第2章86話 仕事好きという報告
――帝国暦三二二年・春終わり ヴェリア帝国 帝都――
■帝都
「イリスからの報告は来ているのか?」
皇帝が尋ねた。
「はい」
皇太子は机の上に置かれていた書類へ手を伸ばした。
「今月分が、昨日届きました」
「続いているのだな」
「ええ。約束どおり、一か月に一度は送ってきています」
東ロンバルディア騎士団領へ赴いてから、イリスは定期的に帝都へ報告書を送っていた。
騎士団領で何が起きているのか。
組織がどのように動いているのか。
そして、レオンハルト・ヴァイスが何をしようとしているのか。
皇太子が報告書を開いた。
「今月は……」
最初の方は、いつもどおりだった。
騎士団領の運営状況。
各部隊の訓練。
人員配置の見直し。
軍組織の再編成。
さらに、レオンが進めている新しい戦術についても書かれている。
「新しい戦術か」
皇帝が言った。
「はい。複数の部隊を交代させながら運用し、兵の疲労差を利用する方式だそうです」
「レオンハルトが考えたのか?」
「副長府で進めているようです」
皇太子はさらに読み進める。
第一大隊と第四大隊を使った対抗演習も予定されている。
今後は実戦を想定し、複数大隊をまとめて運用するための訓練も増やしていく。
組織についても、現在の戦力や人員配置に合わせて少しずつ見直しを進めている。
「よく動いているな」
「ええ」
「続けろ」
「はい」
皇太子が次の頁へ進む。
しばらくは、また普通の報告が続いた。
やがて、その目が止まった。
「どうした?」
「こちらから送った三名についてです」
「騎士団長候補か」
「はい」
ヴィクトル・アルノルト伯爵。
セドリック・ローゼンフェルト。
フェリクス。
三人とも、騎士としての能力そのものに問題があるわけではない。
むしろ実力だけを見れば、騎士団長候補として帝都から送り出されるだけのものは持っていた。
問題は、それ以外だった。
「三人とも、能力はある」
皇帝が言った。
「はい」
「人間としては、多少問題があるが」
「多少で済ませますか?」
皇太子が顔を上げる。
「……相当、と言い直そう」
「その方がよろしいかと」
三人の性格については、皇帝も皇太子も知らなかったわけではない。
「それで、三人は?」
「無事に到着しています」
皇太子は報告書を読む。
「『兄上よりお送りいただいた三名は、無事に騎士団領へ到着しております。現在は三名とも教育中です』」
「教育中か」
「はい」
「なら、今のところは問題なく収まっているのではないか?」
「私もそう思っていたのですが」
「違うのか?」
「イリスの小言も、少し書かれています」
「小言?」
皇帝は少し考えた。
「セドリックを送ったからではないのか?」
「それについても、一言あります」
「ああ、そうだったな」
皇帝も思い出した。
「以前、イリスの婚約者候補だった男だな」
「はい」
「イリスが断ったのだったな」
「女性関係を理由に」
「それを赴任先へ送り込めば、文句くらいは言われるだろう」
「その件については、私も覚悟していました」
皇帝は苦笑する。
「では、それではないのか?」
「どうも、それだけではないようです」
「まだあるのか?」
「はい。ただ、その前に副長についての報告があります」
「レオンハルトか」
「はい」
皇太子は報告書へ目を戻した。
「『総騎士団副長レオンハルト・ヴァイスは、今回お送りいただいた三名を高く評価しております。また、兄上が有能な人材を選んでくださったことについて、大変感謝しているとのことです』」
「…………」
皇帝が少し黙った。
「感謝しているのか?」
「そのようです」
「あの三人を送ったことに?」
「はい」
「意外だな」
「私もそう思いました」
皇太子はさらに読み進める。
「特にヴィクトル・アルノルト伯爵について、高く評価しているようです」
「ヴィクトルを?」
「はい」
「あの無節操伯爵を? あいつの何を気に入ったんだ?」
「そこまでは書かれていません」
「分からんのか」
「はい」
皇帝は少し考えた。
「レオンハルトも、案外女好きなのか?」
「それはないと思います」
皇太子はすぐに否定した。
「そうなのか?」
「少なくとも、私が会った時にはまったくそのようには見えませんでした。それに、そんな男ならイリスが気に入るとは到底思えません」
「ああ……そうだったな」
皇帝もすぐに納得した。
考えてみれば、あまり筋のいい推測ではなかった。
「では、何だ?」
「……あくまで私の予想ですが、仕事ではないでしょうか」
「仕事?」
「以前、私がレオンハルトに会った時、あの男は何より仕事を優先しているように見えました」
「そんな男だったのか?」
「はい。話していても、騎士団のことや、自分が抱えている仕事のことを常に考えているような男でした」
「仕事が好きなのか?」
「私には、そう見えました」
皇太子は続けた。
「ヴィクトルは色々と問題のある男ですが、能力そのものはあります」
「ああ」
「仕事もできますし、剣の腕も確かです」
「だけは、か」
「人間性まで褒めるつもりはありません」
「分かっている」
「レオンハルトも剣は好きでしょうし、仕事のできる人間を評価しているのかもしれません」
「なるほど」
「それに、騎士団長候補が三人も増えれば、当然やることも増えます」
「ああ」
「それでも、喜んでいるようですから」
「…………」
皇帝が少し考えた。
「仕事が増えても嫌ではないのか」
「少なくとも、そう見えます」
「変わった男だな」
「ええ」
「だが、仕事そのものが好きなら分からん話でもないか」
「私も、そうなのではないかと思っています」
「なるほど。仕事好きか」
皇帝は一人で納得したように頷いた。
「普通なら、自分の仕事をこなすだけでも手いっぱいになるものだ」
「はい」
「それなのに、新しい戦術を考え、組織の仕組みにまで手を入れている」
「そうですね」
「そこまで仕事が好きだから、今の騎士団を変えられるのかもしれんな」
「その可能性はあると思います」
「総騎士団副長になってからも、よく働いているようだしな」
「報告を見る限りは」
「新しい役目を与えられて、さらに張り切っているということか」
「そうなのかもしれません」
皇帝は感心したように頷いた。
「グランフェルトが、あいつに仕事を任せるのも分かる気がする」
「有能なのは間違いありませんからね」
「有能で、しかも仕事が好きなら、任せる側としてはありがたい」
「そうですね」
「仕事を任せても嫌がらず、むしろ喜ぶなら、任せる側としても気が楽だ。それに有能となれば……」
「やはり帝都にも欲しい男だな」
「以前から気に入っておられましたね」
「ああ。こちらにも仕事はいくらでもあるからな」
「……そうですね」
皇太子は答えながら、以前会ったレオンの姿を思い出していた。
確かによく働く男だった。
騎士団のことも、自分の仕事のこともよく考えていた。
自分が直接会った時の印象を思い返しても、仕事が好きな男だという考えに間違いはなさそうだった。
今もこうして騎士団領で働き続け、新しい戦術や組織の見直しまで進めている。
皇帝の言うとおり、そういうところが今の騎士団を変える力になっているのかもしれない。
ただ、仕事を任せられることそのものを喜んでいるのかまでは、皇太子にも分からなかった。
そこまで考え、皇太子は報告書へ視線を戻した。
「それで、ヴィクトルについては?」
「はい」
皇太子は報告書へ目を戻した。
「『副長はヴィクトル伯爵について、仕事熱心であり、剣の腕にも優れた人物であると高く評価しております』」
「やはり仕事と剣か」
「そうですね」
「ますます仕事好きに見えるな」
「……そうですね」
皇太子は先を読み進めた。
「『なお、今後当地へ人材をお送りになる際には、能力だけではなく、人柄についても十分にご考慮いただけますと助かります』」
「小言だな」
「はい」
「まだあるのか?」
「『また、今後何らかの人選をなさる際には、できましたら、私が過去に婚約をお断りした方については候補から外していただけますと助かります』」
「セドリックか」
「はい」
「やはり、それについては怒っているのだな」
「当然でしょうね」
「それなら分かる」
「私もそこは分かります」
「では、先ほどの、それだけではないというのは?」
「最後に一つだけあります」
皇太子は報告書の最後へ視線を落とした。
「ここからは、イリス自身の言葉です」
「何と?」
皇太子が読み上げる。
「『最後に私個人から一つだけ申し上げます。ヴィクトル伯爵を当地へお送りになった件については、少々兄上を恨めしく思っております』」
「…………」
皇帝が黙った。
皇太子も報告書から顔を上げた。
「それだけか?」
「はい。これで終わりです」
「なぜヴィクトルなんだ?」
「分かりません」
「セドリックなら分かる」
「私も分かります」
「だが、レオンハルトはヴィクトルを気に入っているのだろう?」
「はい」
「送ったお前にも感謝している」
「そのようです」
「それなのに、なぜイリスがお前を恨む?」
「全く分かりません」
「何か書かれていないのか?」
「ありません」
皇帝は少し考えた。
「……分からんな」
「はい」
「お前にも分からんのか?」
「さっぱり分かりません」
皇帝はもう一度報告書を見る。
レオンハルトは喜んでいる。
皇太子にも感謝している。
その一方で、イリスはヴィクトルを送った兄を恨めしく思っている。
「私にも分からん」
「ですよね」
二人はしばらく、報告書を眺めていた。
皇太子はふと、自分でも騎士団領を少し調べてみようかと考えた。
別のところから様子を聞けば、何か分かるかもしれない。
だが、すぐにその考えをやめた。
東ロンバルディア騎士団領について情報をまとめ、定期的に報告する仕事はイリスに任せている。
その役目を任せておきながら、自分が別口から情報を集め始めれば、担当を飛び越えることになる。
それに、今でもセドリックやヴィクトルの件で小言を言われ、さらに恨まれている。
ここで余計なことまで始めれば、またイリスに怒られる。
皇太子は静かに調べるのを諦めた。
そして、もう一度報告書へ目を落とした。
やはり、ヴィクトルの件だけは全く分からなかった。




