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合わない音

 ――帝国暦三二〇年・秋中頃

 東ロンバルディア帝国騎士団領

 第七騎士団 本庁――


 皇女は、そのまま残ることになった。総騎士団長への挨拶を終えた後。 本人の希望で、第七騎士団に滞在。客人として扱う。それだけなら、珍しくはないだが。


「手伝わせてください」

 その一言で、状況が変わった。

 エリシアは書類をめくる手を止める。

「……本気ですか」

「ええ」

 イリスは頷く。


「見ているだけでは、理解が浅くなりますから」

 理にかなっている。

 否定はできない。



(……だから困る)

「危険も伴います」

「承知しています」


 迷いがない。

 エリシアは一瞬だけ黙る。

(止める理由がない)

 それが一番、厄介だった。

「……では、軽作業から」

 条件をつける。

 管理できる範囲で。

 崩れないように。


「ありがとうございます」

 素直に頭を下げる。

 その動きも、整っている。



 ――数日後。

 イリスは、もう“外”にいなかった。

 書類整理。

 物資確認。

 報告の整理。

 どれも、手を出している。

 無理はしていない。


 だが確実に、踏み込んでいる。

(……早い)

 エリシアは横目で見る。

 手際がいい。

 覚えもいい。


 しかも余計なことをしない。

「これで合っていますか?」

 差し出された書類。

 確認する。

 問題ない。


「……ええ」

「ありがとうございます」

 それだけで終わる。

 押さない。

 主張しない。

 自然に、流れに入ってくる。


(……やりにくい)

 その時。

「皇女様、これどうやるんでしたっけ?」

 リリアがひょこっと顔を出す。

「これはですね――」

 イリスが説明する。

 ゆっくり。

 噛み砕いて。

 リリアが頷く。


「なるほどー」

 そのまま隣に座る。

 距離が近いが、不自然じゃない。

 気づけば、二人で作業している。

 笑い声も、小さく混じる。


(……早い)

 今度は別の意味で。

 エリシアは視線を戻す。

 書類に集中する。


 二人の会話が耳に入る。

 柔らかい声。

 緩んだ空気。


(……違う)

 ここは。

 そういう場所じゃない。

 整えるべき場所だ。

 無駄を排し。

 効率を維持し。

 止めない。


(それなのに)

 イリスは。

 それを崩さずに。

 少しだけ、変える。

「少し、詰めすぎかもしれませんね」

 ふと。

 イリスが言う。

 書類の配置を見ながら。


「この間隔なら、もう少し余裕があっても問題ありません」

 エリシアの手が止まる。

(正しい)

(でもそれをやると)

 回転が落ちる。

 遅れが出る。

 その先にあるものを、エリシアは知っている。


「現状で問題はありません」

 短く返す。

 それ以上は言わせない。

 イリスは一瞬だけ、こちらを見る。

 何も言わない。

 ただ、小さく頷く。

「そうですか」

 それで終わる。


 否定しない。

 押し返さない。

 だが、引かない。

(……この人は)

 エリシアは理解する。

 この人は正しい。

 それが困る。


(その通りにしたら)

(回らなくなる)

 そしてもっと厄介なことに。


 イリスは。

 それでも。

 回してしまう。

 無理をせずに。

 押さずに自然に。


(……気に入らない)

 小さく息を吐く。

 一方で。

「これ、楽ですね」

 リリアが笑う。

「さっきよりやりやすいです」

 イリスが少しだけ微笑む。

「それならよかった」


 それだけで誇らない。

 押しつけない。

 ただそこにある。

 エリシアは視線を落とす。

 書類は整っている。

 だが。

 どこか、違う。


 揃っているのに。

 同じではない。

(……合わない)

 それが、結論だった。

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