表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/212

第64話 行かせない理由

 ――帝国暦三二〇年・秋終盤 ヴェリア帝国 東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁 執務室――午前。


 執務室は、以前より静かに回っていた。


 書類の山がなくなったわけではない。


 報告が減ったわけでもない。


 確認すべきものは相変わらず多く、外部から回ってくる案件も尽きない。


 それでも、流れが違う。


 止まり方が減った。


 戻し方が軽くなった。


 エリシアが流れを止めずに整え、リリアが細かな確認を拾い、イリスが別の視点でずれを抜く。三人の動きが、少しずつ噛み合い始めていた。


「……落ち着いたな」


 レオンが書類から顔を上げて言う。


 向かいに立つクリスが、軽く肩をすくめた。


「落ち着いたっていうか、うまく回り始めたな」


「そうだな」


「三人、いい感じに噛み合ってる」


 クリスの視線が、執務室の奥へ向く。


 エリシアは机の前で書類を分けている。


 リリアはその隣で、確認済みの束に印をつけている。


 イリスは少し離れた席で、流れのずれがないかを見ていた。


 それぞれが別のことをしている。だが、ばらばらではない。


「正直、あそこまで上手くいくとは思ってなかった」


 レオンは目を細める。


「……イリスがいると、かなり違うな」


「お前、言い方」


 クリスが苦笑する。


「でも間違ってない。あれだけ見られる人が一人いると、第七の中がだいぶ軽くなる」


「ああ」


 レオンは机の端に置かれた別の束を見る。


 第十騎士団関連の補助書類だった。


 第七騎士団の本来の書類ではない。


 だが、今のレオンは第七騎士団長であると同時に、第十騎士団長も兼任している。


 そのため、第十騎士団の処理も、最終的にはレオンのところへ流れ込んでくる。


「第十の書類、まだ詰まってるだろ」


 クリスが言う。


「ああ」


「そろそろ手を入れるか」


「そうだな」


 レオンは迷わなかった。


「応援を出す」


「だな」


 クリスも頷く。


「今の第七なら、少し人を外に出しても回る」


「イリスが見てくれる間なら、何とかなる」


「客人に頼り切るのはまずいけどな」


「分かってる」


 レオンは短く返した。


 イリスはあくまで客人だ。


 正式な第七騎士団の人間ではない。だが、現実として、彼女がいる間は第七の書類の流れが安定している。


 ならば、その間に第十騎士団の詰まりも少し処理しておきたい。


「問題は、誰を出すかだな」


 クリスが言った。


「イリスは客人だ。出せない」


「ああ」


「エリシアも無理だな」


 その言葉に、少し離れた場所で書類を整理していたエリシアの手が止まった。


 レオンは当然のように続ける。


「エリシアは長期で外せない」


 短い言葉だった。


 何の飾りもない。


「第七の中核で副官だ。今ここから抜いたら、せっかく回り始めたものが固まる」


「だよな」


 クリスも軽く頷く。


「一日二日ならともかく、長期で外すのは無理だ」


 エリシアは顔を上げない。


 手元の書類へ視線を落としたまま、静かに次の紙を揃える。


 だが、胸の奥がほんの少しだけ温かくなった。


(……そうですか)


 必要だから外せない。

 ただそれだけの判断だ。


 評価でも称賛でもない。


 分かっている。


 それでも。


(中核、ですか)


 その言葉は、少しだけ嬉しかった。

 もちろん、顔には出さない。


 エリシアは何事もなかったように、書類の端を揃えた。


「となると」


 クリスが続ける。


 二人の視線が、自然と一つの席へ向いた。


 リリアだった。


 机の端で、彼女は丁寧に書類を揃えている。


「……リリアか」


「だな」


 クリスが即答する。


「長期で第十に回す。補助と連絡整理なら、あいつが一番丸い」


「第七の空気を分かった上で、外の書類も見られる」


「しかも、相手の受けもいい」


 合理的だった。


 問題はない。


 ――はずだった。


 ■第七騎士団 本庁 執務室――午後。


 その時、リリアは執務室にいなかった。


 隣の資料室で、控え書類の確認をしている。


 それを確認したわけではないだろうが、少なくとも騎士たちは、リリア本人の前でこの話をするほど無謀ではなかった。


 突然、執務室の扉が、勢いよく開いた。


「団長!!」


 声が響く。


 一人ではない。


 次々と騎士たちが入ってくる。


 数が多い。


 明らかに、普通の報告ではなかった。


「……なんだ?」


 レオンが眉をひそめる。


 前に出た騎士が、拳を握りしめて叫んだ。


「姫様を――」


 一瞬、言葉が詰まる。


 そして、腹を決めたように続けた。


「行かせないでください!!」


 声が揃う。


 さらに、別の騎士たちも口々に訴え始める。


「姫様がいないと困ります!」


「朝が……!」


「空気が……!」


「確認印が……!」


「笑顔が……!」


「……業務に支障が出ます!!」


 最後だけ、無理やり整えた。


 だが、ほとんど感情だった。


 レオンは無言で騎士たちを見る。


 そして、小さく息を吐いた。


(……なるほどな)


 理解する。

 論理ではない。

 完全に情だ。


 いや、情だけではないのかもしれない。


 リリアがいることで、執務室の空気が柔らかくなる。


 騎士たちが書類を出しやすくなる。

 確認を頼みやすくなる。


 それも、確かに業務の一部ではある。


 だが、この訴え方はひどい。

 その時、後ろで扉がもう一度開いた。


 エリシアが入ってくる。


 すぐに足を止め、状況を見る。


 騎士や団員たち。

 涙目。

 訴え。


 机の前に立つエリシア。


「……何をしているのですか?」


 低く、静かな声だった。


 だが、視線は冷えている。


 騎士たちが一瞬固まる。


 それでも、誰かが叫んだ。


「姫様を第十騎士団に出すと聞きました!」


 エリシアの眉が、わずかに寄る。


「……それがどうかしましたか?」


 冷静だった。


「業務上、必要であれば当然の配置です」


 正論。


 騎士たちが一瞬ひるむ。


 だが、ここまで来た以上、引けなかった。


「それでもです!!」


「姫様は第七の姫様です!」


「外へ長期で出すのは、士気に関わります!」


「確認作業にも関わります!」


「あと朝の挨拶にも関わります!」


「最後のは業務ではありません」


 エリシアが即座に切る。


 騎士たちは黙った。


 だが、下がらない。


 その中の一人が、なぜか真剣な顔で言った。


「代わりに、クリス中隊長を出してください!」


「え?俺?」


 壁際にいたクリスが、自分を指差した。


 騎士たちは一斉に頷く。


「はい!」


「クリス中隊長なら大丈夫です!」


「最近書類仕事にも慣れたので、第十騎士団でもやっていけます!」


「それに、姫様ほど第七の空気に影響しません!」


「おい」


 クリスが少し笑いながら、眉を上げる。


「最後のはどういう意味だ」


 騎士たちは視線をそらした。


 レオンは肩を震わせて笑っている。


 エリシアは、それを見て少しだけ苛立った。


「クリス中隊長を長期で外すのも、別の問題が出ます」


「では、副官殿が――」


「私ですか」


 エリシアの声が一段低くなる。


 騎士たちの背筋が伸びた。


「い、いえ、その、副官殿ならどこでも完璧に……」


「何でも褒めれば通ると思わないでください!」


「申し訳ありません!」


 今度はクリスが横で完全に笑っている。


 エリシアは一度だけ鋭くそちらを見た。


「クリス中隊長」


「はいはい」


「笑っていないで、あなたが行くという選択肢も検討されてはいかがですか?」


「いや、俺が長期で抜けるのもそれはそれで困るだろ」


「自覚はあるのですね」


「あるある」


 軽い。


 実に軽い。


 エリシアは小さく息を吐いた。


 それから、レオンを見る。


「……団長」


「なんだ」


「必要であれば、私が行きます」


 執務室の空気が止まった。


 騎士たちも、クリスも、一瞬黙る。


 エリシアは淡々と続けた。


「一日程度ならともかく、長期で人を出す必要があるのでしたら、私が第十騎士団側へ入った方が早いかもしれません」


 騎士たちが、少しだけ期待の目で見る。


 リリアを守れる。

 そう思ったのだろう。


 だが、レオンは即座に首を横に振った。


「いや、それはない」


「ですが」


「一日で終わるならまだしも、長期だろ」


 レオンは短く言う。


「お前を長く外すわけにはいかない」


 迷いのない声だった。


「さっきも言った。今の第七は、お前が中で固めてる。そこを抜いたら、こっちが崩れる」


 エリシアは少しだけ目を伏せた。


「……承知しました」


 声はいつも通りだった。


 だが、胸の奥には、また少しだけ温かいものが残った。


 騎士たちは、それを見て慌てたように口々に言う。


「で、では姫様は……」


「姫様は……!」


「姫様だけは……!」


 レオンは騎士たちを見る。


 それから、クリスを見る。


 エリシアを見る。


 最後に、資料室へ続く扉の方を見る。


 リリアはまだ戻ってこない。


(……面倒だな)


 小さく息を吐く。


「……分かった」


 一言。


 空気が止まる。


「リリアは出さない」


 一斉に騎士たちの顔が上がった。


 安堵。

 歓声。

 泣きそうな顔。


 その全部が同時に押し寄せる。


「団長……!」


「ありがとうございます!」


「さすが団長!」


「その代わりだ」


 レオンの声で、騎士たちの動きが止まる。


 視線が戻る。


「第十騎士団の書類も、第七で処理する」


 一瞬の沈黙。


「……は?」


 誰かが漏らした。


 レオンは構わず続ける。


「量は増える」


「……はい」


「確認も増える」


「……はい」


「連絡調整も増える」


「……はい?」


「リリアを出さないなら、その分、お前らも動け」


 短く。


 逃げ道はない。

 自分たちで選んだのだ。


「お前ら、騎士だろ。守りたいものがあるなら、泣きつく前に働け」


 騎士たちは顔を見合わせる。


 それから、一斉に背筋を伸ばした。


「……やります!」


「当然です!」


「任せてください!」


「姫様のためなら!」


「第七のためと言え」


「第七のためです!」


 今度は声が揃った。


 覚悟で。


 レオンは頷く。


「決まりだ」


 それで終わった。


 騎士たちは一斉に動き出す。


「第十の分、こちらで受けます!」


「補助卓を一つ空けろ!」


「確認済みの束を分けろ!」


「姫様にはご負担をかけるな!」


「お前がまず落ち着け!」


 嵐のように騎士たちは散っていく。


 少しして、資料室へ続く扉が開いた。


 リリアが、控え書類の束を抱えて戻ってくる。


「……あの、何かあったのですか?」


 騎士たちの妙な熱気を見て、リリアが首を傾げる。


 誰も答えない。

 答えられない。


 レオンは視線を逸らし、クリスは笑いをこらえ、エリシアは静かに書類を整え直した。


「何でもない」


 レオンが言う。


「少し仕事が増えただけだ」


「そうなのですか?」


「ああ」


 リリアは不思議そうに瞬きをしたが、それ以上は聞かなかった。


 その隣で、イリスが静かに様子を見ていた。そして、少しだけ楽しそうに目を細める。


 また一つ。


 第七騎士団という場所の、理屈だけでは測れない部分を知ったように。


 少しだけ静寂が戻った。


「……あいつら」


 レオンが呟く。


 呆れた声だった。


 クリスがまだ笑っている。


「人気者だな、姫様」


「お前も止めろよ」


「無理だろ。あの勢いは止まらない」


「止める気なかっただろ」


「まあな」


 軽いが、的確だった。


 エリシアは静かに書類を見る。


 増えた処理予定。


 第十騎士団関連の束。


 どう見ても、楽ではない。


「……非効率ですわね」


 淡々と言う。


「ですが」


 ほんのわずかに間を置く。


「……士気は上がってます」


 認めた。


 レオンが少しだけ笑う。


「回るならいい」


 一言。


 それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ