第6話 見えているものが違う
――帝国暦三二〇年・春初め 第七騎士団 訓練場――
乾いた音が、訓練場に響いた。
木剣同士がぶつかり合い、空気が震える。
「……次」
レオンが短く言った。
前に出たのは、第三騎士団から来ている客将だった。実戦経験も豊富な、中堅の騎士である。
「本気でいいんだな?」
「いい」
返事に迷いはない。
客将は一度だけ息を整え、構えた。
開始の合図はなかった。
客将が踏み込む。
速い。
迷いもない。
鋭い一撃が、レオンの肩口を狙って振り下ろされる。
――だが。
レオンは動かなかった。
いや、動いた。
ほんのわずかに、体の位置をずらしただけだ。木剣が空を切る。
「……っ」
客将の目が見開かれる。
外れるはずのない距離だった。
避けられるはずのないタイミングだった。
次の瞬間。
カン、と軽い音が鳴る。
客将の剣が弾かれた。
体勢が崩れる。
そこへ、レオンの木剣が打ち込まれる。
寸前で止まった。
「そこまで」
レオンは剣を引く。
客将はしばらく動かなかった。
「……何をした」
「避けただけだ」
レオンは簡単に答えた。
「違う」
客将が低く言う。
「あの距離で、あの速度で、普通は反応できない」
レオンは少しだけ考えた。
「来るのが見えた」
訓練場の空気が止まる。
「……何が」
「軌道」
短い答えだった。
「踏み込みの角度。肩の入り方。視線。癖が出てるから、先にわかる」
淡々とした説明。
まるで、誰にでもできることのように言う。
エリシアはその横顔を見ていた。
幼い頃から、何度も見てきた。
それでも、いまだに理解できない。
(見えている、というより……)
先に知っている。
そんな動きだった。
経験や訓練で身につくものではある。けれど、ここまで正確に読めるものなのか。
「もう一回やるか?」
レオンが言った。
「……頼む」
客将は再び構える。
今度は慎重だった。
踏み込みを変える。
肩の動きを抑える。
視線も読ませないようにする。
さらに途中で角度を変えた。
フェイント。
速度のずれ。
普通なら、十分に相手を崩せる動きだった。だが、レオンは崩れない。
むしろ、最初からそこへ来ると分かっていたように、剣を置いた。
木剣が止まる。
客将の喉元の前で。
「……」
客将は言葉を失った。
「終わりでいいか」
「……ああ」
完全な敗北だった。
客将は剣を下ろし、息を吐く。
「レオンハルト団長。お前は……」
絞り出すような声だった。
「本当に、見えているのか」
レオンは首を傾げた。
「このくらい、普通だろ」
何の疑問もない声だった。
その言葉に、周囲が沈黙する。
普通。
今のものを、普通と言った。
エリシアは目を伏せる。
(違う)
これは技術だけではない。
単なる経験でもない。
超感覚。
しかも、本人にとっては説明する必要すらない感覚だ。だから厄介なのだ。
レオンは木剣を肩に担ぐ。
「次」
何もなかったように言う。訓練場にいた騎士たちは、すぐには動けなかった。
その中で、クリスだけが小さく笑った。
「いや、普通じゃねえよ」
ぽつりと呟く。
それが、この場の全員の答えだった。
レオンが不思議そうに振り向く。
「見ればわかるだろ」
「見えねえから言ってんだよ」
クリスの返事に、何人かの騎士が小さくうなずいた。
エリシアも、心の中で同じことを思う。
この人は、同じ場所に立っていても、同じものを見ていない。見えているものが、最初から違うのだ。
レオンはしばらく周囲を見回し、それでも納得できない顔をした。
「……次、いないのか」
その一言で、騎士たちはようやく我に返る。次の者が、恐る恐る前へ出た。
訓練は続く。
ただし、その場にいた全員が理解した。
レオンハルト・ヴァイスは強い。
それは知っていた。
けれど今日、改めて思い知らされた。
この男は、ただ強いだけではない。
そもそも、見えている世界が違う。




