副官殿の裏の顔(※非公開)
――帝国暦三二〇年・秋終盤
東ロンバルディア帝国騎士団領
第七騎士団 本庁・談話室――夕方。
仕事終わりの、少し緩んだ空気。
騎士たちが集まっている。
話題は、自然と一つに収束していた。
「やっぱり副官殿だよな……」
「昨日のあれはやばかった」
「親衛隊止めたぞ」
ざわつき。
興奮が残っている。
ダリオも腕を組む。
「……あれは上だ」
短く。
だが、重い一言。
そのとき。
クリスが入ってくる。
「何の話だ?」
「副官殿ですよ」
クリスは少しだけ笑う。
「あー……まあな」
椅子に腰を下ろす。
「強いですよね」
「怖いっていうか」
「隙がない」
口々に出る評価。
クリスは軽く頷く。
「だいたい合ってる」
「ただな」
口元が、わずかに緩む。
「お前ら、副官殿の“裏”知らないだろ」
空気が変わる。
「……裏?」
「なんだそれ」
ダリオが聞く。
クリスは肩をすくめる。
「大した話じゃない」
「団長が、たまに“シア”って呼ぶんだよ」
「……は?」
理解が追いつかない。
クリスは続ける。
「しかもあれ、基本は二人のときだけだ」
「俺がたまたま見ただけだがな」
さらに空気がざわつく。
「で、そのあと」
「ちょっと調子崩す」
軽く言う。
「……いやいや」
「そんなわけないだろ」
「副官殿だぞ?」
否定が重なる。
ダリオも苦笑する。
「……あれはないな」
結論のように言う。
クリスは立ち上がる。
「まあ、そのうち分かる」
それだけ言って、談話室を出ていく。
残された面々は、微妙な顔をする。
「……信じるか?」
「無理だろ」
「さすがに盛ってる」
誰も本気にしていない。
ダリオも同じだった。
(……ないな)
そう思っていた。
■少し後・執務室
仕事中。
エリシアが書類を確認している。
「こちらは再提出を――」
正確。
無駄がない。
いつも通り。
そのとき。
「エリシア」
レオンの声。
何気ない。
「シア」
呼ぶ。
自然に。
無自覚に。
その瞬間。
エリシアの手が、止まる。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「……っ」
小さく息が揺れる。
ペン先がわずかにずれる。
線が、歪み。
そして。
顔が、上がる。
その表情は――
いつものものではなかった。
ほんの一瞬だけ。
迷いと、戸惑いが混ざったような。
柔らかい、何か。
すぐに消える。
「……失礼しました」
次の瞬間には、元に戻る。
完全に。
何事もなかったように。
だが。
書類の置き方が、わずかに乱れる。
確認の順序が、一瞬だけずれる。
それも、すぐに修正される。
完璧に。
ダリオは見ていた。
ゆっくりと、視線を上げる。
エリシアは、すでに通常に戻っている。
隙はない。
何もなかったように。
だが――
「……あったな」
ぽつりと。
誰にも聞こえない声で。
そして。
(……守りてえな)
一瞬思って。
すぐに打ち消す。
(いや、無理だな)
苦笑する。
ペンを取り、書類に戻る。
仕事は、止まらない。
いつも通りに。
ただ一つだけ。
知らなくていいことを、知ったままで。




