第2章99話 十の部隊
――帝国暦三二二年・夏初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領――
「では、説明を続けます」
「頼む」
クリスが促した。
「まず、第四大隊の編成を一時的に変更します」
現在の第四大隊は、およそ千五百人。
それを五百人前後の三個中隊に分けている。
それぞれの中隊には、騎士、槍兵、歩兵、弓兵などが混在していた。
一つの中隊だけでも、ある程度まとまって戦えるように組まれている。
「今回は、その形を使いません」
会議室が少しざわめいた。
メリーの横には、大きな板が壁際に立てかけられている。
その板には、部隊を示す小さな駒がいくつも並べられていた。
メリーは説明に合わせて、それらを動かしていく。
「第四大隊を、十の部隊へ分けます。一部隊、およそ百五十人です」
板の上へ十個の駒が並べられた。
ノーラも、その内容を議事録へ書き留めていく。
「今回行うのは、本来想定している戦術天輪を、十分の一の規模で再現する訓練です」
再びざわめきが起こった。
「これまでの戦い方との最大の違いは、十の部隊を一つの生き物のように動かすことです」
メリーは並べた駒を見ながら続ける。
「相手の動きに合わせて部隊の配置を変え、前線の部隊を交代させながら、疲れていない部隊を次々と送り込みます」
戦って疲れた部隊は後方へ下げる。
補給し、休ませ、もう一度戦える状態へ戻す。
その間にも、別の部隊が前線へ出る。
「こちらの戦力を循環させながら、相手を疲弊させていく。それが戦術天輪の大きな目的です」
本来なら、およそ一万五千人を十の部隊へ分け、一部隊およそ千五百人として運用する。
今回は千五百人の第四大隊をさらに十分の一にし、百五十人前後の十部隊へ分ける。
人数だけを十分の一にして、本来の規模と同じ動きを試すのだ。
「第一隊から第三隊は、騎士を中心に編成します」
メリーが板の左側へ三つの駒を動かした。
「第四隊から第六隊は槍兵です」
次に中央。
「第七隊から第九隊は、歩兵と弓兵を組み合わせます」
そして右。
最後に、十個目の駒を少し後方へ動かした。
「第十隊は、混成の予備部隊とします」
必要になった場所へ投入できるよう、最初は後方で待機させる。
その近くには補給部隊も置く。
前線で戦っていた部隊が交代して後方へ下がれば、補給部隊の方からその部隊へ向かう。
水や必要な物資を補給し、装備を整える。
下がった部隊はその間に休息と再編を行い、次の交代に備える。
さらに、その後方には大隊長の指揮所も置かれる。
第十隊は予備であると同時に、後方にいる間は指揮所と補給部隊を守る役目も持つ。
工兵については、今回の訓練では使用しない。
全員が板を見る。
左に騎士三隊。
中央に槍兵三隊。
右に歩兵と弓兵の三隊。
その後方に混成の第十隊。
補給部隊。
大隊長の指揮所。
これまでの第四大隊とは、まったく違う編成だった。
「それから、今回の訓練では装備についても一部変更します」
特に変わるのは槍兵だった。
これまで使用していたものとは異なる槍を用意している。
他の兵種についても、今回の役割に合わせて装備を一部見直していた。
「装備については、午後に実物を見てもらいます。使い方も、その時に説明します」
メリーは再び駒へ手を伸ばした。
前方へ三つの駒を動かす。
左に騎士百五十。
中央に槍兵百五十。
右に歩兵と弓兵百五十。
「最初に敵と向き合うのは、この三隊です。合わせておよそ四百五十人になります」
残る部隊は、その後ろへ置く。
最初から全兵力を前へ出すのではない。
前で戦う部隊と、その次に戦う部隊を分ける。
前線の部隊は一定の時間で後方へ下がり、それに合わせて次の部隊が前へ出る。
これを繰り返す。
ただし、交代そのものも簡単ではない。
前の部隊が早く下がれば、前線に隙間ができる。
次の部隊が出るのが遅れても同じだった。
反対に、次の部隊が早く出すぎれば、下がる部隊とぶつかってしまう。
交代する二つの部隊が、ほぼ同じタイミングで動かなければならない。
そのため最初の訓練では、まず前後の交代を繰り返し練習する。
交代の合図には銅鑼などを使う。
戦術天輪では、前後に交代するだけではない。
状況に応じて左にいた部隊を右へ回したり、別の部隊を中央へ移したりする。
だが、それは基本となる前後の交代を身につけてからだった。
今回の最初の配置も、戦術天輪の決まった形ではない。
相手が第一大隊だと分かっているから、この形にしている。
第一大隊は従来通り、中央へ騎士を出してくる可能性が高い。
そのため中央には槍兵を置き、槍衾で敵の騎士を受ける。
左の騎士と、右の歩兵と弓兵がそれを支える。
今回は、対騎兵を意識した槍兵中心の形になる。
ただし、槍衾を組めば槍兵は左右へ動きにくくなる。
その分を両側の部隊で補う。
左に騎士を置いたのは、必要に応じて左翼から迂回させ、敵の背後へ回って退路を遮断するためでもある。
さらに、敵の配置だけでなく、予想される日差しの向きも考慮していた。
相手が変われば、最初の配置も変わる。
戦術天輪とは、一つの決まった陣形を維持する戦い方ではない。
十の部隊を交代させ、補給し、その時に必要な場所へ動かし続ける。
軍全体を一つとして動かすための運用だった。
メリーはそこで板から手を離した。
「ここまでで、何か質問はありますか?」
しばらく静かだった会議室から、いくつもの手が上がった。
四百五十人で千五百人を受け止められるのか。
前後の交代をどうやって正確に合わせるのか。
銅鑼の合図をどう使い分けるのか。
後方にいる大隊長が、どうやって前線全体の状況を把握するのか。
左右へ部隊を動かす時、どのように指示を出すのか。
メリーは、出された質問に一つずつ答えていった。
どの質問にも理由と方法はある。
だが、それを聞いても、まだ納得しきれていない者はいるようだった。
これまでとは違うことが多すぎる。
頭では分かっても、実際に百五十人の部隊がどう動くのかまでは、なかなか想像しにくい。
メリーも、それが分かっているようだった。
「今の質問については、午後の訓練でも改めて説明します」
メリーは言った。
「実際に動いてもらった方が、分かりやすいと思います」
何人かが頷いた。
クリスも板を見ながら頷く。
「まあ、その方が早そうだな」
「はい」
メリーの説明は、それで終わった。
ノーラが最後の一文を書き終え、筆を置く。
クリスは十個の駒を見た。
「これで遊び人部隊も、だいぶ形になってきたな」
「クリス大隊長」
すぐに声が飛んだ。
「何だ?」
「その名前はもうやめてください」
「まだ駄目なのか?」
「駄目です」
「嫌です」
周囲からも、嫌がる声が上がった。
「第四大隊全員が遊び人みたいではありませんか」
クリスは少し考えた。
「でも、遊び人部隊に負けたら、第一大隊の連中は相当悔しいだろ?」
一瞬、反論が止まった。
「……それは、そうかもしれませんけど」
「だろ?」
クリスが笑う。
「向こうが俺たちを遊び人部隊だと思ってるなら、その遊び人部隊に負ける方が屈辱じゃないか」
「それとこれとは別です」
「勝つのはいいです」
「名前がとにかく嫌なんです」
「遊び人なのはクリス大隊長だけでしょう」
「またそれか」
クリスはしばらく考えてから、仕方なさそうに頷いた。
「分かったよ」
部下たちの表情が少し緩む。
「じゃあ、遊び人部隊(仮)で」
「何も変わってません!」
数人の部下から、すぐさまツッコミが入った。
「仮って付けただろ」
「そういう問題ではありません!」
「正式決定じゃないぞ?」
「正式決定するつもりだったんですか?」
「いや、そこまでは言ってない」
「では今すぐやめてください」
「だから仮だって」
再び言い合いが始まりかけた。
その時。
マルクが騒いでいる者たちへ静かに視線を送った。
何人かが、その視線に気づく。
今はやめておけ。
そんな意味だった。
誰も「遊び人部隊」という呼び名を認めたわけではない。
ただ、この話を続けていても午後の準備は進まない。
「保留です、クリス大隊長」
マルクが静かに言った。
「似たようなもんだろ」
「違います」
そこだけは譲らなかった。
クリスは三人の中隊長を見る。
「じゃあ、午後までに十隊へ組み直すぞ」
「はい」
「誰を各隊の隊長にするかは、お前たち三人で相談して決めてくれ」
「分かりました」
「マルクも手伝ってやってくれ」
「分かりました」
「ノーラは?」
「私もお手伝いします」
「議事録は?」
「終わりました」
「早いな」
「書記官ですから」
ノーラは少し得意そうだった。
クリスは全員を見回した。
「昼食を済ませたら、各隊の指揮を任された者は、自分の隊を率いて訓練場へ来い」
「はい!」
返事が揃った。
「午後から、実際にやってみる」
それで会議は終わった。
部屋を出ていく者たちは、すでに午後の訓練の話を始めている。
その中から、別の声も聞こえてきた。
「賞金、どれくらい出るんだろうな」
「俺は休みの方が楽しみだけどな」
「勝てば両方だろ?」
「第一大隊には絶対勝たないとな」
「…………」
クリスは黙った。
楽しそうだった。
完全に期待している。
さっきは、勢いで言ってしまった。
多分、出る。
多分。
レオンなら。
本当に多分だ。
「…………」
少し不安になってきた。
この前、レオンからは、結果を出せば役に立つものをやるとは言われている。
だが。
何をくれるのかまでは、聞いていなかった。
賞金とは言われていない。
「……一応、確認しておくか」
午後の訓練が始まる前に。
昼休みになったら、あとは中隊長たちに任せて、レオンのところへ行こう。
クリスはそう決めた。




