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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第28話 いつもの日常

 ――帝国暦三二〇年・春終盤 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁 執務室――


 二つの別れのあと。


 第七騎士団本庁は、再び日常へ戻った。


 書類の山。

 整った足音。

 規律ある動き。


 指示を受け、報告を返し、必要な書類が机の上を行き来する。


 すべて、変わらない。


 ――はずだった。


「……静かですね」


 エリシアが、ぽつりと言った。


「そうか?」


 レオンは書類から目を上げない。


「はい」


 少しだけ間を置いて、エリシアはもう一度言う。


「静かです」


 リリアがいない。


 ただそれだけで、本庁の空気は少し硬くなっていた。


 柔らかく場をほどく声。誰かが入ってきた時、自然に向けられる笑み。


 慌ただしい書類の合間に、ほんの少しだけ差し込む穏やかな気配。


 それが、今はない。


 リリアは現在、短期の書記官養成学校へ通っている。


 家の外。

 騎士団の外。


 レオンの妹としてではなく、ひとりの学ぶ者として、基礎から見直すためだった。


(……まあな)


 レオンも、否定はしなかった。


 その時。


「団長」


 若い騎士が、おずおずと声をかけてきた。


「なんだ」


「その……」


 視線が泳ぐ。


「姫様のご様子は――」


「知らん」


「え」


「知らん」


 間髪入れない答えに、騎士が固まる。


 横でクリスが肩を震わせた。


「……元気だろ」


 小声でフォローする。


「たぶんな」


「そ、そうですか……!」


 若い騎士は安心したように頭を下げ、去っていった。


 そして数分後。


「団長」


「なんだ」


「姫様は――」


「知らん」


 再び即答。


(またかよ)


 クリスが天井を見た。


 さらに別の騎士が、おそるおそるエリシアの方へ向く。


「……副官殿」


「何でしょう」


「姫様の――」


 視線が合う。


 エリシアは何も言わない。


 ただ、見た。


 冷たい視線。


 正確には、業務時間中に不要な質問を持ち込んだ者を見る、鋭い目だった。


「い、いえ!」


「なんでもありません!」


 騎士は即座に敬礼し、逃げるように去っていく。


「……怖いな」


 クリスがぼそりと言った。


「当然です」


 エリシアは淡々と答える。


「業務中ですので」


「正論だけどな」


 クリスは肩をすくめた。


「正論って、たまに刃物みたいだよな」


「何か?」


「なんでもないです」


 また一人、騎士が来る。

 今度はかなり慎重だった。


「団長」


「なんだ」


 騎士は深呼吸する。


「その……」


 意を決したように言った。


「姫様は、お元気でしょうか?」


 短い沈黙。


 レオンは、ゆっくりと顔を上げた。


「……姫様は」


 騎士が、ごくりと喉を鳴らす。


「誰だ、それ?」


 真顔だった。


「え……」


「ここに、そんな役職はない」


 正論。


 逃げ場はない。


 騎士の背中が、少しずつ丸くなる。


「……失礼しました」


 小さく敬礼し、すごすごと去っていった。


 クリスが顔を逸らす。


(やりすぎだろ)


 だが、笑ってはいけない。笑ったら最後、次に飛んでくる相手は自分だ。


 エリシアは無言だった。


 ただ、そのやり取りを見て、わずかに目を細める。リリアがいた時には、こうした空気も自然に流れていた。


 誰かが声をかける。

 リリアが笑って応じる。


 用件が終わる。

 少しだけ場が柔らかくなる。


 だが、今は違う。


 同じ執務室。

 同じ机。

 同じ書類。


 それなのに、どこか余白が消えたようだった。


 レオンは再び書類へ視線を落とす。

 何事もなかったかのように。


 執務室には、静かな時間が戻る。


 書類は進む。

 命令は通る。

 業務に支障はない。


 むしろ、不要な来訪者が減った分、効率だけなら少し上がっているのかもしれない。けれど、誰も口にはしないだけで、そこにいたはずの柔らかな気配が、今はない。


「……静かだな」


 今度はレオンが呟いた。


 エリシアは何も言わない。


 クリスも、少しだけ黙る。


 廊下の向こうで、誰かが小さく言った。


「……姫様、いつ戻るんだろうな?」


 その声に、誰も返事をしなかった。


 いつもの日常は戻ってきた。


 けれど、それはもう、以前とまったく同じものではなかった。

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