来訪者
――帝国暦三二〇年・秋初め
東ロンバルディア帝国騎士団領
第七騎士団 本庁前――
その知らせは、準備の余地を与えなかった。
「帝都より使節団、到着します」
嫌な予感しかしない。
「内容は?」
「皇女殿下のご来訪です」
「……早すぎないか」
レオンが呟く。
「予定より大幅に前倒しです」
エリシアの声は、わずかに硬い。
(普通は、ここまで急がない)
本庁前。
馬車が止まる。
過剰な装飾はない。
だが、一目でわかる。
“中枢”。
扉が開く。
一人の少女が降り立つ。
無駄のない立ち姿。
整っている。
それだけで、場の視線が集まる。
「はじめまして」
静かな声。
「イリス・ヴェル=ヴェリアと申します」
完璧な礼。
隙がない。
だが――
顔を上げた瞬間。
ほんのわずかに、空気がやわらぐ。
(……この人)
レオンは一歩前に出る。
「レオンハルト・ヴァイスだ」
「随分と早いご到着だな」
責めない。
ただ、事実を見る。
イリスはわずかに目を細める。
「予定より前倒しになりました」
「ご迷惑でしたか?」
やわらかい。
だが、揺れない。
レオンは肩をすくめる。
「いや、準備が間に合っていないだけだ」
その返しに。
イリスは小さく頷く。
「では、ちょうど良いですね」
「整う前を見ることができます」
「完成されたものより、その途中の方が理解しやすいので」
空気が、わずかに変わる。
(……見る側か)
レオンの目が細くなる。
そして。
「門の紋章、拝見しました」
イリスが、静かに言う。
一瞬の沈黙。
「……そうか」
短く返す。
「戦うだけではない、ということは」
それだけで、すべて通じる。
レオンは何も言わない。
(……見えているな)
確信する。
イリスも、それ以上は言わない。
(これで十分)
説明はいらない。
理解している。
互いに。
「噂以上ですね」
イリスが続ける。
「悪い意味でか?」
「いえ」
わずかに口元が緩む。
「興味深い、という意味です」
軽くはない。
エリシアが一歩前に出る。
「本日はご案内いたします」
「助かります」
イリスの視線が、周囲をなぞる。
配置。
人の流れ。
無駄の有無。
「……なるほど」
「効率的ですね」
「無駄を排した運用です」
エリシアが即答する。
「素晴らしい」
「ただ――無理がかかっていなければ、ですが」
空気が張る。
「問題はありません」
エリシアの声に迷いはない。
イリスは否定しない。
「そうですか」
それだけ。
だが、残る。
「整いすぎた場所は、人を縛ります」
「私は、あまり好きではありません」
静かな否定。
レオンがわずかに笑う。
「同じだな」
「ええ」
ほんの少しだけ。
二人の距離が近い。
そのとき。
「……あの」
リリアが小さく手を上げる。
「息苦しいのって、窓を開けたら解決しませんか?」
一瞬の沈黙。
エリシアが固まる。
レオンが視線を逸らす。
イリスが、ふっと笑う。
「……それも、一つの方法ですね」
空気が、やわらぐ。
そして。
「ですから、ここに来ました」
イリスは続ける。
「逃げてきたのか?」
「いいえ」
「“機会”を使いました」
「どうせ選ばれるのなら」
「自分で選びたい」
(……強いな)
レオンは思う。
「レオン様」
自然に名を呼ぶ。
「あなたも、同じではありませんか?」
図星。
エリシアの手が止まる。
リリアの視線が揺れる。
「外を見たいのでしょう?」
「……ああ」
否定しない。
イリスは頷く。
「良いことです」
「知らないことを知るのは、それだけで価値があります」
押しつけない。
だが、届く。
(……行きたい)
レオンの中で、何かが確定する。
一方で。
(……この人は)
エリシアは見ている。
(理解している)
あまりにも自然に。
(……それが)
わずかに、刺さる。
リリアは首を傾げる。
(なんか……居やすい人だなあ)
同じ場。
同じ会話。
だが。
受け取り方は、違う。
レオンは初めて、
“外を知る者”と向き合った。
そしてその相手は――
理知と柔らかさを併せ持つ、
静かに踏み込んでくる存在だった。




