第85話 補佐官の温度差がひどい件
――帝国暦三二〇年・冬初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室――朝。
扉が、軽く叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは、小柄な少女だった。
黒髪。
年の割に、かなり小さく見える。
ぱっと見ただけなら、騎士団本庁に配属される人材には見えない。
だが、その歩き方には迷いがなかった。
少女は部屋の中を見回す。
レオン。
エリシア。
クリス。
リリア。
親衛隊。
そして、机の上に積まれた書類。
すべてを一通り確認してから、静かに一礼した。
「総騎士団本庁より参りました」
声は落ち着いていた。
「メリエラ・エイゼンです」
そこで、ほんの少しだけ間を置く。
「騎士団統括統合管理官補佐として配属されました」
静かな名乗りだった。
レオンは少しだけ眉を寄せる。
「統合管理官補佐でいい」
メリエラが、わずかに瞬いた。
「……統合管理官、ですか?」
「ああ」
「正式には、騎士団統括統合管理官かと」
「長い」
レオンは即答した。
「面倒だから、統合管理官にしろ」
メリエラは一瞬だけ考える。
総庁の人間としては、正式名称を崩すのは少し引っかかるらしい。
だが、すぐに表情を戻した。
「承知しました」
にこりと笑う。
「では、統合管理官補佐として配属されました」
クリスが小さく呟く。
「そこはすぐ受け入れるのかよ」
静かな名乗りだった。
クリスが眉を上げる。
「……若くないか?」
その瞬間。
メリエラの視線が、クリスへ向いた。
表情がわずかに曇る。
「そう見えますか?」
淡々とした声。
だが、温度は低かった。
クリスは一瞬だけ止まる。
「いや、見えるっていうか」
「そうですか」
短く切る。
それ以上、広げる気がまったくない声だった。
クリスが口を閉じる。
そこで、メリエラはレオンを見た。
表情が変わる。
ぱっと、明るくなった。
にこやかに。
先ほどまでの冷たさが嘘のように。
「よろしくお願いします、レオン様」
声まで柔らかい。
部屋の空気が、一瞬だけ妙な形に歪んだ。
クリスがそれを見て固まる。
「……差がすごくないか?」
小さく呟く。
レオンは気にしていない。
「好きにやれ」
「はい」
メリエラは嬉しそうに頷いた。
それから一歩近づく。
「それと」
「何だ」
「メリエラではなく、メリーとお呼びください」
にこやかに。
レオンにだけ向けたような笑顔だった。
クリスが吹き出しかける。
「いや待て」
メリエラが振り向く。
表情が消えた。
「何でしょう」
「じゃ、俺もメリーって――」
「お断りします」
早かった。
「なれなれしいので」
露骨に不機嫌な顔だった。
クリスが止まる。
「……差、露骨すぎない?」
「必要な区別です」
「必要なのか、それ」
「はい」
メリエラは淡々と答えた。
そして、またレオンを見る。
表情が柔らかくなる。
「レオン様には、メリーとお呼びいただければ」
「そうか。メリー」
「はい」
嬉しそうだった。
クリスが額を押さえる。
「温度差で風邪引きそうなんだけど」
エリシアは静かに様子を見ていた。
大きな反応はない。
ただ、記録するようにメリエラの態度を見ている。
リリアが一歩前に出た。
「はじめまして」
柔らかく笑う。
「リリアです」
メリエラがリリアを見る。
一瞬だけ、無表情になった。
「知っています」
短く言う。
「有名ですので」
さらに、少しだけ視線を動かす。
「姫様、ですよね」
親衛隊の空気が変わった。
エゼルが一歩前に出る。
「――その呼び方は」
メリエラは視線だけを向けた。
少しだけ眉を寄せる。
「何か問題でも?」
「軽い」
エゼルの声は低かった。
メリエラは、小さくため息をつく。
「そうですか」
興味がなさそうだった。
親衛隊の空気がさらに張り詰める。
だが、リリアが困ったように笑った。
「大丈夫ですよ」
その一言で、親衛隊が引く。
完全に納得したわけではない。
だが、リリアがそう言った以上、引くしかない。
メリエラはそれを見る。
一瞬だけ、目を細めた。
「なるほど」
小さく呟く。
リリアは少しだけ首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いえ」
メリエラは短く答えた。
その声には、先ほどレオンに向けた柔らかさはなかった。
クリスが小声で言う。
「……リリアさん相手にも冷たいのか」
「冷たくはありません」
メリエラは即座に返した。
「通常対応です」
「通常対応が冷たいんだよ」
「そうですか」
「興味なさそうに返すな」
レオンが口を開く。
「で」
全員の視線がレオンに向く。
「何ができる」
メリエラはすぐにレオンへ向き直った。
そして、またにこやかに笑う。
「他騎士団との折衝」
「情報の整理」
「運用補助」
明るく、淀みなく答える。
「必要であれば、一部の確認業務や書類処理の代行も可能です」
「使えるな」
「はい」
メリエラは嬉しそうに頷いた。
クリスが小さく呟く。
「切り替え、すごくね」
シエラがいれば記録していたかもしれない。
だが、今ここで一番記録したそうなのは、むしろエリシアだった。
レオンは興味なさそうに言う。
「使えればいい」
「承知しました」
メリエラは、にこりと笑った。
その笑顔は、やはりレオンに向けたものだった。
クリスが半眼になる。
「俺との差が本当にひどいな」
「当然です」
「当然って言ったぞ」
「はい」
「隠す気もないのか」
「ありません」
堂々としていた。
リリアが少し不思議そうにメリエラを見る。
その視線に気づいたのか、メリエラはふとリリアへ向き直った。
今度は、笑っていなかった。
「よろしくお願いします、リリアさん」
静かな声だった。
丁寧ではある。
だが、温かくはない。
リリアは少しだけ首を傾げる。
「はい。よろしくお願いします、メリーさん」
メリエラの眉が、わずかに動いた。
だが、何も言わない。
リリアは困ったように微笑む。
(……なんだろう)
嫌われている、というほどではない。
敵意がある、というほどでもない。
ただ、何かを見られている。
そう感じた。
エゼルたち親衛隊も、その空気を感じ取っているのか、わずかに警戒を強めていた。
だが、メリエラはもう視線をレオンへ戻している。
「レオン様」
「何だ」
「本日分の書類を確認してもよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
声が柔らかい。
クリスが小さく言う。
「やっぱり温度差がひどい」
メリエラは振り返る。
「何か?」
「何でもない」
「そうですか」
冷たい。
リリア相手よりも、さらに少し冷たい。
クリスは額を押さえた。
「扱いづらいのが来たな……」
レオンは書類を見たまま答える。
「使えればいい」
「それで済ませるな」
「済むだろ」
「たぶん済まねえよ」
その日。
第七騎士団に。
新しい補佐官が来た。
小柄で。
有能そうで。
そして、相手によって温度が変わりすぎる。
扱いづらい風が、ひとつ入った。




