第107話閑話 夜は、ここにいる
☆ スターライトロード視点 ☆
「投げ文の件は、管理局と会社のあいだの話だ。下の来訪者の出る幕じゃない」
上の衛兵の詰所で聞けたのは、それだけだった。待たされた長椅子で定時の休みまで済ませて、外へ出ると、日が傾いていた。
ほかに行くあてもなくて、乗り場の島へ跳んだ。
*
乗り場の桟橋は、島の縁から空へ、白い舌のように長く突き出している。その両側に、白い舟が五艇ずつ、もやい綱で杭につながれて浮いていた。桟橋の先にも下にも、何もない。風は、いつも島から外へ、桟橋の先の方へ吹いている。
運転士たちは、まだ桟橋に座っていた。
「おう。昨日の、空走る兄ちゃん」
白髪まじりの運転士が、鍋をかき混ぜながら手を上げた。昨日、雲の上で腕を掴んだ人だ。
「食ってけ。ストの飯だ。うまくはねえぞ」
本当に、うまくはなかった。温かかった。
隣に座った若い運転士が、昨日、竿の布を掲げていたやつだった。親方の舟で舵の見習いをしているという。親方をありがとうございました、と頭を下げられた。間に合っただけだ、と答えた。港で一度、間に合わなかったことがある。
白髪の運転士は、桟橋の縁から、雲の切れ間を見下ろしていた。ずっと下に、針の先ほどの灯りが固まっている。下町だ。
「昔は、下との行き来が、もっと盛んだったんだ。上ができたばっかりのころはな。下へ降りたきり、上がってこねえ昔なじみもいる」
それ以上は言わずに、椀の底をこそげていた。
「勝手に飛ぶ舟が来りゃ、そういう話をするやつも、いなくなるな」
夜が更けると、運転士たちは、それぞれ自分の舟の中で横になった。桟橋の石は、夜は冷える。見張りに残ったのは、若いやつだけだった。
*
月が塔の陰に入ったころ、腕章の連中が来た。
十二、三人。昨日粒になった顔が混じっている。腰に、黒い鉄の拳銃。手に、痺れ棒と、光の刃を仕込んだ短い柄。先頭の男だけが、銀色の光線銃を提げていた。
先頭の男が、桟橋の真ん中に立つ俺を見て、笑った。
「ヒーロー様は、今夜はお一人か。……まあいい。舟ごと流しちまえ。明日には戻るにしたって、一晩でも舟がなけりゃ、座り込みは崩れる。中の連中には手を出すなよ、賞金が跳ね上がる」
男たちが、左右の杭へ散った。柄の先に、青白い刃が灯る。
桟橋の縁から、下へ落ちた。
足もとは雲だ。落ちながら、桟橋の裏の、もう一段下に足場を出す。蹴る。桟橋の下をくぐって、反対側の縁へ。跳ね上がった先に、刃を杭に当てかけた男の手首があった。打つ。柄が飛んで、雲の下へ消えた。
男が振り向いたときには、俺はもう、また桟橋の下にいた。
左。右。左。
縁から跳ね上がるたびに、刃が一本、雲へ落ちる。桟橋の上からは、俺が消えては、杭の陰から湧いて出るように見えただろう。
五本目で、銃声が鳴った。
桟橋の根もとに、拳銃の四人が並んでいた。乾いた音が、続けざまに夜を割る。弾は見えない。見えるのは、銃口の向きだけだ。
向いた先から、先に外れる。
足場を蹴って、真上へ。足もとの石が、火花を散らして弾けた。宙で体をひねって、横へ。いた場所を、何かがいくつも通り過ぎていく。逃げた先の足場に、弾が当たった。光の板が、硝子のように細かく砕ける。砕けきる前に、もう次の板を蹴っている。
舟の屋根に転がり込んで、その陰を走る。屋根の縁で、跳ぶ。銃口が、遅れて追ってくる。
四人のうち、一人が弾を込め直していた。
そこへ、降りた。
真上からの踵で、込めかけた拳銃を桟橋に叩き落とす。隣の男の腕を下から跳ね上げる。宙へ撃った銃声が、月の方へ抜けていった。三人目の銃口がこちらを向く前に、足場を一枚、そいつの顔の前に出した。弾は板を砕いて、それで止まった。板の向こうで、俺の膝が、そいつの腹に入っていた。
四人目が、銃を捨てて逃げた。
足もとで、空の薬莢が、ちりちりと鳴っていた。
「――銃の方ばっかり見てたな、ヒーロー様」
先頭の男の声だった。光線銃の銃口は、俺ではなく、桟橋の先で杭に取りついた刃の三人の背中を、守るように向いていた。
じゅっ、と、音がした。
――しまった。
銃声は、囮だった。俺を根もとに引き寄せているあいだに、桟橋の先の三つの杭で、残りの刃が綱を焼き切っていた。
三艇の舟が、風に押されて、桟橋の先の方へ流れはじめる。左の列の一艇。右の列の、手前から三艇目。それから、右の列の先頭の一艇は、もう桟橋の先端を越えて、何もない空へ出かけていた。
中では、運転士たちが眠っている。
跳んだ。
青い筋が、背中を追ってきた。光線は、筋が見える。振り向かずに、背中の後ろへ足場を斜めに立てた。青い筋が板に当たって、夜空へ逸れていった。
左の一艇は、まだ桟橋から十歩も離れていなかった。船首から垂れた綱の切れ端が、宙をのたくっている。頭から飛び込んで、空中で掴む。足場を真下に出して、蹴る。綱を引いたまま桟橋に転がり込んで、見張りの若い運転士に放った。
「結べ!」
そのまま、右の列の三艇目へ。桟橋を三歩で渡りきって、縁から跳ぶ。舟腹に飛びついて、拳で三度、叩いた。
「起きろ! 流されてる!」
窓に、ごま塩頭が跳ね起きた。外を見て、何か叫んで、舵に飛びついた。
桟橋の上の腕章の男が、その舟に怒鳴った。
「おい、ジジイ! ストじゃなかったのかよ!」
「ストは、客を乗せねえってことだ! てめえの舟を連れて帰るのは、ストじゃねえ!」
舟が、ゆっくりと向きを変えた。怒鳴り声で目を覚ましたほかの舟からも、運転士たちが竿を掴んで飛び出してきて、杭の前に立った。
いちばん先の一艇は、もう桟橋の先端から、百歩は離れていた。
走った。
足場を出す。蹴る。出す。蹴る。数えるのをやめて、蹴れるだけ蹴った。光線が背中に当たって、装甲の線が明滅する。かまっていられなかった。
艇尾から垂れた綱を掴んだ。
重かった。
島の陰を出た先の風は、桟橋の上よりずっと強い。舟一艇ぶんの重さと、その風。足場が、踏ん張るたびにひびを入れて、砕ける。砕けた先に、また出す。綱を肩に回して、両手で手繰った。一歩ずつ、桟橋の灯りの方へ。腕が、焼けるように熱かった。
桟橋の先端まで引き戻したとき、若い運転士が、杭のそばで待っていた。綱を受け取って、結ぶ。その頭の上に、痺れ棒が振り上げられた。
間に、体を入れた。
ばちり、と、肩の装甲で青い火花が散った。腕が、勝手に跳ねた。
跳ねた腕のまま、棒を握った手首を掴んで、捻った。痺れ棒が、桟橋の外へ落ちていった。
「……下がってろ」
「下がりません! これ、俺たちの舟です!」
若いやつは、結び目を締め上げていた。手が、震えていた。
それからも、刃は来た。銃声も来た。来るたびに、桟橋の下へ落ちて、別の縁から跳ね上がった。夜が明けるまで。
*
空の端が、白んでいた。
十艇の舟が、全部、杭につながっていた。九艇の杭の前に、目を覚ました運転士が竿を持って立っていた。
腕章の連中の手には、もう一本も刃が残っていなかった。弾を撃ち尽くした拳銃と、充填の切れた光線銃を握って、桟橋の根もとに固まっている。先頭の男が、つながった舟の列と、俺とを見比べて、唾を吐いた。
「……割に合わねえ」
連中は、自分たちの艇で引き上げていった。追わなかった。追えば、桟橋が空く。
いちばん先の一艇の扉が開いて、毛布を肩にかけた運転士が、のそりと顔を出した。
「……なんか、あったか?」
桟橋じゅうの運転士が、その顔を見た。
衛兵が来たのは、そのあとだった。昼の詰所の男が、硝子の板を抱えて、桟橋を見回した。石の上には、空の薬莢が、朝日を受けて散らばっていた。
「……下の来訪者が、何をしている」
答える前に、白髪の運転士が言った。
「突っ立ってただけだよ、こいつは。一晩じゅうな」
衛兵の男は、硝子の板に何かを書きつけて、それきり帰っていった。
*
何人倒したかは、数えていない。
数えたのは、舟だ。十艇、杭につながっていた。誰も、落ちなかった。
明日には戻る。それでも、落ちるのは今夜だった。
「兄ちゃん。寝ろ」
「夜は、ここにいる。ストが終わるまで」
「……あんた、損な性分だな」
運転士は、俺の肩の、焦げた装甲を、指の節で軽く叩いた。
「言っとくが、明日も舵は握らねえぞ。客はな」
「分かってる」
「客じゃねえのは、別だ」
装甲の線は、暗いままだった。
桟橋の真ん中に、立っていた。座ったら、そのまま眠ってしまいそうだったからだ。




