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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章97話 知らせない優しさ

――帝国暦三二二年・夏初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――


■総騎士団副長府庁舎・第二執務室


 午後。


 イリスは、第二執務室にいるエリシアを訪ねた。


 エリシアは、まだ職務停止中だった。


 第二執務室付軍務補佐官として再配置されてはいるが、正式な職務へ戻ったわけではない。


「エリシアさん」


 イリスが声をかけると、エリシアはすぐに立ち上がった。


「イリス殿下」


「少し、お話ししてもよろしいですか?」


「はい」


 イリスは、すぐには本題へ入らなかった。


 少しだけ迷ったあと、エリシアをまっすぐ見る。


「その前に、今さらなのですが」


「はい」


「職務停止の件では、申し訳ありませんでした」


 エリシアは、わずかに目を見開いた。


 だが、すぐに首を横へ振る。


「イリス殿下。もう何度も謝っていただいています」


「ですが――」


「もう十分です」


 エリシアの声は静かだった。


「私がしたことに対する処分です。それに、もう前のことですから、これ以上は気にしないでください」


 イリスは少しだけ迷ったが、それ以上は続けなかった。


「……分かりました」


 そう答えたものの、イリスの中ではまだ割り切れていなかった。


 自分はこうして、以前と変わらず仕事をしている。


 だが、エリシアはまだ職務停止中だ。


 その原因の一端が自分にあると思うと、どうしても申し訳なさは消えなかった。


「それで、お話というのは?」


「先日、第一執務室であったことです」


 イリスは、総長府から送られてきた礼状と感謝状について話した。


 ロングの町長。


 教育長。


 商店街協会長。


 町内会長。


 教会長。


 そのほかにも、町の関係者から二十通ほどの手紙が届いたこと。


 どれも、青剣隊と呼ばれる者たちへの礼状や感謝状だったこと。


 そして、その青剣隊がロングへ立派な公園を造り、町へ寄贈したらしいこと。


「その時、クリスさんが第一執務室へ来たんです」


「はい」


「クリスさんは、青剣隊や公園のことについて、ある程度事情をご存じのようでした。それに、青き輝きの会についても、何かご存じのように見えました」


 イリスは、そこで少しだけ間を置いた。


「ですが、副長は何も尋ねませんでした」


「団長は、クリスに聞かなかったのですね」


 エリシアは驚かなかった。


 確認するように言っただけだった。


「はい」


「クリスも、自分からは説明しなかったでしょう?」


「その通りです」


 イリスはエリシアを見る。


「なぜ分かったのですか?」


「団長もクリスも、そうすると思いましたから」


「副長は、聞けば仕事になるからだとおっしゃっていました」


「そうでしょうね」


 あまりにも自然な返答だった。


 イリスは、わずかに眉を寄せた。


「エリシアさんも、分かっていたのですか?」


「はい」


「私は分かりませんでした」


 イリスは正直に言った。


「クリスさんが何かを知っているのなら、尋ねればいいと思いました。実際、副長へ、なぜ聞かなかったのかと尋ねました」


「それは普通のことだと思います」


「普通なのですか?」


「はい」


 エリシアは迷わず頷いた。


「事情を知っている者が近くにいるのであれば、確認したいと思う方が自然です」


 その答えは、イリスが想像していたものと少し違った。


「では、なぜクリスさんは話さなかったのでしょう」


「今、団長に話す必要がないと思ったのでしょう」


「必要がない?」


「はい」


 エリシアは静かに答えた。


「今のところ、届いているのは苦情ではなく感謝状なのでしょう?」


「はい」


「なら、少なくとも今すぐ団長へ報告しなければならないほど緊急性のある話ではありません」


 イリスは少し考えた。


「悪いことが起きているわけでもない」


「今のところは」


「はい」


「だから、クリスさんは話さなかった?」


「それもあると思います」


 エリシアは少しだけ視線を落とした。


「今の団長は、ただでさえ多くの仕事を抱えています」


 その日の仕事は、朝のうちに決まっている。


 どの書類から処理するのか。


 何を午前中に終わらせるのか。


 何を午後へ回すのか。


 途中から新しい仕事が加われば、予定していた仕事が遅れる。


「団長は、予定外の仕事を増やされることを嫌います」


「それは知っています」


「ですが、ただ面倒だから避けているわけではありません」


「違うのですか?」


「団長は、一度自分の仕事になったことからは逃げません」


 嫌だとは言う。


 面倒だとも言う。


 辞めたいとも言う。


 それでも、自分の責任になったものは最後まで処理する。


「青剣隊について一言聞けば、それだけでは終わりません」


 誰が所属しているのか確認する。


 何をしているのか調べる。


 問題がないか判断する。


 必要であれば、今後の扱いや報告方法も決める。


 青き輝きの会まで関わっているなら、その確認も必要になるかもしれない。


「事情を知ってしまえば、団長は責任を取ろうとします」


「最後まで?」


「はい。最後までです」


「だからクリスは、今のところ問題も起きていない話を、わざわざ団長の耳に入れて仕事を増やす必要はないと思ったのでしょう」


 イリスは少し黙った。


「では、クリスさんは、副長に事情を隠しているのですか?」


「いいえ」


 エリシアはすぐに否定した。


「隠しているわけではありません。団長が尋ねれば、クリスは話します」


「話すのですか?」


「もちろんです」


「では、なぜ――」


「団長が尋ねなかったからです」


 イリスは黙った。


「それだけで、二人には十分だったのだと思います」


「十分……」


「団長は、クリスが何か知っていることには気づいた。それでもクリスが自分から何も言わないのを見て、今は聞く必要がないと判断したのでしょう」


「ですが、本当に問題があったらどうするのですか?」


「その時は、クリスが言います」


 エリシアは迷わなかった。


「レオンが聞かなくても?」


「はい。クリスは、必要なことまで黙っている人ではありません」


 エリシアは話を続けた。


「団長はクリスを信頼しているんです」


 その言葉を聞いて、イリスは先日の第一執務室を思い出した。


 レオンは一度だけクリスを見た。


 クリスもレオンを見た。


 だが、どちらも何も言わなかった。


「……あの時、二人はほとんど話していませんでした」


「それでも、分かったのでしょう」


「お互いに?」


「はい」


 エリシアは小さく頷いた。


「長い付き合いですから」


 イリスはしばらく黙った。


「普段は、団長もクリスを煙たがることがありますし、クリスも団長を面倒くさがっているようなところがあります」


「はい」


「ですが、二人は根のところでは互いを信頼しているんです」


 イリスは少し驚いたようにエリシアを見た。


「私は……分かりませんでした。そんな二人の関係を」


「分かりにくいと思いますよ」


 エリシアは少しだけ笑った。


「それに、クリスについては、レオンの方もよく分かっているのでしょうか」


「そう思います」


「私には、少し意外です」


「どうしてです?」


「第一執務室で、クリスさんの話を聞くことがありますから」


 仕事をしていない。


 大隊長室にほとんどいない。


 部下へ仕事を任せ、自分はどこかへ行って遊んでいる。


 マルクやノーラがクリスをよく捜している。


「正直に言えば、私もそういう方なのだと思っていました」


「全てが間違っているわけではありません」


 エリシアは淡々と答えた。


「クリスに仕事をさぼる癖があるのは本当ですから」


「そこは否定しないのですね」


「できません」


 エリシアは少しだけ笑った。


「ですが、それだけでクリスを評価するのも正しくありません」


「どういうことですか?」


「クリスは、いろいろな場所へ顔を出します」


 エリシアは続ける。


「騎士とも話しますし、町の者ともよく話します。気になったことがあれば、自分から声をかけます」


「それは……よく聞きます」


「女性にも、ですね」


「それも、よく聞きます」


「そこは本人の問題ですが」


 エリシアは何事もなかったように続けた。


「ですが、そのおかげでクリスは、いろいろな情報を持っています」


「情報?」


「はい。正式な報告書に上がってくるような情報だけではありません」


 誰が何を気にしているのか。


 どこで何が話題になっているのか。


 騎士たちの間で、何が噂になっているのか。


 町で最近、どんな話が出ているのか。


「そういうことを、人と話しているうちに拾ってくることがあります」


「遊び歩いているように見えても?」


「実際に遊んでいる時もあると思います」


「あるのですね」


「あります」


 エリシアは迷わず答えた。


 イリスは少しだけ口元を緩めた。


「ですが、クリスがあちこちへ顔を出している時間の全てが、無駄なわけでもありません」


「レオンも、それを分かっているのですか?」


「分かっていると思います」


「だから、上司なのにあまり細かく言わない?」


「はい。ただし、度が過ぎれば団長も言います」


「ですが、毎日のように大隊長室へいろとは言わない」


「そうですね」


 本当に仕事をしていないだけなら、レオンがいつまでも何も言わないとは思えなかった。


「団長自身も、クリスから入ってくる情報に助けられていることがあるのでしょう」


「だから、全部を直させようとはしない……」


「クリスなりのやり方があると分かっているのだと思います」


 イリスは少し考え込んだ。


「では、青剣隊のことも」


「そういうことなのかもしれません」


「青剣隊のことも、公園のことも、ある程度知っていた。青き輝きの会についても、何か事情を知っているようだった」


「クリスらしいですね」


「大隊長室にはいないのに」


「そこは別の問題です」


 エリシアは即答した。


 イリスは、少しだけ笑った。


「シエラさんも、そういうところを気に入っているのでしょうか」


「そうかもしれませんね」


「シエラさんは、情報を扱う方ですから」


「はい」


 エリシアも少し笑った。


「ああいう方にとっては、普通ならなかなか入ってこない情報を持ってくる人は、貴重なのかもしれません」


「だからクリスさんを?」


「理由の一つくらいには、なっているのかもしれませんね」


 あくまで推測するような言い方だった。


「クリスは、あちこちに顔を出して、いろいろなことに首を突っ込みますから」


「褒めているのですか?」


「半分くらいは」


「半分ですか」


「残り半分は、本当に余計なところへ首を突っ込んでいるだけです」


 イリスは小さく笑った。


 だが、同時に少し考えさせられていた。


「……私も、クリスさんに対する評価を改めた方がいいのかもしれません」


「そうですか?」


「私も、第一執務室で見聞きしたことから判断していました」


 それらが嘘だというわけではない。


 だが、それだけでもなかった。


「表から見えているものだけで、その人を全部分かったつもりになっていたのかもしれません」


 イリスは静かに息を吐いた。


「人というのは、分からないものですね」


「分かりませんよ」


 エリシアは、少し楽しそうに笑った。


「なかなか」


「エリシアさんでも?」


「もちろんです」


 イリスは少し考えた。


「それが、クリスさんの優しさなのですか?」


「私は、そう思います」


「知らせないことが?」


「知らせないこと自体が優しいわけではありません」


 エリシアは首を横へ振った。


「知らせる必要があることなら、クリスは話します」


「では」


「今、団長に聞かせる必要のない話を、わざわざ聞かせないことです」


 エリシアは少しだけ表情を和らげた。


「団長は、一度知れば動きますから。クリスは、それを知っています」


 イリスは静かに考えた。


「私は違いますね」


「はい」


「私は、知りたいです」


 イリスは迷わず言った。


「自分に関係することであれば、何が起きているのか知りたいです。分からないことがあれば尋ねますし、知っている人がいるなら話を聞きます」


「イリス殿下らしいと思います」


「知らない方がいいと、相手が勝手に決めるのは、少し違うとも思います」


 問い詰めるような声ではなかった。


 だが、簡単に受け入れてもいなかった。


「イリス殿下の考えは、何も間違っていません」


 エリシアは否定しなかった。


「知りたいと思うことも、事情を確かめようとすることも、普通のことです」


「では、クリスさんの方が特別なのですか?」


「団長との付き合い方が、イリス殿下とは違うのだと思います」


「付き合い方……」


「団長にとっては、クリスの距離の取り方が付き合いやすいのでしょう」


 聞かれれば答える。


 必要なことであれば、自分からも話す。


 だが、今すぐ知らせる必要がなく、レオンも聞こうとしていないことを、無理に耳へ入れようとはしない。


 レオンが自分で引いた線を、クリスは理由もなく越えない。


「だから、あの二人は長く付き合ってこられたのだと思います」


「何も言わなくても、分かるからですか?」


「それもあると思います」


「レオンは、『クリスは、俺のことをよく分かっている』と言っていました」


「そう言っていましたか」


「はい」


 エリシアは静かに頷いた。


 イリスは小さく息を吐いた。


「少し、分かった気がします」


 完全に同じ考え方ができるわけではない。


 今後も、自分なら尋ねるだろう。


 けれど、なぜレオンが尋ねなかったのかは分かった。


 なぜクリスが何も言わなかったのかも。


「エリシアさんは、私がレオンのことを理解するのが嬉しいのですか?」


 エリシアは少し驚いたあと、静かに頷いた。


「はい」


「なぜですか?」


「団長は、分かりにくい人ですから」


 エリシアは、ほんの少しだけ笑った。


「そういう人なのだと理解したうえで、そばにいてくださる方が増えるのは、嬉しいです」


 イリスは、その言葉をしばらく受け止めた。


 エリシアは、レオンを理解してほしいのだ。


 クリスと同じように振る舞ってほしいわけではない。


 ただ、なぜレオンがそうするのかを知ってほしい。


 それが分かれば、今までより少しだけ、うまく付き合える。


「すみません」


 イリスは丁寧に頭を下げた。


「いいことを聞かせてもらいました」


「お役に立てたのでしたら、よかったです」


「エリシアさん」


「はい」


「早く戻ってきてください」


 エリシアは、わずかに目を見開いた。


「あなたが戻ってくれば、副長は今よりもっと働きやすくなると思います」


 イリスは、まっすぐエリシアを見た。


「私には、まだ分からないことがたくさんあります」


「イリス殿下なら、すぐに分かるようになります」


「それでも、あなたがいた方がいいです」


 エリシアは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、静かに頭を下げる。


「ありがとうございます」


 イリスも小さく頷いた。


 二人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。

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