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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編
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第45話 落とし物一つで騎士団壊滅寸前

 ――帝国暦三二〇年・夏中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁 大廊下――


 磨かれた石床に、白い布が一枚。


「……ん?」


 クリスが足を止め、拾い上げる。


「ハンカチか」


 上質な布地。


 端には、見慣れた紋章。

 白銀の剣と蒼い歯車。


「……ヴァイス家の紋章だな」


 その一言。


「今、なんて?」


 背後から声がした。


 騎士、ランド・フェルディン。

 目が、嫌な輝きをしている。


「ヴァイス家だ」


 クリスが答える。


「……姫様の?」


「いや、まだそうとは――」


「間違いない」


 ランドは即断した。


「姫様の落とし物だ」


(なんで断定できる)


 クリスが眉をひそめる。


 ランドが手を伸ばす。


「クリス隊長、それを寄越して下さい」


「やめろ」


 クリスは軽く避ける。


 二人のやり取りの間に、周りに人が集まってきている。


 ランドが再び手を伸ばす。


「確認します」


「何をだ」


 一瞬の沈黙。


「……香りを」


(やめろ)


 止めるより早く、奪われる。


「おい――」


 ハンカチが顔元へ。


 すっと、息を吸う。


「……」


 周囲が固まる。


「……どうだ?」


 誰かが聞く。


 ランドは目を閉じる。


「……上品で、柔らかい香りだ」


(終わったな)


 クリスが顔を押さえる。


「間違いない」


「姫様のものだ」


「違うだろ」


 クリスの即ツッコミ。


 だが、もう遅い。


「貸せ!!」


「俺にも確認させろ!!」


「順番だ!!」


 騎士たちが一斉に群がる。


「やめろ!!」


 クリスが止めるが、誰も聞かない。


「一瞬でいい!!」


「いや、二回だ!!」


「増えてる!!」


 ハンカチが回る。


「……確かにいい香りだ」


「だろ!?」


「待て、俺まだ――」


(地獄だな)


 気づけば。


「引っ張るな!!」


「破れる!!」


 なぜか綱引きになっていた。


 ■第七騎士団 本庁 執務室前――


 その騒ぎの少し先。


 書類を抱えたリリアが、大廊下へ出ようとしていた。


「……?」


 騒ぎに気づき、足を止める。


「何かあったのでしょうか?」


 その瞬間。


「リリアさん」


 横から、エリシアが静かに声をかけた。


「はい?」


「こちらへ」


「ですが、あちらで何か――」


「見ない方がよろしいかと」


 エリシアは、いつも通りの表情で言った。


 だが、声はわずかに硬い。


「見ない方が?」


「はい」


「危険なのですか?」


「危険というより」


 エリシアは、一瞬だけ大廊下を見る。


「見た後の処理が面倒です」


「処理」


「はい」


 リリアはよく分からないまま、首を傾げる。


「では、私はどうすれば」


「執務室へ」


 エリシアは自然な動きで、リリアを執務室の方へ促した。


「少しの間、こちらを通らない方がよいです」


「分かりました」


 リリアは素直に頷く。


 その背後から。


「俺にも確認させろ!!」


「順番を守れ!!」


「破れる!!」


 妙な声が響く。


 リリアが振り返りかける。


 エリシアが、すっと立ち位置をずらした。


「リリアさん」


「はい」


「見ない方がよろしいです」


「……分かりました」


 リリアは少し不思議そうにしながらも、執務室へ入っていった。


 ■第七騎士団 本庁 執務室――


 リリアは机のそばに書類を置いた。


「エリシアさん」


「はい」


「外は、何だったのでしょうか?」


「落とし物の確認です」


「落とし物ですか」


「はい」


「それなら、届けた方がよいのでは」


「そうですね」


 エリシアは、静かに言う。


「本来なら」


「本来なら?」


「今は、届ける前に別の問題が発生しています」


 リリアは困ったように瞬きをした。


「落とし物でも、問題が起きるのですね」


「起きています」


「大変ですね」


「はい」


 エリシアは、ほんのわずかに息を吐いた。


「非常に」


 ■第七騎士団 本庁 大廊下――


 その頃。


 ハンカチは、まだ騎士たちの手の中にあった。


「引っ張るな!!」


「そっちこそ離せ!!」


「これは姫様の――」


「だから決めつけるなって言ってるだろ!!」


 クリスの声も、もう半分諦めている。


 その時。


「何をしている」


 低い声。


 一瞬で、皆が止まる。


 レオンが立っていた。


 空気が凍る。

 ゆっくり歩み寄る。


 視線がハンカチへ。


 そして。


「……それ」


 軽く言う。


「俺のだ」


 完全な沈黙、皆が固まる。


 クリスは一瞬だけ目を細め、素直に差し出す。


「ほら、レオン」


 レオンは受け取り、何事もなかったように去る。


「……」


 ランドが固まる。


「……え?」


 誰かが言う。


「団長の……?」


 全員の視線が、ランドへ向く。


「お前さっき……」


「……香りって」


「……」


 ランドが後ずさる。


「違う」


「これは違う」


「俺は何もしていない」


「してたぞ」


 皆が即答した。


 その瞬間、ランドの膝が折れた。


「……違うんだ」


 床に片膝をつく。


「俺は、姫様のものだと思って……」


「言い訳が苦しいぞ」


 クリスが肩を震わせる。


 だが、笑っているのはクリスだけではなかった。


 いや。


 笑おうとして、失敗している者たちがいた。


「俺も確認した……」


「俺もだ……」


「俺、二回って言った……」


「増やしてたな」


「言うな」


 一人が壁に手をつく。


 もう一人が、その場にしゃがみ込む。

 さらに一人が、静かに床へ崩れ落ちた。


 さっきまでの熱気は、もうない。


 残ったのは、気まずさと後悔と、どうにもならない沈黙だけだった。


「……解散」


 クリスが言う。


 しかし、誰も動かない。


「解散って言ってんだろ」


「……動けない」


「心が」


「知らねえよ」


 大廊下には、倒れた親衛隊たちが、屍のように横たわっていた。


 クリスはそれを見下ろし、深く息を吐く。


 ■第七騎士団 本庁 執務室前――


 大廊下が静かになった頃、エリシアが執務室の扉を少し開けた。


 廊下を確認する。


 そこには、倒れた親衛隊たちが、屍のように横たわっていた。


「……もう大丈夫そうです」


「終わりましたか?」


 中からリリアが尋ねる。


「はい」


「落とし物は、持ち主の方に?」


「戻りました」


「よかったです」


 リリアは安心したように微笑む。


 エリシアは、ほんの少しだけ目を伏せる。


「はい」


「見なくてよかったと思います」



 そこへ、クリスが屍の間を器用に避けながら歩いてきた。


「助かったわ、副官殿」


「何がですか」


「リリアさんを避難させたことだよ」


 クリスは足元を見る。


「見せてたら、たぶんこの屍がもう一列増えてた」


「否定できませんね」


 エリシアは静かに答えた。


 その時、執務室の扉が開いた。


「……何をしている」


 レオンが顔を出す。


 廊下を見た。

 倒れている親衛隊。


 壁際に座り込んでいる騎士。

 床に片手をついたまま動かないランド。


 大廊下には、倒れた親衛隊たちが、屍のように横たわっていた。


「何だ、こいつら」


「少し事情があってな」


 クリスが答える。


「仕事はどうした」


「今は無理だと思うぞ」


「無理?」


 レオンが眉をひそめる。


「無理という報告で通ると思うな。起こせ」


 そう言って、倒れている騎士たちの方へ歩きかける。


 クリスが片手を上げた。


「やめとけ」


「なぜだ」


「今つつくと、面倒くさい」


 エリシアも静かに頷く。


「しばらく放っておいた方がよろしいかと」


「お前まで何を言っている」


「業務再開は、少し時間を置いてからの方が効率的です」


 もっともらしい言い方だった。


 レオンは倒れている騎士たちを見る。


 誰も動かない。

 いや、一人だけ小さくうめいた。


「……姫様のものだと……」


「……二回って言ったのは……勢いで……」


「……団長……申し訳……」


 レオンの目が細くなる。


「何の話だ」


「聞くな」


 クリスが即答した。


「聞くな?」


「聞いたら、お前も面倒になる」


「俺が?」


「たぶんな」


 レオンはしばらく黙っていた。


 納得はしていない。


 だが、理解はしたらしい。


「……そうか」


 短く言って、執務室へ戻ろうとする。


 その直前、足を止めた。


「仕事に戻れるようになったら戻せ」


「はいはい」


「返事は一回でいい」


「はい」


 レオンは執務室へ戻っていった。


 扉が閉まる。


 廊下に、少しだけ静けさが戻った。


 エリシアは倒れた騎士たちを見下ろす。


「……情けですか」


「違う」


 クリスは即答した。


「情けじゃない」


「では?」


「俺のためだ」


 エリシアが目を向ける。


 クリスは、深く息を吐いた。


「説明したら、あいつ絶対に細かく聞くだろ」


「そうですね」


「そしたら俺は、最初から最後まで説明しなきゃならねえ」


「そうですね」


「俺の心の安寧のためだ」


 クリスはきっぱりと言った。


「こいつらのためじゃない」


 エリシアは少しだけ沈黙したあと、静かに頷いた。


「合理的ですね」


「だろ」


 大廊下には、まだ親衛隊の屍が横たわっている。


 騒ぎは終わった。

 落とし物も戻った。


 だが、第七騎士団本庁は、今日も平穏とは言い難い。クリスは肩をすくめる。


「……相変わらず、ここは騒がしい場所だな」


 その言葉だけが、妙に現実的だった。

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