理性の壁と、軽めの処分
挿話全三話第三話
――帝国暦三二〇年・夏中頃
東ロンバルディア帝国騎士団領
第七騎士団 本庁大廊下――
人の往来の中、妙な一角だけ空気が歪んでいる。
「……それでな」
ランド・フェルディンが語っている。
妙に誇らしげに。
「確かに感じたんだ」
「……何をです」
冷たい声。
エリシア・グランフェルト。
いつの間にか、背後に立っている。
周囲の騎士たちは無言で距離を取る。
(来た)
誰もが思う。
ランドはまだ気づかない。
「上品で柔らかく、それでいて――」
「何をです」
二度目。
気温が落ちる。
ランドが振り返る。
「ああ、副官殿」
「団長のハンカチの件だが――」
(やめろ)
遠くでクリスが頭を押さえる。
「それを」
エリシアが一歩前に出る。
「嗅いだのですか?」
ランドは、迷いなく頷く。
「確認は必要だ」
「……」
エリシアの表情が止まる。
感情が消える。
「……そうですか」
静かな一言。
「理解できません」
無表情で続ける。
「それが、なぜ許される行為だと判断したのですか」
ランドが言葉に詰まる。
「騎士として以前に」
さらに一歩。
「人としての基準に問題があります」
断罪。
空気が凍る。
その時。
「そこまでだ」
クリストファー・ラングフォード。
第七騎士団の中隊長。
ランドの上官。
「副官殿」
軽く一礼する。
「こいつは俺の部下です」
短く言う。
「処理は自分が行います」
エリシアは視線を向ける。
数秒後。
「……お願いします」
それだけ言う。
命令ではない。
だが、明確な委任。
エリシアはそれ以上関わらず、踵を返す。
去る、静かに。
その背中に、
誰も声をかけない。
残るのは。
ランドと、クリス。
「……さて」
クリスが肩を回す。
「説明してもらおうか」
「これは誤解だぁ」
即断即決。
「誤解じゃない」
「全部聞こえてた」
「だが必要な確認で――」
「必要じゃない」
即切り。
一歩近づく。
「あと」
「確認方法が終わってる」
ランドが黙る。
「中隊長命令だ」
短く言う。
「来い」
逃げ場はない。
首根っこを掴まれ、引きずられていく。
廊下の奥へ。
「軽めで頼む!!」
誰かがクリスに叫ぶ。
「任せろ」
そして消える。
しばらくして。
「ぐあっ!!」
鈍い音。
「やめ――」
「やめない」
「すま――」
「反省しろ」
音が続く。
やがて、静かになる。
少しして。
クリスが戻ってくる。
「……終わりだ」
平然。
「どうなったんだ」
「歩ける」
それだけ。
(軽めとは)
誰も言わない。
その時。
「俺は間違っていない……」
遠くからランドの声。
「尊いものは尊い……」
(これはダメだ)
全員が思う。
クリスは天井を見上げる。
「……ほんと、保たねぇな」
ぼそりと呟く。
騎士団の日常は、
今日も少しだけ壊れていた。




