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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編
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第49話 姫様入団につき、中隊長の胃が限界です

挿話

――帝国暦三二〇年・夏中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団本庁執務室――


 石造りの執務室には、強い陽光が差し込んでいた。高い天井を支える黒い梁には、長年の煤が染みついている。


 窓から入る光が、床の石畳にくっきりとした影を落としていた。本来なら、整然としているはずの場所である。


 机は並び、書類は積まれ、騎士たちはそれぞれの仕事に就いている。


 だが今、その空気は――明らかにおかしかった。


「来るぞ……」


「今日こそ話しかける」


「いや、順番を守れ」


 ひそひそ声。


 執務室の一角だけが、妙な緊張に包まれている。


(なんだこれは)


 レオンはペンを動かしながら、わずかに眉を寄せた。


「……通常運転だな」


 クリスが横でぼそりと言う。


「どこがだ」


「最近の第七騎士団基準では、だ」


「基準を下げるな」


 そのとき、扉が開いた。


「お兄さま……いえ、団長閣下」


 リリアが入ってくる。


 空気が、変わる。


 光が、少しだけ柔らかくなるような錯覚。


 小柄で華奢な体。

 整えられた所作。


 第七騎士団の制服すら、どこか上品に見える。


「……来た」


 誰かが呟いた瞬間。


「前に出るな!!」


「押すなと言っているだろ!!」


「順番を守れ!!」


 なぜか隊列が崩壊した。


「何してる、お前ら!!」


 クリスが一歩前に出る。


「中隊長命令だ。下がれ」


 低い声。

 一瞬、場が止まる。


「少しだけです!!」


「確認したいだけで!!」


「何をだよ」


「姫様の――」


「黙れ!」


 空気が凍った。

 クリスの目が完全に据わっている。


「業務中だぞ」


 一歩踏み込む。


「任務と関係ない行動をするな」


 さらに低い声で続ける。


「書類を置いたら、持ち場に戻れ」


 誰も動けない。


「次やったら訓練倍だ」


 静かに言う。


「……いいな?」


「は、はい!!」


 完全に統制が戻った。


(珍しいな)


 レオンが横目で見る。


 クリスがここまで本気で怒るのは、少し珍しい。


 クリスはリリアを見た。

 その表情が、ほんの一瞬だけ変わる。


(……昔からこうだ)


 小さい頃から知っている。

 危なっかしいほど無防備で。


 放っておけない。


(守る側だろ、俺は)


「……あの」


 リリアが控えめに口を開く。

 クリスの表情が、一瞬で緩んだ。


「そんなに気を遣っていただかなくても……」


 リリアが柔らかく微笑む。


 そして。


「すみませんでしたぁ!!」


 なぜか全員、さらに大声で謝った。


「逆だろ!!」


 クリスが思わず声を荒らげる。


「なんで悪化してるんだ!!」


 完全に素だった。


「いや、だって中隊長が怖くて……」


「俺のせいかよ!!」


(巻き込まれてるな)


 レオンは小さく息を吐いた。


 その横で。


「整列」


 エリシアの声が落ちた。


 一瞬で静まる。


「私語は不要です」


 冷たい声。


 完全に締める声だった。


 数秒後。


「……さっき笑ったよな?」


「いや、微笑みだろ」


「違いあるか?」


「聞こえている」


 クリスが低く言った。


(長引くな、これ)


 レオンは天井を見上げる。


「……仕事しろ」


 その一言で、ようやく業務が動き出した。


「こちら、本日分です」


 リリアが書類を差し出す。


「早いな」


「効率を上げましたので」


 その後ろで、なぜか騎士たちが誇らしげに頷いている。


(なんでお前らが誇ってる)


 レオンは視線を細めた。


「こちらも」


 エリシアが別の束を出す。


「再編済みです」


「……誰がやった」


「主導はリリアさんです」


(だろうな)


 仕事は回る。


 異常な速度で。


 紙の音が規則的に重なり、まるで機械のように処理が進んでいく。


 妙な騒ぎはある。

 妙な視線もある。

 妙な敬礼もある。


 だが、それでも仕事そのものは進んでいた。


 それが一番厄介だった。


 夕方。


 西日が差し込み、部屋が橙色に染まる。


 長い影が、三人の足元を重ねていた。


「団長」


 エリシアが声をかける。


「なんだ」


 少しの間。


「……助かっています」


 視線はリリアへ向いている。


「リリアさんがいることで」


 エリシアは、それ以上を言わない。


 引き止められる。

 その言葉は、口には出さなかった。


 だが、レオンには分かった。


 エリシアは、ここに残ってほしいと思っている。


 リリアにも。

 そして、レオンにも。


 その横で、リリアは静かにレオンを見ていた。


 数か月前とは違う。

 正式に、この場所にいる。


 遠慮ではなく。

 手伝いでもなく。


 第七騎士団の一員として。


(これでいい)


 リリアは、そう思っているように見えた。


 レオンの手が止まる。

 ほんの一瞬。

 視線が窓の外へ向いた。


(……外)


 まだ消えていない。


 むしろ強くなっている。


(行きたい)


 その感情だけが、確かにある。


 三人は同じ場所にいる。


 同じ光の中に。


 しかし、それぞれの視線だけが、わずかに違う方向を向いていた。


 そして。


「……はぁ」


 クリスが壁にもたれかかった。


「どうした」


「なんか今日、妙に疲れてる」


 腹を押さえる。


「ここが痛い」


「知らん」


「いや、絶対違うだろ。これは業務災害だろ」


「申請するな」


 そのとき。


「……大丈夫ですか? クリスさん」


 リリアが覗き込んだ。


 空気が止まる。


「……っ」


 クリスの動きが固まる。


「だ、大丈夫!!」


 反射的に直立。


「全く問題ない!!」


 声が大きい。


(悪化してるな)


 レオンは思った。


 リリアは安心したように微笑む。


「よかったです」


 その一言。


 クリスは再び壁にもたれかかった。


「……無理だ、これ」


 小さく呟く。


 誰にも聞こえないように。


 だが、確実に。


「俺の胃が先に死ぬ」


 それだけは、はっきりしていた。

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