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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第60話 当たり前の優勝

 ――帝国暦三二〇年・秋終盤 ヴェリア帝国 東ロンバルディア帝国騎士団領 合同剣技大会 決勝戦――


 歓声が上がった。


「そこまで!」


 審判の声が響く。


 勝負は、一瞬だった。


 踏み込み。


 一閃。


 それだけで、決着がついた。


 相手の剣が弾かれ、足が止まる。


 レオンハルト・ヴァイスの剣は、その首元の寸前で静かに止まっていた。


 速すぎる。

 鋭すぎる。

 だが、乱れていない。


 ただ、決めるべき場所に剣が置かれただけのように見える。


「勝者――レオンハルト・ヴァイス!」


 審判が告げる。


 どよめきが広がった。


「やっぱりか……」


「速すぎるだろ」


「決勝であれかよ」


「相手も団長級だぞ……」


 ざわめきと興奮が、観客席へ波のように広がっていく。


 その中で、リリアは目を見開いていた。


「……すごい」


 思わず呟く。


「今の、ほとんど見えませんでしたわ……」


 隣で、イリスも視線を外さない。


「……ええ」


 静かな声だった。


「踏み込みの前に、すでに勝負が決まっていました」


 冷静な分析。


 だが、その奥に確かな驚きがある。


 イリスは、軽く目を細めた。


「想定以上です」


 レオンは剣を納める。

 息も乱れていない。


 額に汗はあるが、疲労の色は薄い。


 何事もなかったように礼をし、そのまま場を降りた。


 ■合同剣技大会 会場脇――


「おつかれ」


 会場脇で、クリスが軽く声をかける。


「ああ」


 レオンも短く返す。


 それだけだった。

 特別な労いもない。

 大げさな称賛もない。


 クリスは水筒を差し出し、レオンはそれを受け取る。


「今年も終わりだな」


「そうだな」


「去年の方が面倒だったか?」


「相手による」


「まあな」


 拍子抜けするほど、普通の会話だった。


 リリアは少し遅れて近づく。


「……あの」


 声が少し上ずっていた。


「お兄さま、今の……!」


 言葉を選ぶように、一度口を閉じる。


 それから、改めて言った。


「とても、お見事でしたわ……!」


 素直な感嘆だった。

 レオンは少しだけ考える。


「そうか?」


 本気で分かっていない顔だった。


「はい……!」


 リリアは力強く頷く。


「本当に、すごかったです」


「決勝だからな」


「決勝だから、余計にすごいのではありませんか?」


「そういうものか?」


「そういうものですわ」


 リリアは少しむっとしたように言う。


 その隣で、イリスが静かに一礼した。


「優勝、おめでとうございます」


「ありがとうございます」


 レオンは形式通りに返す。


 だが、イリスの視線はまだ剣の方に向いていた。


「……毎年、ですか?」


 静かな問い。


 レオンはあっさり答える。


「ああ」


 一瞬の間。


「十三の頃からな」


 当然のような言い方だった。


 空気が止まる。


「……十三歳から」


 リリアが繰り返す。


「毎年?」


「そうだな」


 軽い調子。


 自慢ではない。

 誇張でもない。


 ただ、記録を確認するような声だった。


 その横で、クリスが何でもないことのように続ける。


「今年は楽だったな」


「そうか?」


「去年の方が面倒だっただろ」


「そうかもな」


「準決勝の相手がしつこかったからな」


「ああ」


 普通の会話。


 完全に“いつものこと”として処理されている。


 リリアとイリスは、同時にそちらを見た。


(……驚いていない)


 リリアはそこに驚いた。


 イリスも、同じことを見ている。


 レオンが優勝したことに、誰も本気で驚いていない。


 観客は騒いでいる。

 騎士たちも称えている。

 けれど、近くにいる者たちは違う。


 クリスは当然のように水を渡し、エリシアは結果の記録を確認し、レオン本人はもう次の予定を考えている。


「……クリス様」


 リリアがそっと聞いた。


「これは、その……特別なことではありませんの?」


 クリスは少し考える。


「いや」


 肩をすくめる。


「大会としては特別だろ。優勝なんだから」


「では」


「でも、レオンにとってはいつものことだ」


 軽く言う。


 エリシアも、記録用の書類から顔を上げる。


「はい」


 迷いなく頷いた。


「例年通りかと」


 それだけだった。


 評価ですらない。


 ただの事実。


 リリアは言葉を失う。


(……これが)


 この場所の“普通”。


 兄が優勝する。


 誰も驚かない。


 それどころか、今年は楽だったと話している。リリアにとっては、胸が熱くなるほど誇らしい光景だった。


 だが、この人たちにとっては、長く続いている日常の一部なのだ。


 イリスは静かにレオンを見る。


(……なるほど)


 理解する。


 強い。

 それは間違いない。


 だが、それだけではない。


 レオンは、すでに“そういう存在”として扱われている。


 勝つことを疑われていない。

 優勝することを驚かれていない。


 あの速さも、あの判断も、周囲にとっては異常ではなく、前提になっている。


 そこまで含めて、この男の位置ができている。


「……驚かないのですね」


 イリスがぽつりと言った。


 エリシアはわずかに目を細める。


「今さらですので」


 静かな返答だった。


 その声には、誇りもある。

 だが、それ以上に、慣れがある。


 イリスは小さく頷いた。


「そうですか」


 エリシアは再び記録へ視線を落とす。


 けれど、心の奥では別のことを思っていた。


(……毎回、違うのに)


 レオンの剣は、毎回同じではない。


 相手によって変わる。


 踏み込みも、角度も、間合いの取り方も違う。


 ただ、結果だけがいつも同じなのだ。


 勝つ。


 だから、周囲は慣れていく。

 驚かなくなる。


 当たり前として処理する。


(慣れない)


 エリシアは思う。


(慣れてはいけない)


 それでも、表には出さない。


 レオンは特に気にする様子もなく、剣を預けて歩き出す。


「戻るか」


「はい、お兄さま」


 リリアが慌てて並ぶ。


 イリスも一歩遅れて続いた。


 クリスが欠伸混じりに肩を回し、エリシアは記録用の書類を片づける。


 それぞれが、それぞれの役目へ戻っていく。


 リリアは、少し前を歩く兄の背中を見る。


 イリスもまた、同じ背中を見ていた。


 二人は、別々の立場で、同じことを思っている。


 ――この人は。


 ずっと前から、ここにいたのだと。


 誰よりも高い場所に。


 当たり前の顔で。


 そして、その高さを、本人だけが大したことだと思っていない。


 だからこそ。


 その背中は、余計に遠く見えた。

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