第104話指をさされても、お待ちいたしますわ
スタロ様は、白髪まじりの運転士の方の襟を掴んでいた腕に、横から体ごとぶつかっていった。
腕章の方がよろけて、手を離す。運転士の方が桟橋に転がる。スタロ様はその前に立って、両腕を広げた。光の線が、強く灯った。
「下がれ! 座ってる人に手を出すな!」
【コメント】スタロ、また素手で行った
【コメント】指ささない気か
【コメント】港のときと同じだ
【コメント】十人いるぞ
わたくしは、日傘を肩に預けた。
「スタロ様。三十秒、お待ちいたしますわ。どなたを、指さしてくださいますの?」
「今それどころじゃ――」
光線銃の青い筋が、スタロ様の脇をかすめていった。
座り込んだ運転士の方々が、悲鳴を上げて身を伏せる。
「――待て、お嬢ちゃん」
大きな影が、わたくしの前に出た。
ゲイリー様だった。
布を巻いた両の拳を、胸の前で、ごつりと打ち合わせている。
「スタロが途中で指さしても、三十数えきるまでは、撃たないでくれ」
「まあ」
「あいつらは、今、値がついたばっかりだ。あんたに吹っ飛ばされたら、賞金はあんたのもんになっちまう。……俺は、片道の運賃を取り返さなきゃならねえ」
【コメント】www
【コメント】スタロより先に殴らせろ、ってことか
【コメント】動機が運賃
【コメント】切実
【コメント】砂時計の連中は三十秒を逃げるのに使って、ゲイリーは殴るのに使う
わたくしは、少しだけ考えた。
「よろしいですわ。指をさされても、三十までは、お待ちいたしますわ」
「恩に着る」
【コメント】指さされても待つのか
【コメント】お嬢がスタロとの約束を曲げた
【コメント】曲げたっていうか、上書き
ゲイリー様は、もう走り出していた。
*
速かった。
あの大きな体の、どこにそんな軽さがあったのか分からない。
ひとり目は、拳銃を構える前に、顎を打ち抜かれて桟橋に沈んだ。ふたり目は、光の刃を振り上げた手首を掴まれて、そのまま三人目の上へ放り投げられた。二人まとめて、光の粒になった。
【コメント】速っ
【コメント】ゲイリー、こんなに強かったっけ
【コメント】寝不足じゃないゲイリー、初めて見たかも
【コメント】賞金稼ぎの本職
【コメント】武器なしでこれ
十を数えたころ、三人が粒になっていた。
四人目の光線銃が、ゲイリー様の肩を撃った。毛皮の胴着が焦げて、煙が上がる。ゲイリー様は、止まらなかった。焦げた肩のまま踏み込んで、撃った方の胸ぐらを掴み、桟橋の手すりに叩きつけた。
「いってえな、この野郎」
二十を数えたころ、六人が粒になっていた。
スタロ様は、運転士の方々の前から一歩も動かなかった。乾いた銃声と青い筋が飛んでくるたびに、その前に、光の足場が一枚灯る。弾を受けた板は砕けて、光線を受けた板は斜めに筋を逸らして、どちらも、次の瞬間には新しい一枚に替わっていた。座り込んだ方々の上に、光の板の欠片が、雪のように降っていた。
その光の板の陰から、スタロ様の腕が、まっすぐに伸びた。
「お嬢! あいつらだ、残りの四人!」
「ええ。存じておりますわ」
わたくしは、日傘を傾けなかった。
「ゲイリー様と、三十まではお待ちするお約束ですもの」
「はあ!?」
【コメント】さしたのに
【コメント】撃たない
【コメント】ゲイリーとの約束が優先
【コメント】スタロ、指さして断られるの初めてだろ
七人目が、背中から桟橋に叩きつけられた。
残りの三人は、もう、向かってこなかった。
ひとりが、ゲイリー様の拳の届く前に、桟橋の白い舟へ飛び乗った。続けて、もうひとり。最後のひとりが、伏せていた白髪まじりの運転士の方の襟首を掴んで、舟の上へ引きずり上げた。
「飛ばせ! 出せ、早く!」
運転士の方の首に、光の刃が当てられていた。
舟が、ふわりと桟橋を離れた。
【コメント】逃げる
【コメント】人質
【コメント】運転士に舵握らせてる
【コメント】ゲイリー、空は追えない
【コメント】二十五
ゲイリー様が、桟橋の端で、足を止めた。
舟は、もう、桟橋から五歩、六歩と離れていく。その下は、雲だった。
「くそ、空かよ……!」
二十八。
舵を握らされていた運転士の方が、いきなり、舵を横に引き倒した。
舟が、大きく傾いた。腕章の方々がよろけ、光の刃が首もとから外れる。その一瞬に、運転士の方は舟の縁を蹴って、宙へ跳んだ。
桟橋までは、届かない距離だった。
白い影が、走った。
足もとに、六角形の光が一枚。また一枚。踏むたびに生まれて、踏み終えるたびに消えていく。スタロ様は、雲の上の何もない空を、まっすぐに駆けていった。
落ちていく運転士の方の腕を、掴んだ。
【コメント】スタロ!!
【コメント】掴んだ
【コメント】間に合った
【コメント】間に合った!!
スタロ様は、運転士の方を片腕に抱えたまま、光の足場を踏み継いで、桟橋の根もとまで一気に戻った。
転がり込みながら、もう片方の腕が、傾いた舟を、まっすぐにさした。
「――あの舟の三人だ! 三人だけだ!」
三十。
「承りましたわ」
桟橋の根もとに、竿の布を握りしめたままの、若い運転士の方が膝をついていた。
目を見開いて、宙の舟を見上げていた。
――傾いた白い舟。手すりにしがみつく、三つの腕章。
白。
空の真ん中で、舟が消えた。
三つの光の粒が、雲の上へ昇っていった。焼けた破片が、きらきらと光りながら、ずっと下の雲の中へ吸い込まれていく。桟橋の先端が、ひとかじり分、なくなっていた。
【コメント】
【コメント】舟だけ
【コメント】三人だけ
【コメント】ほんとに、さされた三人だけ
【コメント】桟橋はちょっとかじった
【コメント】それくらいは誤差
【コメント】誤差の基準が狂ってきてる
スタロ様が、光の足場を踏み継いで、桟橋に戻ってきた。
運転士の方を、そっと下ろす。運転士の方は、膝から崩れて、白い石の上に座り込んだ。
「……間に合った」
スタロ様は、それだけ言った。
誰に言ったのかは、分からなかった。
*
かじられた桟橋の先は、いつまで経っても、かじられたままだった。
白い石の断面が、ぎざぎざに空へ突き出している。戻る気配は、なかった。
【コメント】戻らない
【コメント】白くならない
【コメント】……いや、元から白いのか
【コメント】下町の白いとこの近くなら、もう白く戻ってるタイミングだよな
【コメント】お嬢が撃っても、上だと何も起きない?
【コメント】お嬢が原因説、ちょっと怪しくなってきた
【コメント】明日には普通に戻るだろ、たぶん
ゲイリー様は、桟橋の真ん中で、指を折っていた。
「……七つ」
焦げた肩を回しながら、空中の何かを、じっと見ている。所持金の窓だろう。
「片道の運賃は、取り返した」
「まあ。よろしゅうございましたわね。では、帰りの分は?」
ゲイリー様は、わたくしの顔を見て、それから、宙の舟が消えたあたりを見た。
「……三つ、持ってかれた」
【コメント】www
【コメント】あと三人で往復だった
【コメント】お嬢、賞金に興味ないのに一番おいしいとこ持ってった
【コメント】お嬢が三十まで待ったせいで、人質まで出たんだが
【コメント】それは言うな
白髪まじりの運転士の方が、ようやく立ち上がった。
スタロ様に深く頭を下げて、それから、鈴村さんと、小夜さんと、わたくしたちを順番に見た。
「……乗りな」
「よろしいのですか」
「ストは、明日も続ける。でも、あんたたちの分だけだ」
運転士の方は、隣につないであった、自分の舟の舵の前に立った。
それから、鈴村さんの方を見て、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
「串屋。……下に行ったら、一本、焼いてもらうからな」
「お待ちしております」




