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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章79話 五人だけ

――帝国暦三二二年・春中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――


■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 以前、レオンはエリシアに、夜間警備を何とかすると約束していた。


 その件について話すため、レオンはエリシアを第一執務室へ呼んでいた。


「エリシア」


 エリシアは、レオンの机の前で足を止めた。


「はい、団長」


 レオンは手元の書類から顔を上げた。


「とりあえず五人」


「衛兵隊五人、もう警備に入ってる」


「……五人?」


「ああ」


 エリシアは一瞬、何のことか分からないようにレオンを見る。


「夜間警備の人員だ」


「……もう、来ているんですか?」


「ああ。まだ五人だけだけどな」


 エリシアの表情がはっきりと変わった。


「本当に?」


「ああ。もう配置に入ってる」


「そうですか……」


 エリシアは小さく息を吐いた。


 五人。


 決して多くはない。


 だが、今までいなかった五人が、すでに副長府の警備に加わっている。


「どこから回していただいたんですか?」


「総長だ」


「……父が?」


「ああ」


 エリシアが目を見開いた。


「総長府へ行かれたんですか?」


「行った」


「私のために?」


「警備のためだ」


「……そうですか」


 そう答えながらも、エリシアの表情は少し柔らかくなっていた。


「ありがとうございます」


「五人だけだぞ」


「それでもです」


「すまん、全然足りない」


「分かっています」


 エリシアは小さく頷いた。


「でも、その五人はもう警備に入ってくださっているのでしょう?」


「ああ」


「でしたら、少なくとも前よりは良くなっています」


「まあな」


 レオンもそれは否定しなかった。


 五人。


 十分とは到底言えない。


 それでも、夜間警備を立て直すための最初の五人は、すでに動き始めていた。


 エリシアはそこで、ふと表情を変えた。


「……団長」


「何だ」


「父には、あのことは?」


「言ってない」


 レオンは即答した。


「本当ですか?」


「ああ。約束しただろ」


 エリシアの肩から、少しだけ力が抜ける。


「よかった……」


「ただ」


「……ただ?」


「お前に頼まれたとは言った」


「それくらいでしたら」


「あと、少し涙ぐみながら夜間警備を何とかしてほしいと言ってきたことも」


「…………」


 エリシアが止まった。


「団長」


「何だ」


「なぜ、そこまで言ったんですか」


「理由を聞かれた」


「……それで父は?」


「斬りかかってきた」


「…………」


「剣を抜かれた」


「父が?」


「ああ」


「団長に?」


「ああ」


 エリシアは完全に言葉を失った。


「……怪我は?」


「ない」


「本当に?」


「ああ。避けた」


 レオンは何でもないことのように答えた。


 エリシアは深く息を吐いた。


「父が申し訳ありません」


「お前が謝ることじゃない」


「ですが――」


「それより」


 レオンは話を戻した。


「五人じゃまだ全然足りない」


「……そうですね」


「これからも少しずつ人を回してもらう」


「はい」


「すぐには無理らしいけどな」


「父のところも、人が余っているわけではありませんから」


「ああ」


 エリシアは少し迷ってから、もう一度頭を下げた。


「ありがとうございます」


「約束だからな」


「約束だけではありません」


「必要だったからやっただけだ」


「それでもです」


 レオンはそれ以上何も言わず、手元の書類へ視線を戻した。


「配置については、私も確認します」


「頼む」


「はい」


 エリシアは一礼した。


 そして第一執務室を出ようとして、少しだけ足を止める。


「団長」


「何だ」


「父のことは、本当に申し訳ありません」


「まだ言うのか」


「言います」


「怪我してないぞ」


「そういう問題ではありません」


「そうか」


「そうです」


 エリシアはきっぱりと言った。


 どうやら、こちらについては引くつもりがないらしい。


「……分かった」


「はい」


 それだけ言って、エリシアは第一執務室を出ていった。


■グランフェルト家邸・応接室


 その日の夕方。


 エリシアは久しぶりに実家へ戻っていた。


 応接室では、母が穏やかな表情で茶を飲んでいる。


 その向かいにはグラナートが座っていた。


「五人の件、ありがとうございます。父上」


「ああ」


「団長から聞きました」


「そうか」


「まだ足りませんが、とても助かります」


「人が余っているわけではない。すぐに追加は出せんぞ」


「分かっています」


 エリシアは素直に頷いた。


 そこで、少し間を置いた。


「それと」


「何だ」


「団長から、もう一つ聞きました」


 グラナートの目がわずかに動く。


「父上。団長に剣を向けたそうですね」


「…………」


 隣で母が、静かにグラナートを見た。


「あなた?」


「違う」


 グラナートはすぐに否定した。


 エリシアが首を傾げる。


「団長は、剣を抜かれたと」


「剣は抜いた」


「では、違わないのでは?」


「意味が違う」


 グラナートは腕を組んだ。


「レオンハルトの剣が鈍っていないか、確認しただけだ」


「……確認?」


「ああ」


 グラナートは真面目な顔だった。


「総騎士団副長ともなれば、執務ばかりでは困る。剣の腕が落ちていないか確認する必要がある」


「それで斬りかかったんですか?」


「避けた」


「そういう問題ではありません」


 先ほどレオンに言ったのと、ほとんど同じ言葉がエリシアの口から出た。


 母が穏やかに尋ねる。


「それは、エリシアが涙ぐんでいたと聞いた直後にする必要があったのですか?」


「…………」


「あなた?」


「偶然だ」


「偶然」


「ああ。ちょうど確認しようと思っていた」


 エリシアが父を見る。


「父上」


「何だ」


「団長から聞いた話と、随分違います」


「レオンハルトの認識が間違っている」


「団長は、父上が私を泣かせたと思ったらしい、と」


「違う」


「違うのですか?」


「ああ」


 グラナートは即答した。


「剣の腕を確認しただけだ」


 母はしばらく夫を見ていた。


「では、事前に一言お伝えすればよかったのでは?」


「実戦では相手は待ってくれん」


「実戦だったのですか?」


「実戦を想定した確認だ」


「総長府の中で?」


「ああ」


 エリシアが口元を少し押さえた。


 グラナートが睨む。


「何だ」


「いえ」


「笑っているだろう」


「笑っていません」


「なら、その手をどけろ」


「……はい」


 エリシアは手を下ろした。


 少しだけ口元が緩んでいた。


 母がまた尋ねる。


「ですが、いきなり剣を抜くのは危ないのではありませんか?」


「問題ない」


「なぜです?」


「男同士では、あれくらい普通だ」


「普通?」


「ああ」


 グラナートは少し考え、それから堂々と言った。


「正式な挨拶のようなものだ」


「…………」


 エリシアが父を見る。


 母も夫を見る。


「男同士の?」


「ああ」


「剣を抜いて?」


「ああ」


「斬りかかるのが?」


「そうだ」


 母はしばらく黙った。


 そして、エリシアを見る。


「エリシア」


「はい、母上」


「あなたは騎士ですね」


「はい」


「そのような正式な挨拶を聞いたことがありますか?」


「ありません」


 即答だった。


 グラナートの眉が動いた。


「お前は女だから知らんのだ」


「騎士ですが」


「それでもだ」


「では、騎士の間でも知られていない、男性だけの正式な挨拶ということですか?」


「そうだ」


「そうなのですね」


 母は穏やかに微笑んだ。


「では今度、レオンハルト様にも聞いてみましょう」


「その必要はない」


 グラナートが即座に言った。


「ですが、正式な挨拶なのでしょう?」


「ああ」


「でしたら、レオンハルト様もご存じなのでは?」


「…………」


「確認してみた方が――」


「必要ないと言っている」


 グラナートの声が少し低くなった。


 エリシアはとうとう耐えきれず、俯いた。


「……エリシア」


「はい」


「笑うな」


「笑っていません」


 肩が少し震えていた。


 母がそんな娘を見て、口元へ手を添える。


「母上まで……」


「ごめんなさい」


 そう言いながら、母も笑っていた。


「何がおかしい」


 グラナートだけが不満そうな顔をしている。


 エリシアは父を見た。


 厳格で、公私を分け、総長として決して情に流されない父。


 その父が、娘を泣かせたと思ってレオンに剣を抜いたなどとは、どうしても認めたくないらしい。


「父上」


「何だ」


「新規の衛兵隊五人、本当にありがとうございます」


「ああ」


「それと」


「まだあるのか」


「団長の剣の腕も確認できて、よかったですね」


「……ああ」


 グラナートは少しだけ視線を逸らした。


 それを見て、今度は母とエリシアが顔を見合わせた。


 そして二人で、また小さく笑った。


「だから、何がおかしい」


 その問いに答える者はいなかった。

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