、灯るそばから板を砕いていく。砕けた端から、スタロ様は、次の一枚を差し込んでいく。光の欠片が、入口の前に、きらきらと散り敷かれていった。
盾を出し続けているあいだは、一歩も進めない。給仕の頭は、手の届くところにいるのに。
【コメント】入口塞いでる
【コメント】中に撃たせないように
【コメント】足場、削られてる
【コメント】十五
東屋の中で、紳士が、膝をついた。小夜さんが、その背中に手を添えていた。
首飾りが、東屋の白い柱の陰で、一度だけ、光った。
十九。
そのとき、空の高いところで、何かが鳴った。
風を切る音ではなかった。もっと低い、腹の底に響く音。島の上の雲が、まっすぐに、穴を開けられたように割れた。
割れた雲の向こうから、小さな光る球が、ひとつ、ふわりと降りてきた。硝子の目だった。ニュースの中継を撮っている、あの空飛ぶ目だ。
【コメント】え
【コメント】空が割れた
【コメント】硝子の目
【コメント】ニュースのカメラ
【コメント】来る
【コメント】あいつだ
【コメント】二十




