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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編
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第83話 固まり始めるもの――気づいたら既成事実になっていた件

 ――帝国暦三二〇年・冬初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 第七騎士団 本庁・大広間――朝。


 空気は冷たい。


 だが、静かではなかった。大広間のあちこちで、ひそひそとした声が聞こえる。


 ひそひそと言っても、数が多い。もう、隠す気があるのかないのか分からない程度には広がっていた。


「聞いたか?」


「休日まで合わせたらしいぞ」


「団長閣下が調整したんだろ?」


「もう日取りの相談に入ってるんじゃないか」


「早いな」


 ダリオ副官が額を押さえた。


「……なんでだよ」


 昨日より悪化していた。


 予定が重なっただけだったはずだ。


 団長が勝手に配慮しただけだったはずだ。


 それが、なぜか一晩で「日取り」まで進んでいる。


 ミナが、少し離れた場所で小さく頷いた。


「……やっぱりそうなんだ」


 もう疑っていない。


 完全に確信している顔だった。


 その視線の先に、クリスとシエラがいた。


 二人は並んでいる。


 並ばされたわけではない。


 ただ、今日の予定も近いだけだ。


 それが、余計によくなかった。


「……増えてるな」


 クリスが低く言う。


「はい」


 シエラが淡々と答える。


「拡散しています」


「事実みたいに言うな」


「事実として拡散しています」


「もっと悪いわ」


 クリスは頭を抱えた。


 シエラは手帳を開きかける。


「書くな」


「まだ何も書いていません」


「書こうとしただろ」


「記録する価値はあります」


「その価値を捨てろ」


 クリスは周囲を見る。


 視線が多い。

 明らかに、こちらを見ている。


「止めるぞ」


「必要です」


 シエラも頷いた。


「誤情報が固定化する前に修正すべきです」


「もうだいぶ固まってるけどな」


「完全固定前なら、まだ訂正の余地はあります」


「じゃあ今やるぞ」


 二人は頷いた。


 そのとき。


「クリスさん」


 柔らかい声がした。


 リリアだった。


 いつも通り、まっすぐで、嬉しそうな顔をしている。


 その笑顔を見た瞬間、クリスは嫌な予感がした。


「式のお話、順調そうでよかったです」


 完全に信じていた。


 クリスが固まる。


「いや――」


 言いかける。


 だが、リリアの目がきらきらと輝いていた。


 嬉しそうに。

 本当に、嬉しそうに。


 その顔で見られると、言葉が止まる。


「……」


 沈黙、長くはない静寂。


 だが、致命的な沈黙だった。


「……ああ」


 クリスは、否定できなかった。


 シエラが一歩前に出る。


「リリアさん」


 静かに呼ぶ。


「私たちは――」


 そこまで言って、シエラも止まった。


 リリアが、今度はシエラを見た。


 まっすぐ嬉しそうに。


 期待するように。


 シエラは一瞬だけ考えた。


 そして、結論を修正する。


「……現時点では、未定です」


 否定ではなかった。

 訂正でもなかった。


 ただ、時期をぼかしただけだった。


 周囲が反応する。


「未定だってよ」


「じゃあ、これからか」


「まだ決めてないだけか」


「楽しみだな」


 広がった。


 より具体的に。

 より勝手に。


 ダリオ副官が呟く。


「止める気あるのか、あいつら」


 クリスが小さく返した。


「今やろうとしたんだよ」


 できなかっただけだった。


 そのとき、リリアが少しだけ顔を曇らせた。


「……もしかして」


 声が小さくなる。


「ご迷惑でしたか?」


 不安そうだった。

 その目が、ほんの少しだけ揺れる。


 クリスは反射的に言った。


「違う!そんなことはない!」


 声が強かった。


 周囲が静かになる。


 リリアが少し驚く。


 クリスは慌てて言い直した。


「いや、迷惑ってわけじゃない。そうじゃなくて、その……話が勝手に進んでるだけで、少し驚いただけで」


「……よかった」


 リリアは安心したように笑った。


 その瞬間、すべてが終わった。


 もう否定できなかった。


 シエラは無言で手帳を開く。


「書くな」


「重要局面です」


「だから書くな」


「記録します」


「やめろ」


 シエラは淡々と一行書いた。


 エリシア副官は、少し離れた場所でその様子を見ていた。


 表情は変わらない。


 ただ、目だけが静かに細くなる。


(……無理ですね)


 結論は早かった。

 口には出さない。


 出したところで止まらない。


 レオンが入室して、腕を組んでいた。


 満足げにこちらの様子を見ている。


「順調だな」


 ぽつりと言った。


 クリスが振り返る。


「何がだよ!」


「二人とも、だいぶ息が合ってきた」


「合ってねえよ」


「そうか?」


「そうだよ」


 レオンは不思議そうに首を傾げた。


 その顔が、また余計に腹立たしかった。


 リリアは嬉しそうに頷いている。


「よかったですね」


「姫様、それは今いちばん言っちゃだめなやつです」


 ダリオが口を開く。


「そうなのですか?」


「そうなんです」


 クリスの声には力がなかった。


 ダリオ副官が空を仰ぐ。


「……もういいんじゃねえか、諦めろ」


「よくねえよ」


 クリスは即答した。


 しかし、声は弱かった。


 その日。


 第七騎士団では。


 事実ではないものが、事実として扱われ始めた。


 誰も止めなかった。

 止められなかった。


 そして、それを止めるはずだった二人は。


 なぜか一番、否定に失敗していた。

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