閑話 聖職者セイラ・3
「――死者蘇生の儀式を執り行います」
何を言っているのだろうとセイラは首をかしげてしまった。
死者蘇生。
存在するという話はあるが、それはあくまで神話でのこと。並み居る天使たちであろうと実行できず、ただ神だけが行えたという奇跡だ。いくらシアが聖女であろうとも、出来るはずがない。
そしてそれはセイラ以外にとっても『常識』だったようだ。
「お言葉ではございますが、シア様が死者蘇生を行えると?」
一歩前に出たのはリリー。あれだけ親しげな様子であったメイドすら初耳であったらしい。
「できるわよ。ご主人様の言葉が信じられないの?」
「……死者蘇生ができるとして、ここで行う理由は何ですか? 同情? 使命感? その後にどんな騒動がやって来るか、想像できないシア様ではないでしょう?」
それはそうだ、とセイラは納得する。
シアにとってこの街はセバスの護衛と、盗賊討伐依頼の流れでやって来ただけ。おそらくは故郷ではないし、家族がいるわけでもない。もし、もし死者蘇生を行えるとしても、この街の住民に情けを掛ける理由にはならないのだ。
死者蘇生ともなれば王や貴族たちもこぞって求めてくるだろうし、教会がどう動くかも分からない。神の奇跡として称えるか、邪法として迫害するか……。セイラですらこのくらい思いつくのだから、シアであればもっと数多くの問題点が分かるはずだ。
しかし、シアの瞳に迷いはなく。背筋は真っ直ぐと伸び。朗々とした声で決意を語り始めた。
「リリー。私はセバスに誓ったのです。――わたくし、シンシア・グラグベルクは、セバスからの恩義を決して忘れず、彼の一族に必ずや報いてみせると」
それはおそらく、『冒険者』シアではなく『貴族』シンシアとしての言葉。
セイラには詳細が分からないが、リリーには思い当たる節があったらしい。わずかに眉間に皺を寄せる。
「シア様はもう『シンシア・グラグベルク』ではありませんし……セバスからの恩も実家の紹介されたことと、金貨数枚だけ。あの程度の恩で――」
「ここでセバスのご家族を見捨てて。領民のために命を張ってみせた領主を見捨てて。どうして迷いなく生きていくことができましょうか」
「それは……」
「――それとも。我がメイドは、わたくしに怯懦者になれと言うのかしら?」
セイラは『怯懦者』の意味を知らなかったが、きっと不名誉なのであろうことは察せられた。
威風堂々としたシア――シンシアの立ち振る舞い。
そんな彼女を目の当たりにして、リリーはその頬に一筋の涙を流した。
「いいえ、いいえ、貴女様の従僕が、どうして貴女様の矜持を穢すことができましょうか」
深い、深い、あまりにも美しい一礼。もはや一個の芸術とすら言えるのに、しかし主人を押し退けて自己を主張するような派手さはない。
貴族に矜持があるように。従僕にもまた矜持が存在するのだ。
なんという美しさであろうか。
これが真なる貴族とメイドだというのだろうか。
セイラも一応は貴族の血を引いているが、貧乏故に子供を教会に出さなければならない程度の家柄。そんな彼女でも貴族とは横暴で、意地汚く、メイドはそんな貴族を恐れて唯々諾々と従うものだとばかり考えていた。
だが、王太子殿下の婚約者に選ばれる人物とは、ここまでの存在なのか。
公爵令嬢に仕えるメイドとは、ここまでの存在なのか。
あまりの気高さに打ち震えるセイラ。そんな彼女にシンシアが優しく微笑みかけた。
「よろしい。ならば、今ここに――」
シンシアが優雅な足取りで広場の中心へと歩いて行く。
大声を発したわけではない。
大きな音を立てたわけでもない。
しかしながら。その存在感から広場にいた人々も自然とシンシアを目で追っていた。
周りからの耳目が集中する中。臆することなくシンシアが右手を天へと掲げてみせた。
「――汝ら罪なし」
それが、はじまりであった。
「――|見よ、神々の慈悲は天にあり《Misericordia deorum in caelis est.》」
シンシアの聖文と共に、広場を覆い隠すほどの魔法陣が展開される。
「――|金色の豊穣は大地に広がり《Agricola per terram diffunditur.》」
なんという精巧な魔法陣であろうか。聖職者として神事に参列したことも多いセイラでさえ目にしたことがないほどの緻密さだ。
「――|絆は人々の間にあり《Vincula inter homines existunt.》」
しかも、魔法陣は一つではなかった。
「――|天よ。恵みの雨を降らせたまえ《Caelestem, pluviam benedictionum》」
ただでさえ精巧な魔法陣。
それが、五つも同時に展開していたのだ。
「――|地よ。我らに実りを与えたまえ《demitte.Terra, fructus nobis da.》」
あの魔法陣一つだけで最上級攻撃魔法が放てるかもしれない。そんな魔法陣が、五つも同時展開されている。
これから何が起こるのか。
これほどの魔法陣を展開しなければならない術とは、一体何だというのか。
その異様な光景に、集まった人々も呆然と佇むしかない。
「――人よ。温もりの中に奇跡を示さん《Populus, miracula nobis in calore tuo ostende.》」
シンシアの周囲に光が満ち溢れ、穏やかな風に銀糸の髪が揺れ動く。
彼女を中心として膨大な魔力が渦巻いた。
その魔力が、死者を癒やしていることが分かる。生物であれば逃れることのできない『死』の運命すら破壊していることが感覚で理解できた。
「――人よ、ただ祈れ。|神の奇跡を、今ここに《 dis Bingensis》」
そしてシンシアは、聖文の最後となる一小節を口にした。
「――死者蘇生」
広場に光が満ち溢れる。
空から雨が降ってきた。
……いいや、雨ではない。雨がこんなにも温かいものか。優しいものか。
光。
光が雨のように降り注いでいた。触れることが叶わず、ただ見ているだけしかできないはずの光が、死者すら癒やす温もりとなって。
「――うっ」
広場に寝かされていた死者から、そんな声が漏れた。
いいや、もはや死者ではない。
声を発し、自ら上半身を起こす死者がいるものか。
「領主様!?」
「おぉ! 奇跡だ!」
「領主様が生き返った!」
「神よ――!」
ゾンビではない。
亡霊でもない。
聖職者であるセイラが見間違えるはずがない。
――生き返ったのだ。
死者が、生き返ったのだ。
「おお、おお、おお……」
セイラが嗚咽する。
涙が滂沱として流れ落ちた。
彼女は今、奇跡を目の当たりにした。
光の雨が降り注ぎ、死者が蘇った。これを奇跡と呼ばずに何と呼べというのか。
そしてセイラは間違っていた。
許されぬ過ちを犯した。
シンシアは悪女などではない。
イジメをするような存在ではないし、悪い噂は全て彼女を貶めるための虚偽だろう。
このような奇跡を起こせるシンシアを疑うなど、何という罪深い行いであろうか。
そしてセイラはもう一つ間違えていた。
シンシアこそ聖女だと思っていた。
だが、違う。
天使すら実現できず、神のみが実現してみせた超常の奇跡。死者蘇生を行えるシンシアは聖女などではない。
――神。
シンシアこそ、神なのだ。
セイラの目の前に、神が降臨なされた。
「おぉ、主よ……我が身を捧げます……お仕えいたします……」
地面に両膝を突き、額を擦りつけ、シンシアに対して誓いの宣言をするセイラであった。




