正しい場所に立つということ
――帝国暦三二〇年・春初め
グラナート家 屋敷/訓練場――
副官エリシアの家、グラナート家の朝は早い。
「姿勢が甘い」
低く、よく通る声。
第三騎士団長――父が剣を構えている。
「はい」
短く返す。
踏み込む。
弾かれる。
一瞬の遅れも、許されない。
「迷いがある」
「ありません」
だが――次の一撃で、崩される。
「あるな」
言葉が詰まる。
否定できない。
(……わずかに)
本当に、わずかだ。
それでも。
(見抜かれる)
この人には。
剣を握り直す。
力が入る。
「団長の隣に立つ者が、その程度でどうする」
淡々とした声。
責めているわけではない。
ただ、事実を置く。
「……承知しております」
踏み込む。
今度は崩れない。
だが――
(硬い)
自分でもわかる。
(余裕がない)
打ち込みが終わる。
息は乱れていない。
乱さないようにしている。
「エリシア」
「はい」
「お前は、どうしたい」
珍しい問いだった。
一瞬だけ、空白。
だが、すぐに埋める。
「第七騎士団団長の副官として、職務を全ういたします」
淀みなく答える。
「そうか」
それ以上は問われない。
剣を下ろす。
(……それでいい)
そう思う。
そう思うしかない。
回廊を歩く。
整った屋敷。
無駄のない生活。
(変わらない)
ここもまた、正しい場所。
自分もまた、その一部。
(あの人も、変わらない)
レオンハルト。
幼い頃から知っている。
真っ直ぐで、無駄がなくて、誰よりも速く強い。
だから当然のように――
(隣に立つ)
そう決めてきた。
周囲も、それを疑わない。
でも最近。
ほんのわずかに。
(……遠い)
距離は変わっていない。
同じ場所にいる。
それなのに。
(手が届かないような)
理由はわからない。
ただ、感覚だけが残る。
翌日、執務室。
「団長」
「なんだ」
「本日の予定です」
いつも通り、読み上げる。
乱れなく、正確に。
(崩さない)
崩してはいけない。
自分が崩れれば――
(この人は、もっと崩れる)
根拠はない。
だが、確信に近い。
「エリシア」
「はい」
「お前、疲れてないか?」
不意の言葉。
一瞬、止まる。
(……気づかれている?)
すぐに切り替える。
「問題ありません」
完璧な返答。
(……本当は)
少しだけ、疲れている。
だが、それは問題ではない。
(この位置にいるためのものなら、軽い)
そう言い聞かせる。
(この人の隣にいる)
それがすべて。
それが正しい。
それが、自分の役目。
(……それだけ?)
一瞬だけ浮かぶ。
すぐに消す。
(違う)
迷いではない。
あってはいけない。
「レオンハルト団長」
「なんだ」
「本日も予定通り進行可能です」
「そうか」
短いやり取り。
変わらない距離。
(このままでいい)
そう思う。
思い続ける。
疑わないように。
――それでも。
ほんのわずかに。
その“正しさ”が、揺らぎ始めていた。




