第103話昼の鐘で、お止まりになりましたの?
連絡艇の戸が横に開くと、足もとが白かった。
継ぎ目のない白い石の桟橋。その先に、白い石と硝子の街が、段々に積み上がっていた。尖塔の窓という窓が、昼の光の中でも青白く灯っている。空には、島がいくつも浮かんでいた。島の縁から細い滝が垂れ、その下を、別の島の影がゆっくりと横切っていく。
島と島のあいだを、小さな舟が行き交っていた。乗ってきた連絡艇を、ずっと小さくしたような、白く平たい舟。帆も櫂もないまま、島から島へ、音もなく滑っていく。
【コメント】上だ
【コメント】上層、初配信
【コメント】全部白い
【コメント】下町の白いとこ、ここの切れっ端だったのか
【コメント】連絡艇のちっちゃいのが、そこらじゅう飛んでる
【コメント】島から島へは、あれで渡るのか
【コメント】浮遊艇な。上じゃ、あれが乗り合いの舟
【コメント】昔は帆船だったらしいけど、今はほとんどあれ
わたくしは、日傘を傾けて、街を見上げた。
「どちらを向いても、真っ白ですのね。お掃除が、大変そう」
【コメント】感想そこ
【コメント】掃除の心配すな
【コメント】お嬢が一番散らかす側なんよ
下町の白い建物は、古い家並みの中に、ぽつりぽつりと混じっているだけだった。ここには、混じるものがなかった。
硝子張りの塔が、雲に届きそうな高さで並んでいる。壁の継ぎ目に細い光の線が走り、通りの看板では、文字がひとりでに流れては入れ替わっていた。いちばん高い塔の中ほどに大きな文字盤がはめ込まれていて、二本の針が、真上で重なろうとしていた。
桟橋を行く方々は、誰も塔を見上げなかった。歩きながら、手首や懐の小さな文字盤に目を落としていた。
【コメント】急にSF
【コメント】下町が時代劇なら、こっちは近未来
【コメント】同じゲームか?
【コメント】上はずっとこうだぞ。知らなかったのか
【コメント】みんな時計見てる
【コメント】上じゃ時計は持ってて当たり前。鐘は昼の一回だけ
【コメント】夜はネオンすごいらしい
【コメント】スタロが馴染むやつ
「……灯り、昼間からついてる」
小夜さんが、塔の窓を見上げて、小さく言った。
「油、使ってないんだ。……あれ、いくらするんだろう」
「小夜さん。それは、仕入れのお顔ですわね」
「だって、気になるもん」
スタロ様は、桟橋の端で、塔のてっぺんから足もとまでを、何度も見上げ直していた。兜が、そのたびに上下した。
「スタロ様も、お初めてですの?」
「……ああ。来る暇がなかった。下で、毎日なにか壊れてたからな」
ゲイリー様と、小夜さんと、鈴村さんの目が、そろってわたくしに集まった。
「まあ。下町は、お忙しい街ですものね」
【コメント】原因が他人事
【コメント】犯人そこ
【コメント】スタロの休日を奪った女
「……おい。お前、跳んで来りゃタダだったんじゃねえのか」
ゲイリー様が、腰の銭袋を押さえたまま、低い声で言った。
「密航しろって言うのか」
「……真面目か」
【コメント】密航
【コメント】ヒーローだからな
【コメント】ゲイリー、運賃の恨みが深い
鈴村さんが、桟橋の先の、浮遊艇の乗り場を手で示した。
「役所は、向こうの島です。艇で渡りましょう。会合は明日ですから、今日のうちに宿まで」
乗り場には、白い舟が十艇ほど、桟橋に横付けされて浮いていた。舟ごとに、紺の制服を着た運転士の方がひとり、舵の前に立っている。小夜さんが文箱を抱え直し、ゲイリー様が大きなあくびをした。
そのときだった。
尖塔のどこかから、澄んだ音が降ってきた。
ひとつ。ふたつ。数えきらないうちに、音は重なって、空に溶けていった。
昼の鐘だった。下町の鐘楼の鐘よりも、ずっと細く、硝子を指で弾いたような音。
最後の音が消えるのと同時に、運転士の方々が、一斉に舵から手を離した。
ひとり残らず、だった。
皆、舟から桟橋へ降りて、腕を組んで、乗り場の真ん中に座り込んだ。
【コメント】え
【コメント】降りた
【コメント】全員?
【コメント】ストだ
【コメント】鐘と同時に、ぴったり
【コメント】揃いすぎてて怖い
座り込んだ方々の後ろで、若い運転士の方が、布を一枚、竿に括りつけて掲げた。
墨で、太い字。
――俺たちから、舵を取り上げるな。
わたくしは、首を傾げた。
「昼の鐘で、お止まりになりましたの?」
いちばん手前に座っていた、白髪まじりの運転士の方が、顔を上げた。
「……悪いな、お嬢さん。今日は、どこにも渡せねえ」
「何か、ございましたの?」
「管理局が、来月から、艇を全部入れ替えるんだと。人の乗らねえ、勝手に飛ぶやつに。俺たちは、まとめてお払い箱だ」
運転士の方は、懐から、折りたたんだ紙を一枚取り出して、ひらひらと振った。
「ゆうべの便で届いた。下の港から上がってくる手紙の袋に、詰所宛てで、一枚ずつな」
スタロ様が、一歩、前に出た。
「その紙。……鐘の刻が、書いてなかったか」
「書いてあったよ。昼の鐘で舵を離せ、ってな。誰が書いたか知らねえが、言ってることは本当だ。管理局の連中は、俺たちには何も言いやしねえ」
【コメント】紙
【コメント】鐘の刻
【コメント】カンパネッロじゃん
【コメント】上にもいるのかよ
【コメント】スタロ、顔(見えないけど)
【コメント】関谷の言ってた「上でも似たのが」って、これか
スタロ様の拳が、ゆっくりと握られていった。
鈴村さんは、座り込んだ方々を見下ろして、静かに眉を下げた。
「……それは、お困りでしょう。暮らしのかかったお話ですから」
運転士の方は、鈴村さんの紺の上着を、ちらりと見た。それから、少しだけ口調をやわらげた。
「あんた、役所の人かい」
「いいえ。下の、串屋です」
「……串屋」
「下へいらした折には、一本お焼きいたしますよ」
【コメント】串屋です
【コメント】自己紹介が強い
【コメント】代表ですって言えばいいのに
【コメント】この人、どこでもこれで通すな
ゲイリー様が、乗り場の端の、光の板を見上げていた。
「おい。帆船なら出てるぞ」
「でしたら、そちらで」
「三日後だとさ」
【コメント】三日
【コメント】会合、明日
【コメント】詰んだ
【コメント】ゲイリー、運賃の板見る癖ついてない?
小夜さんが、文箱を抱えたまま、桟橋の縁に立って、向こうの島を眺めていた。
島と島のあいだには、何もなかった。ずっと下に雲があって、その切れ間から、ほんの小さく、海が見えるだけだった。
「……スタロなら、跳んで渡れる?」
スタロ様は、向こうの島までの空を、しばらく目で測っていた。
「……一人ずつなら」
「まあ。では、お一人ずつ、お願いいたしますわ」
スタロ様が、ゆっくりと、ゲイリー様の方を向いた。
頭ひとつ高い、肩幅の倍ある体を、兜の先から足もとまで、黙って眺めた。
「……俺を見るな」
【コメント】www
【コメント】無言の重量チェック
【コメント】光の足場、割れそう
【コメント】島から島はいいのか
【コメント】もう上に入ってるから密航じゃない
【コメント】ゲイリーは帆船で三日後に来てもらって
*
しばらくして、乗り場の奥の、硝子の建物の扉が開いた。
出てきたのは、銀の縁取りのある上着を着た、恰幅のいい男の方だった。胸に、浮遊艇の会社の紋。その後ろに、十人ほどの若い男の方々が、ぞろぞろと続いた。
腕に、揃いの白い腕章。「警備」と書いてある。
ただ、着ているものは、てんでばらばらだった。革の外套。鋲を打った胴着。片目を覆う硝子の眼帯。腰には、光の刃を仕込んだ短い柄や、痺れ棒や、黒い鉄の拳銃。銃身の短い光線銃を提げているのは、二人だけだった。
【コメント】会社の偉い人
【コメント】後ろの連中、警備って顔じゃない
【コメント】あの顔、下町の賞金首ランキングに載ってたやつ。プレイヤーだ
【コメント】上で稼いでるヴィラン勢か
【コメント】下町に残ってるのは乗れない連中だけ、って話だったもんな
【コメント】稼げる奴らは、ここにいる
ゲイリー様が、あくびを途中で止めた。
眠そうだった目が、細くなっていた。
「……見た顔が、いくつかあるな。下町で、昔、手配書に載ってた連中だ」
「まあ。お知り合いですの?」
「知り合いじゃねえ。値札の付き合いだ」
会社の男の方が、座り込んだ運転士の方々の前に立った。
「座り込みを解け。今すぐ舵に戻るなら、今日のことは忘れてやる」
「来月にはお払い箱なんだろ。忘れてもらう義理はねえ」
「……そうか」
男の方は、肩をすくめて、後ろへ下がった。
代わりに、腕章の若い方々が、前に出た。
ひとりが、いちばん手前の白髪まじりの運転士の方の襟首を掴んで、引き起こした。もうひとりが、竿の布を引き剥がして、踏みつけた。三人目が、痺れ棒で、座り込んだ方の肩を突いた。ばちり、と青い火花が散った。
突いた方の頭の上に、赤い札が、ぽつりと灯った。
襟を掴んだ方の頭の上にも。布を踏んだ方の頭の上にも。それを見て止めなかった、後ろの方々の頭の上にも。腕章の方々が運転士の方に手をかけるたびに、ひとつ、またひとつ。
十の頭の上に、赤い札が並んだ。
【コメント】ついた
【コメント】賞金ついた
【コメント】腕章あっても、殴れば犯罪
【コメント】でも気にしてない
【コメント】上で稼いで、下には戻らないつもりだから
【コメント】どうせ乗り場の審査で弾かれる側だしな
ゲイリー様が、布を巻いた拳を、ゆっくりと握り込んだ。
ごきり、と骨の鳴る音がした。
「……今、値がついた」
わたくしは、日傘を開いた。
「スタロ様」
スタロ様は、もう、座り込んだ方々の前に、駆け出していた。




