知らなかった姫様
――帝国暦三二〇年・秋終盤
東ロンバルディア帝国騎士団領
第七騎士団本庁執務室前――朝。
「おはようございます、姫様!」
いつもの声。
リリアが手を振る。
「おはようございます!」
返す。
少しだけ嬉しそうに。
いつも通り。
――の、はずだった。
「……あの、リリア様」
騎士の一人が、少しだけ言いづらそうに声をかける。
「昨日の件ですが」
「……昨日?」
リリアが首を傾げる。
「その……執務室で」
言葉を選ぶ。
「皆で、団長にお願いを……」
「リリア様を第十に行かせないように、と」
リリアの動きが止まる。
「……え?」
数秒。
「え?」
もう一度。
理解が追いつかない。
「え?、なんで?」
素直な疑問。
騎士が困った顔をする。
「その……必要でして」
「必要?」
「はい」
頷く。
「姫様がいらっしゃらないと」
「空気が……」
言葉が詰まる。
リリアがじっと見る。
「……仕事に支障が出ると判断しました」
なんとか整える。
リリアは少しだけ黙る。
それから。
「……ええと」
困る。
少しだけ顔が赤くなる。
「そんなこと、ないと思うんだけど……」
小さく言う。
だが、騎士たちは真剣だ。
「いえ、あります」
皆で即答。
「あります!」
強い。
リリアはさらに困る。
「……そう、なの?」
自覚がない。
だから、どうしていいかわからない。
その様子を。
イリスが少し離れて見ている。
静かに。
「人気なのですね」
ぽつりと言う。
リリアが振り返る。
「え?」
「とても」
淡々と。
事実として。
リリアは少しだけ顔をそらす。
「……なんか、違う気がする」
納得していない。
否定もできない。
その様子に、イリスが僅かに目を細める。
少しだけ。
楽しそうに。
そのとき。
「そこ、騒ぐな」
低い声。
レオンが来る。
騎士たちが一斉に姿勢を正す。
「団長!」
リリアが慌てて振り向く。
「兄さん、あのね――」
「聞いてる」
短く遮る。
「……お前ら」
騎士たちを見る。
「朝から何してる」
呆れた声。
騎士たちは一瞬固まる。
けれど、目は逸らさない。
レオンは小さく息を吐く。
「……で、結果だが」
「第十だけじゃなく、第ニも詰まってる」
現実。
「お前らだけじゃ無理だ」
はっきり言う。
騎士たちが少しだけ沈む。
「だから」
続ける。
「第十と第ニの書記官を呼ぶ」
一瞬静まる。
「三騎士団分、まとめて処理する」
合理的な結論。
「ここで、全部回す」
止めない。
逃がさない。
騎士たちは顔を上げる。
「……やれます!」
声が上がる。
今度は、迷いがない。
レオンは頷く。
「なら働け」
それだけ。
騎士たちは散っていく。
嵐のように。
静けさが戻る。
リリアはまだ少し呆然としている。
「……なんだったの、これ」
本音。
イリスが答える。
「信頼、だと思います」
静かに。
リリアは少し考える。
それから。
「……ちょっと重い」
正直に言う。
レオンが小さく笑う。
「だろうな」
短く。
それで終わる。
だがどこか、悪くない空気だった。




