ヴェリア帝国の繁栄と、皇太子の報告
帝国暦三二〇年 初夏
ヴェリア帝国 帝都アウレシア
皇城《アルケイオン宮》
ヴェリア帝国は、ただ広いだけの国ではない。豊かで、強く、そして――止まらない国だった。
帝都アウレシア。
そこでは、一日として“静まる”ことがない。
夜が訪れても灯は消えず、市場は姿を変えて動き続ける。交易品は絶え間なく流れ込み、金貨は音を立てて巡り、人もまた、その流れの一部として組み込まれている。
東方の穀物。
西方の工芸。
南方の香料。
北方の鉱石。
すべてが集まり、混ざり、そして新たな価値へと姿を変える。帝国は、それを“当然”として成立させていた。
秩序はある。だがそれは、静寂ではない。制御された混沌。それこそが、ヴェリア帝国の繁栄の本質だった。
そして、その中心――
皇城《アルケイオン宮》。
玉座の間に高い天井。
重厚な柱と音すら沈む静寂。
「――戻りました」
皇太子であるアシュレイ・ヴェル=ヴェリアが進み出る。玉座の上には父でもあるアルディウス・ヴェル=ヴェリア。
その視線が、静かに降りる。
「報告を」
短い、だがそれだけで十分だった。
「騎士団領は健在です」
アシュレイは顔を上げる。
「自治は維持され、秩序も崩れていない」
「むしろ」
わずかに間を置く。
「効率は高い」
皇帝は何も言わない。
ただ、聞いている。
「現在、ヴァイス家は」
静かに続ける。
「四個騎士団を指揮しています」
沈黙。
「……四つか」
低く、重い声。
「はい、中心にいるのはレオンハルト・ヴァイス」
「現在、二十歳です」
わずかな静寂。
ほんの僅かに。
玉座の空気が変わる。
「第七騎士団を中心に」
「第二、第十騎士団」
そして。
「補給を担う第九騎士団は、父アルヴェルト・ヴァイスが団長を務めています」
「前線と中枢をレオンハルトが、後方を父が担う形です」
「実質的に、騎士団領の流れの大半がヴァイス家に収束しています」
沈黙。
「若いな」
皇帝が言う。
「はい」
「にもかかわらず、破綻していない」
「していません」
「過剰な権威に頼らず、現場の信頼を得ている」
「統率は安定しています」
「ただし」
続ける。
「本人に野心は、ほとんどありません」
わずかな間。
「外に目が向いています」
皇帝の視線が細まる。
「逃げか」
「いいえ」
「視野です」
「外を知ろうとしている」
「ただ、それを選ぶ余地がないだけです」
沈黙。
「……それで」
皇帝が促す。
「提案か」
「はい」
アシュレイは頷く。
「イリスを」
一言。
「一度、騎士団領へ行かせてみてはどうかと」
空気がわずかに張る。
「気が合う可能性が高い」
続ける。
「イリスは宮廷では浮いている」
「言葉が少なく、誤解されやすい」
「だが、知識と理解力は突出している」
「環境が合えば、大きく機能する」
「レオンハルトも同様です」
「言葉は少なく、誤解されやすい」
「だが、本質を見る力がある」
「そして今、彼には足りていないものがある」
「外の知識と、視点」
「イリスは、それを補える」
「無理に結びつける必要はありません」
「ただ、同じ場に置けば自然と判断するでしょう」
長い沈黙。
やがて口を開く。
「……利はある」
皇帝が口を開く。
「検討に値する」
それが結論だった。
アシュレイは頭を下げる。
「ありがとうございます」
顔を上げる。
(これでいい)
歯車は、確かに動き始めた。
帝国の中枢で下された判断は、やがて外へと波及する。まだ誰も知らない。それが、どれほど大きく、一人の運命を変えることになるのかを。




