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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第7話 剣の外側

――帝国暦三二〇年・春初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 市場――


 午後の視察は、予定より早く終わった。


「団長、次の予定ですが」


「少し時間あるよな」


「……ありますが」


 エリシアが予定表から顔を上げる。


 レオンは通りの向こうへ目を向けていた。


「市場、見てくる」


「視察ですか」


「まあ、そんなところだ」


 それ以上は言わず、レオンは歩き出した。


 騎士団領の市場は、よく整っている。

 道は広く、店の並びも乱れていない。


 野菜、布、道具、パン。


 必要なものが必要な場所にあり、騒がしすぎることもない。


(……ちゃんとしてるな)


 それ以上の感想は、すぐには出てこなかった。


「いらっしゃい。パン、焼きたてだよ」


 店主の声に、レオンの足が止まる。


 理由はない。

 ただ、温かい匂いがした。


「……一つ」


 銅貨を出す。


 一瞬だけ迷った。


(これで合ってるか)


 店主は何も言わず、パンを渡してくる。


(合ってたか)


 レオンは小さく息を吐いた。


 かじる。

 温かい。


「……うまいな」


「そりゃそうだ。焼きたてだからな」


 店主が笑った。

 気を使っていない、自然な笑いだった。


 レオンはそれが少しだけ気に入った。


「団長」


 背後から声がした。

 振り向かなくても分かる。


「いると思った」


「視察ですので」


「そういうことにしとけ」


 エリシアが隣に立つ。


 レオンはもう一口、パンをかじった。


 店先には、見慣れない道具がいくつか並んでいる。


 曲がった金具。

 小さな木箱。

 細い紐がいくつもついた何か。


(何に使うんだ、これ?)


 少し気になった。

 だが、聞くのはやめた。


 騎士団長がそんなことを聞くのは、どこか場違いに思えた。隣で、エリシアは静かにそれを見ていた。


(……知らないのですね)


 値段も。

 品物の使い道も。

 こういう場所での振る舞いも。


 レオンハルトは、こういったことをほとんど知らない。それでも、この人は団長として立っている。


 剣を持てば、誰よりも先を見ているのに。

 市場では、銅貨一枚に迷う。


 その差が、エリシアには少しだけ不思議だった。


「団長」


「なんだ」


「それは、業務に含まれますか」


 レオンは少しだけ考えた。


「含める」


「便利な言葉ですね」


「だろ」


 短いやり取り。


 市場を風が通る。


 人の声が重なり、荷車の車輪が石畳を鳴らす。レオンは店先を眺めたまま、ぽつりと言った。


「……こういうの、いいな」


「こういうの、とは?」


「普通のやつ」


 言葉を探すような言い方だった。


「買って、食べて、歩いて。誰もこっちを見てない感じのやつ」


 エリシアはすぐには答えなかった。


 普通。


 レオンハルトの中に、それはあまりなかったのだろう。


 家でも、騎士団でも、訓練場でも。彼はいつも、正しい場所に立たされている。


「……団長には不要です」


 反射的にそう言っていた。


 言ってから、わずかに遅れて気づく。


(違う)


 それは、答えではない。


 レオンはあっさりうなずいた。


「だろうな」


 気にしていない声だった。


 期待もしていない。


 ただ、そうだと受け取っている。それが、エリシアには少しだけ引っかかった。


「団長」


「なんだ」


 今度は、少し迷った。


 それでも言う。


「必要であるかどうかと、望むことは別です」


 静かな声だった。


 レオンが、わずかに目を向ける。


「……珍しいな」


「そうでしょうか?」


「お前がそういうこと言うの」


 少しの沈黙。


 エリシアは市場の通りへ視線を向けた。


「……そうかもしれません」


 レオンはパンの残りを食べ終える。


「覚えとく」


 短い返事だった。

 それだけだった。


 けれど、エリシアには十分だった。


 並んで歩き出す。


 整った街の中。


 人の声と、生活の音の中。


 レオンはいつもより少しだけ、肩の力が抜けているように見えた。


「団長」


「なんだ」


「次回から、市場確認も予定に入れておきますか」


「……業務としてか?」


「はい」


 レオンは少しだけ考えた。


「いや」


「違うのですか」


「それだと、普通じゃなくなる」


 エリシアは目を伏せる。


 その答えは、少しだけ彼らしかった。


「では、予定には入れません」


「ああ」


「ただし、時間が余った場合の行き先としては把握しておきます」


「結局、管理するんだな」


「副官ですので」


 レオンは小さく息を吐いた。

 面倒そうな顔だった。


 けれど、本当に嫌そうではなかった。


 今、ほんの少しだけ。


 レオンは、剣の外側に立っていた。


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