第84話 増えただけ
――帝国暦三二〇年・冬初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団本庁――朝。
呼び出しは、簡潔だった。
「総長がお呼びです」
理由はない。
用件の説明もない。
ただ、それだけだった。
レオンは短く息を吐き、エリシアと共に廊下を歩いた。
総騎士団本庁。
騎士団領の中でも最大の建物であり、通常の騎士団庁舎とは役割が違う。
第七騎士団本庁が第七騎士団を動かす場所であるなら、ここは東ロンバルディア騎士団全体を動かす場所だった。
建物の中には、総長室だけでなく、人事部、情報部、管理部、補給関係の部署、各騎士団との連絡を扱う部屋が並んでいる。
騎士が剣を振るうための場所ではない。
騎士団という巨大な組織を、書類と命令と人員配置で動かす場所だった。
廊下は広い。
天井も高い。
人の出入りも多い。
だが、誰も大きな声は出さない。
歩く者たちは皆、何かしらの書類を持ち、誰かに用件を伝え、どこかへ向かっている。
静かではある。
だが、止まってはいない。
常に、どこかが動いている。
「……嫌な予感しかしないな」
レオンが小さく言った。
隣を歩くエリシアは、表情を変えずに答える。
「総長からの呼び出しですので、良い知らせだけとは限りません」
「悪い知らせに寄せるな」
「可能性の話です」
「その可能性を聞きたくなかった」
そう言っているうちに、総長室の前に着いた。
扉の前に立つ騎士が、無言で一礼する。
エリシアが一歩前に出た。
短く、ノックする。
「入れ」
中から、低い声が返った。
レオンは扉を開けた。
机の奥に、総長ヴァルド・エイゼンがいた。
視線だけがこちらを見ている。
「来たか」
「ああ」
レオンが答える。
ヴァルドは余計な前置きをしなかった。
「任命する」
それだけ言って、紙を差し出す。
レオンは受け取った。
そこには、新しい役職名が記されている。
「騎士団統括統合管理官だ」
短い説明だった。
いや、役職名だけは無駄に長かった。
レオンは紙を見る。
しばらく黙る。
「……長いな」
最初の感想は、それだった。
ヴァルドは表情を変えない。
「正式名称だ」
「統合管理官でいいか」
「好きにしろ」
「いいのか」
「意味は大して変わらん」
「変わらないなら、最初から短くしろ」
「正式名称とは、そういうものだ」
レオンは、もう一度紙を見た。
騎士団統括統合管理官。
見れば見るほど、面倒そうな役職名だった。
「……増えるな」
「そうだ」
ヴァルドは否定しなかった。
むしろ、それ以外に言うことはない、という顔だった。
「断るか?」
レオンは少しだけ考えた。
断る。
それは、たしかに選択肢としてはある。
だが、呼び出されて、紙を渡されて、任命すると言われた時点で、だいたい逃げ道はない。
それに。
名前は長いが、実際にはそこまで大変な役職ではないかもしれない。
統括だの統合だの、仰々しい言葉が並んでいるだけで、実務は各騎士団から上がってくる報告を確認する程度。
そういう可能性もある。
「……まあ、いい」
レオンは紙を閉じた。
「どうせ、名前ほど大したことはないだろう」
エリシアが、ほんの少しだけ視線を動かした。何か言いたそうだった。
だが、総長室なので口には出さなかった。
ヴァルドの口元が、わずかに動く。
にやりと。
「そうだな」
「今の笑い方が嫌なんだが」
「気にするな」
「気にするだろ」
ヴァルドは答えなかった。
レオンは紙を指で叩く。
「人手は?」
「足りない」
ヴァルドは即答した。
「だろうな」
「足りないが、回せ」
「無茶を言うな」
「お前なら回す」
「そういう信頼はいらない」
レオンは息を吐いた。
「有能なのを寄越せ」
淡々と。
当然の要求のように。
ヴァルドはわずかに目を細めた。
「承知した」
「すぐに派遣する」
「優秀なのを」
レオンは念を押す。
ヴァルドの口元が、またわずかに動いた。
「期待しておけ」
「だから、嫌な言い方をするな」
「下がれ」
そこで話は終わった。
レオンは紙を閉じる。
踵を返す。
エリシアも続いた。
扉が閉まる。
廊下に出てから、レオンはもう一度紙を見た。
「……増えただけだな」
「増えた、で済ませる内容ではないと思います」
エリシアが静かに言う。
「だが、増えただけだ」
「そういうところです」
「何がだ」
「いえ」
エリシアはそれ以上、言わなかった。
■第七騎士団 本庁・執務室
戻ると、クリスがいた。
椅子に座り、机の上の書類を見ている。
だが、仕事をしているというより、待っていたという顔だった。
「おかえり」
「どうだった」
レオンは椅子に座る。
紙を机の上に置いた。
「増えた」
「何が」
「仕事だ」
クリスが顔をしかめる。
「……嫌な予感しかしねえな」
レオンはエリシアを見る。
「で」
「何をする」
エリシアは紙に目を通し、淡々と答えた。
「騎士団統括統合管理官、通称、統合管理官は、直接騎士を指揮し、戦闘させる役職ではありません」
「じゃあ何だ」
「第七、第二、第十騎士団の兼任業務に加え、騎士団領全体の運用判断に関わる立場です」
クリスの顔がさらに曇る。
エリシアは続けた。
「まず、騎士団全体の予算配分」
「人材育成の方針」
「訓練カリキュラムの決定」
「組織運営、および将来戦略に関わる意思決定」
「各騎士団間の調整」
「必要に応じた人員配置の確認」
クリスが固まった。
「……いや」
少し間を置く。
「無理だろ」
即答だった。
「それ、全部じゃねえか」
頭を押さえる。
「それ、団長の仕事じゃねえだろ」
エリシアは短く返す。
「兼任ですので」
「兼任って言えば何でも足せると思ってないか?」
「現状では、そう扱われています」
「最悪だな」
クリスはレオンを見る。
「お前、もう少し考えて受けろよ」
レオンは少しだけ考える。
「……考えた」
「何を」
「どうせ名前ほど大変ではないだろう、と」
「大変だったじゃねえか」
「今知った」
「遅いんだよ」
クリスは天井を見る。
「……だめだこいつ」
小さく呟く。
レオンは気にしない。
机の上に置いた紙を、もう一度見る。
「増えただけだな」
「だから、その増え方が問題なんだよ」
「人は来るはずだ」
レオンが言う。
「優秀なのが」
繰り返す。
エリシアは、何も言わなかった。
クリスは顔をしかめたまま、紙を見る。
「本当に優秀なのが来るならいいけどな」
「総長が言った」
「それが一番信用ならねえんだよ」
レオンは少し考えた。
「確かに」
「そこで納得するな」
その日、第七騎士団は変わらなかった。
机の位置も。
人の動きも。
廊下の騒がしさも。
書類の山も。
何も変わらなかった。
ただ、仕事だけが少し増えた。
少し、というには。
少し大きすぎる形で。




