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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編
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第33話 休日のヴァイス邸 屋敷が少しだけ持たない日

 ――帝国暦三二〇年・春終盤 東ロンバルディア 帝国騎士団領 ヴァイス邸――


 休日のヴァイス邸。


 本来であれば、静寂と品格に包まれているはずの場所だった。


 手入れの行き届いた庭。

 磨かれた廊下。

 余計な声を立てずに動く使用人たち。


 ヴァイス家の屋敷は、いつも静かだった。


 ――はずだった。


「なぜ、騒いでいる」


 低い声が、大広間に落ちる。


 アルヴェルト・ヴァイス。


 レオンとリリアの父であるその男は、腕を組んだまま動かない。


 その前で、使用人たちがそろって言葉に詰まっていた。


「……お嬢様の件でございます」


「リリアの?」


「はい」


「騎士団へ通っている話か」


「はい」


「それは知っている」


 アルヴェルトは当然のように答えた。


 報告は受けている。リリアが短期の書記官養成課程を終え、第七騎士団本庁の正式な書記官として任官したことも。


 現在もヴァイス邸から本庁へ通っていることも。すべて、報告としては聞いていた。


 だが、アルヴェルトにとって、それはあくまで報告書の上の話だった。


 娘が志願した。

 家として一度は反対した。


 最終的には認めた。


 ならば、あとは本人が結果を出すかどうか。そういう話のはずだった。


「では、なぜ今さら騒ぐ」


 アルヴェルトが問う。


 使用人たちは互いに顔を見合わせる。


 報告はしていた。

 確かにしていた。


 だが、主がその実態を正しく理解していたかどうかは、また別の話だった。


「旦那様」


 執事が一歩前に出る。


「本日はお嬢様がお休みで、屋敷にいらっしゃいます」


「それがどうした?」


「騎士団の方々も、それを知っているようでして」


 アルヴェルトの眉が、わずかに動いた。


「……どういう意味だ」


 執事は一瞬だけ言葉を選ぶ。


 だが、選んでも意味がないと判断したらしい。


「門の外に、騎士団員の方々が集まっております」


 短い沈黙。


「なぜだ」


「お嬢様のご様子を一目見たい、と」


 さらに沈黙。


 アルヴェルトの顔は変わらない。

 だが、大広間の空気は少しだけ重くなる。


「帰せ」


「すでにそう申し上げております」


「では、なぜ騒ぐ」


「増えております」


「なぜ増える」


「お嬢様が本日屋敷にいらっしゃるという情報が、騎士団内で回っているようでして」


 アルヴェルトはしばらく無言だった。


 理解はしている。

 ただ、納得はしていない。


 そんな沈黙だった。


 そこへ、セレナ・ヴァイスが静かに歩み寄る。


「あなた」


 穏やかな声。


「ですから、申し上げたでしょう」


「何をだ」


「リリアが騎士団に入るということは、家の中だけの話では済まなくなる、と」


 セレナは落ち着いている。


 使用人たちが崩れかけている中で、ただ一人、最初からこうなる可能性を見ていた顔だった。


 アルヴェルトは、わずかに目を細める。


「……私は許可した覚えはない」


「最終的には認めました」


「好きにしろと言っただけだ」


「ヴァイス家では、それを許可と呼びます」


 セレナは静かに言った。


 アルヴェルトは黙る。


 言い返せないわけではない。


 ただ、言い返しても勝てないことを知っている沈黙だった。


 ■少し前 ヴァイス邸 アルヴェルトの執務室――


 リリアが正式に第七騎士団本庁書記官へ志願したと聞いた時、アルヴェルトの反応は速かった。


「辞めろ」


 即断だった。


「騎士団は遊びではない」


「分かっております」


 リリアは視線を逸らさずに答えた。


 その姿は、以前のリリアとは少し違っていた。


 短期の書記官養成課程を終え、家の外を見てきた娘は、ただ兄の後ろに立つ少女ではなくなっていた。


「ならば、なぜ行く」


 アルヴェルトが問う。


 リリアは一度だけ息を整えた。


「私は、お兄様のそばにいたいのです」


 セレナの目が、ほんの少しだけ細くなる。


 だが、アルヴェルトは表情を変えない。


「理由は、それだけか」


「支えたいからです」


 リリアは迷わず答えた。


「今のお兄様は、多くのものを背負っています。第七騎士団だけではなく、第二騎士団と第十騎士団のこともあります」


 そこで一度、言葉を切る。


「だから、少しでも近くで支えたいのです」


 アルヴェルトは黙った。


 しばらく、娘の顔を見る。


 そして。


「合理性はあるな」


 それだけ言った。


 セレナが、わずかに目を伏せる。


(……あなたも、あの子に似ていますね)


 たぶん、分かっていない。


 父も、兄も。


 合理性だけでは説明できないものが、リリアの言葉には混じっている。


 だが、アルヴェルトはそこを見ない。


 見ないのか。

 見えていないのか。


 たぶん、両方だった。


「家はどうする」


「問題ありません」


「屋敷の予定は」


「調整済みです」


「使用人の配置も、生活も」


「問題ございません」


 答えたのは、セレナだった。


 いつの間にか、静かに部屋の中へ入っている。


 アルヴェルトが振り向いた。


「お前……」


「すべて確認済みです」


 セレナは穏やかに言った。


「リリアは、自分で決めたのです。それを止める理由はございません」


「危険だ」


「ええ」


「騎士団の秩序が崩れる」


「崩れません」


 セレナは静かに断言した。


「少なくとも、リリア自身が秩序を崩すことはございません」


 その言い方に、アルヴェルトの眉がわずかに動く。


「ならば、他が崩すということか」


「可能性はございます」


「ならば、なおさら止めるべきだ」


「いいえ」


 セレナは、わずかに首を横へ振った。


「それは、リリアが悪いのではありません」


 穏やかな声。

 だが、退く気はない。


「子どもが、自分の意思で歩こうとしているのです」


 一歩近づく。


「それを止める理由は、本当に必要でしょうか」


 長い沈黙。

 リリアは何も言わない。


 ただ、立っている。

 その姿勢が、すべてを語っていた。


 やがて、アルヴェルトが短く息を吐く。


「……好きにしろ」


 落ちるような声だった。


 リリアの表情が、ほんの少しだけ明るくなる。だが、アルヴェルトはすぐに続けた。


「ただし」


 顔を上げる。


「結果は出せ」


「はい」


 リリアは迷いなく頷いた。


 わずかに微笑む。


「必ず」


 ■ヴァイス邸 大広間――


 そして現在。


 屋敷は、その結果とは別方向で大きく揺れていた。


「ですが、奥様!」


 執事が半泣きで訴える。


「屋敷としては問題が山積みでございます!」


「どんな問題ですか?」


 セレナは落ち着いている。

 あくまで落ち着いている。


 使用人たちの方が、完全に崩れていた。


「まず、騎士団側から“人の出入りが増えている”と苦情が来ております!」


「……何をしているのですか」


「団員の方々が、何かと理由をつけてお嬢様にお会いしようと……」


「やめさせなさい」


「やめさせようとしております!」


 執事が叫ぶ。


「ですが、理由がそれぞれ微妙に違うのです!」


「微妙に?」


「書類の確認、体調の報告、門前の巡回、通りがかり、偶然、近くまで来たので――などです!」


「最後の二つは理由になっていませんね」


「私どももそう思います!」


 大広間の空気が、じわじわと崩れていく。


「さらに、贈り物が」


「いりません」


「すでに山積みです」


「返しなさい」


「返そうとしております!」


「では、返しなさい」


「できません!」


 執事がほとんど泣きそうな顔になる。


「差出人が“第七騎士団有志”や“リリア様を見守る会”などになっておりまして!」


「何ですか、その会は」


「存じません!」


 セレナは静かに目を閉じた。


「処分しなさい」


「それもできません!」


「なぜです」


「中身が花や菓子だけでなく、実務用の文具や書類整理箱まで混じっております!」


「それは少し実用的ですね」


「そこが余計に困ります!」


 完全に崩壊していた。


 アルヴェルトは、ようやく事態の輪郭を理解し始めた顔をしている。


 報告ではなく。

 数字でもなく。


 実際に、屋敷の門前へ騎士たちが押し寄せる。その現実を、今ようやく見たのだ。


「……こんな状態になるなら」


 アルヴェルトの声が低くなる。


「辞めさせろ」


 大広間が静まった。

 使用人たちは息を呑む。


 セレナだけが、静かに夫を見る。


「あなた」


「リリアに結果を出せと言った。だが、これは結果ではない」


 アルヴェルトは言う。


「屋敷に騎士が押し寄せ、贈り物が積まれ、使用人が混乱する。これを続ける意味があるのか」


「あります」


 セレナは即答した。


 今度は、アルヴェルトが黙る。


「原因はリリアではありません」


「だが、リリアが騎士団にいるから起きている」


「それでも、リリアが悪いのではありません」


 穏やかだが、退かない声だった。


「リリアは自分の仕事をしています。書記官として結果も出していると聞いております」


「周囲が騒いでいる」


「ならば、周囲を正すべきです」


 セレナは静かに言った。


「歩こうとしている子を止めるのではなく、道を塞ぐ者をどかすべきではありませんか」


 アルヴェルトは目を細めた。


「……理屈は分かる」


「ええ」


「だが、屋敷が持たん」


「それは、そうですね」


 否定はしなかった。


 その時、大広間の入口から声がした。


「で、本人は今どうしてるんだ」


 レオンだった。


 休日のため屋敷に戻ってきたらしい。


 だが、その顔はすでに面倒そうだった。


「リリアは?」


「自室にいらっしゃいます」


「そうか」


 レオンはそれだけ言う。


 執事が叫んだ。


「若様! 屋敷が持ちません!」


「知らん」


「知らんでは済みません!」


「俺に言うな」


「第七騎士団の方々です!」


「なおさら俺に言うな」


「若様が団長ではございませんか!」


「辞めたい」


「今その話はしておりません!」


 アルヴェルトが一瞬だけレオンへ視線を向ける。


「お前の騎士団だろう」


「俺は呼んでない」


「管理しろ」


「俺は休日だ」


「屋敷も休日だ」


「じゃあ全員帰せ」


「それができないから騒いでいる」


「面倒だな」


「こちらの台詞だ」


 父子の会話は、短く、噛み合っているようで噛み合っていない。


 そこへ、別の使用人が駆け込んでくる。


「若様!」


「今度は何だ」


「騎士団の方々が、さらに門の外に……」


「何しに来た」


「“リリア様のご様子を一目”と……」


 短い沈黙。


「帰せ」


 アルヴェルトが言った。


「すでに増えております」


「なぜ増える」


「屋敷の情報が回っているようで……」


(だろうな)


 レオンは小さく息を吐いた。


「クリスに任せるか」


「クリス様が、すでに対応中とのことです」


「……あいつ死ぬな」


 事実だった。


 セレナは窓の外を見る。


 遠く、騎士団本庁の方向。

 そして、静かに息をつく。


(あの子の居場所は、もうあちらにもある)


 かつては、この屋敷がリリアの世界全てだった。


 家族。

 使用人。


 整えられた部屋。

 守られた生活。


 だが今は違う。


 騎士団にも、リリアを待つ人々がいる。


 困ったことに。


「……大丈夫」


 セレナは小さく呟いた。


 屋敷の中は、いまだ騒がしい。

 アルヴェルトは辞めさせろと言った。


 使用人たちは半泣きで走り回っている。

 レオンは面倒そうに天井を見ている。


 だが、その中心にいたはずの少女は、もう以前の場所にはいない。


 守られる側ではなく。

 自分の足で立つ場所へ。


 静かに、確実に踏み出していた。


 なお、門の外では。


「押すな! 並べ!」


「順番だ! 順番を守れ!」


「見舞いじゃない! 見学でもない! 帰れ!」


 クリスが叫んでいた。


「リリアは休日だ! 休ませろ!」


「ですが一目だけ!」


「一目が多いんだよ!」


「せめてお元気かどうかだけでも!」


「元気だ! たぶん!」


「たぶん!?」


「俺も知らん!」


 たぶん、まだ終わらない。


 屋敷は、少しだけ持たない日を迎えていた。

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