軽口ひとつで死にかけた件
――帝国暦三二〇年・秋終盤
東ロンバルディア帝国騎士団領
第七騎士団 本庁・執務室――昼。
書類は減っている。
だが、まだ多い。
流れは、止まっていない。
ダリオが背伸びをする。
「ふぅ……」
一息。
周囲を見る。
リリアが走っている。
「こちらお願いします!」
明るい声。
変わらない。
それを見て。
ダリオが、ふと口を開く。
「なあ、姫様」
軽い調子。
「うち来ません?」
――その瞬間。
止まる。
音が。
空気が。
完全に。
止まった。
ペンの音が消える。
紙の擦れる音も消える。
視線が集まる。
ダリオへ。
(……あ)
本人が一番先に気づく。
言ってはいけないやつだと。
ミナが固まる。
シエラが静かに目を伏せる。
ヴァルドは何も言わない。
(終わったな)
クリスが小さく思う。
そのとき。
「え?」
リリアが振り返る。
「ええと……どちらにでしょうか?」
真面目に聞く。
完全に、本気で受け取っている。
ダリオが焦る。
「いや、あの、違っ――」
その声を遮るように。
「ダリオ副官」
エリシア。
低い声で静かに。
だが、逃げ場がない。
「その発言の意図を、説明していただけますか」
完全に詰めに来ている。
ダリオが引く。
「いや、冗談で――」
「冗談であれば」
即座に被せる。
「尚更、問題です」
一歩、近づく。
圧がある。
「当騎士団所属の人員に対する不適切な勧誘行為」
「および、組織運用への影響を軽視した発言と判断されます」
止まらない。
「どのような意図で発言されたのか」
「簡潔に説明を」
逃げ道がない。
(怖え)
ダリオが本気で思う。
「いや、本当に冗談で……!」
「冗談で済む範囲を逸脱しています」
即断。
切り捨て。
完全に強い。
空気が、重い。
そのとき。
「……何騒いでる」
レオン。
いつの間にか来ている。
視線が集まる。
ダリオがすがるように見る。
「団長!俺は悪く――」
「勧誘したらしいです」
エリシアが即答する。
「そうか」
「別にいいだろ」
――凍る。
全員。
(よくない)
全員の心が一致する。
だが。
レオンは続ける。
「来るかどうかは本人次第だ」
完全に、理解していない。
クリスが顔を覆う。
(だめだこいつ)
そのとき。
「必要とされるのは、嬉しいことですね」
リリア。
にこりと笑う。
「ですが」
「今はここで頑張りたいと思っています」
まっすぐ。
迷いなく。
言い切る。
空気が、少し緩む。
エリシアの肩の力が、わずかに抜ける。
ほんの一瞬だけ。
だが、確かに。
ダリオは大きく息を吐いた。
「……助かった」
小さく呟く。
クリスが横で言う。
「軽口に命かけるなよお前」
ダリオが苦笑する。
「……二度と言わん」
周囲が、静かに頷く。
教訓としては、十分だった。
ただ一人。
「で、何が問題だったんだ」
レオンだけが、首を傾げていた。
そしてクリスは、心の中で静かに思う。
(……親衛隊がここにいなくて、本当によかった)




