皇女の理由と、変えない理由
――帝国暦三二〇年・秋終盤
東ロンバルディア帝国騎士団領
第七騎士団 本庁・中庭――夕方。
人の気配は少ない。
風だけが、静かに抜けていく。
レオンは壁にもたれていた。
空を見ている。
「……お時間、よろしいですか」
イリスの声。
「構わない」
短い返事。
イリスが隣に立つ。
少し間がある。
「以前、兄がお話しした件ですが」
静かに切り出す。
「ああ」
レオンは頷く。
「三つ、目的があると言っていたな」
「はい」
「一つ目は、すでに進んでいます」
「騎士団領との関係強化」
「表向きの話だな」
「ええ」
イリスは頷く。
「二つ目は」
わずかに視線を落とす。
「この地の資金を、外へ動かすことです」
「商人たちに、他の帝国領への投資を促す」
淡々とした口調。
レオンは小さく息を吐く。
「……滞ってるのか」
「ええ」
短く答える。
「ここは、強いですが」
「外への目は閉じています」
「なるほどな」
納得する。
そして。
「三つ目は?」
促す。
イリスは、少しだけ間を置く。
風が、ひとつ抜ける。
「騎士団の有力者を」
「帝国貴族として任じることです」
静かに、言い切る。
「形式は昇格です」
「――実質は、取り込みになります」
空気が、わずかに沈む。
「……取り込むのか」
「はい」
否定しない。
レオンは少しだけ目を細める。
「よく考えてある」
感情の薄い評価。
それだけ。
「軍は触れない」
「だから人からか」
「その通りです」
イリスが頷く。
レオンが視線を向ける。
「で」
短く。
「お前はどっちだ」
問い。
イリスは、わずかに息を整える。
「……おそらく」
「そのために来ています」
まっすぐに言う。
「候補を見つけるために」
視線は逸らさない。
レオンも外さない。
「なるほどな」
短く返す。
それで終わるはずだった。
「ですが」
言葉が続かない。
風が通る。
少しだけ、長い間。
「ここに来て、考えが変わりました」
静かに言う。
レオンは何も言わない。
言葉を待つ。
「この場所は」
「そのままの方が、強い」
確信を込めて。
言い切る。
レオンは、ほんの少しだけ目を細める。
「……だろうな」
短く同意する。
「だから」
イリスが言う。
「私は、無理に動かすつもりはありません」
宣言。
命令ではなく、選択。
レオンは壁から体を離す。
「好きにしろ」
いつもの調子で言う。
「ただ」
一歩だけ前に出る。
「ここは変えさせない」
それだけ。
強くもなく、弱くもなく。
ただ、事実のように。
イリスは頷く。
「承知しております」
それで十分だった。
風がまた通る。
遠くから声がする。
「イリス様!」
リリアの声。
変わらない。
いつも通りの。
イリスはそちらを見る。
ほんの少しだけ、息を吐く。
そして。
「……本当に」
小さく呟く。
「変える必要がないのですね」
誰に向けたものでもなく。
そのまま歩き出す。
レオンは、それを見送る。
そして、何も言わずに、また空を見た。
それでも、変わらないままだった。




