第27話 巡察の終わりと
――帝国暦三二〇年・春終盤東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁 正門前――
その日、皇太子アシュレイの巡察は、ちょうど終わりを迎えようとしていた。
「では、これで一通りか」
「ああ」
レオンが短く答える。
最小限の随行。
最小限の儀礼。
必要な確認は済ませた。
あとは、このまま帰るだけ――のはずだった。
「……なんだ、これは?」
アシュレイが、思わず足を止める。
正門前。
騎士たちが正装でずらりと並んでいた。
しかも、ただ並んでいるだけではない。
「……泣いているのか?」
目を拭う者。
肩を震わせる者。
本気で嗚咽をこらえている者までいる。
見送りにしては、あまりにも空気が重い。
「見送りにしては……大げさだな」
アシュレイが、少しだけ驚いたように言う。
(……やりすぎだろ)
レオンは小さく息を吐いた。
皇太子の巡察が終わるからといって、ここまで感情的になる必要はない。少なくとも第七騎士団は、そういう騎士団ではなかったはずだ。
「お前が何かやったのか?」
レオンが横を見る。
「やってない」
クリスが即答した。
「俺もこんなの初めて見るぞ」
「そうか?」
アシュレイは少しだけ考え、それから軽く笑った。
「まあ、見送りなら悪い気はしないな」
一歩、前に出ようとした。
そのときだった。
「姫様……!」
声が上がる。
アシュレイの足が止まった。
視線が、ゆっくりと横に流れる。
そこにいたのは、リリアだった。
小柄で、華奢な姿。だが、その場にいるだけで、周囲の空気が柔らぐ。騎士たちの視線は、すべて彼女へ向いていた。
「どうか、お気をつけて……!」
「必ずお戻りください……!」
「お待ちしております……!」
完全に、別の見送りだった。
長い沈黙のあと。
やがて、アシュレイが小さく笑う。
「……はは」
それから、レオンを見た。
「俺じゃないのか!」
「すまん、違うな」
横からクリスが口を挟む。
「ほぼ全部、あいつだ」
「だろうな」
アシュレイはあっさり納得した。
「これはまた……すごいな」
視線を戻す。
リリアは一人ひとりに丁寧に頭を下げていた。
「ありがとうございます」
「必ず戻ります」
変わらない笑顔。
柔らかな声。
けれど、その奥には、わずかな決意が混じっている。リリアはこれから、短期の書記官養成課程へ向かう。
家の外。
騎士団の外。
レオンの妹としてではなく、ひとりの学ぶ者として、基礎から見直すために。
「……面白い」
アシュレイが、ぼそりと呟いた。
「どうした」
「いや」
軽く肩をすくめる。
「来てよかったと思った理由が、また一つ増えた」
それ以上は言わない。だが、その目は、ただの見送りを見ているものではなかった。
レオンはその横顔を見て、少しだけ眉をひそめる。
(また何か考えてるな)
面倒な種類の顔だった。
やがて、リリアが馬車へ乗り込む。
ゆっくりと車輪が動き出す。
騎士たちが手を振る。
中には、まだ泣いている者もいた。
「……すごいな」
アシュレイが素直に言う。
「一人で、あれか」
「まあな」
レオンは短く答える。
「だから“姫様”なんだろ」
クリスが言った。
アシュレイは笑う。
「納得した」
それから、しばらく馬車の後ろ姿を見送っていた。リリアを乗せた馬車が門の向こうへ消えていく。
それを見届けてから、アシュレイは自分の馬車へ向かった。
「さて」
軽く息を吐く。
「俺も帰るか」
だが、数歩進んだところで、ふと足を止めた。振り返らないまま、小さく呟く。
「……ああ」
誰に向けたものでもない声。
「間に合いそうだな」
レオンは眉をひそめる。
「何の話だ?」
「いや」
アシュレイは軽く笑った。
「こっちの話だ」
「そういう言い方をする奴は、だいたい面倒なことを考えている」
「鋭いな」
「否定しろ」
「できないな」
アシュレイは楽しそうに笑う。
レオンの眉間に、さらにしわが寄った。
「おい」
「安心しろ。今すぐお前に何かを押しつけるつもりはない」
「今すぐ、は?」
「言葉尻を拾うな」
「拾わせるような言い方をするな」
クリスが横で肩をすくめた。
「仲良くなったなレオン、殿下と」
「なってない」
レオンが即答する。
アシュレイはそれを聞いて、また笑った。
「また来る」
「好きにしろ」
レオンの返事は変わらない。
やがて、アシュレイの馬車も動き出した。
二つの別れが、ほぼ同時に起きた。
一つは、騒がしく。
一つは、妙に意味深に。
そして、どちらも確かに何かを残していった。
「……なんか、すごかったな」
クリスがぼそっと言う。
「だな」
レオンも短く返す。
少し間を置いてから、付け加える。
「でも、いい奴だった」
その一言に、ほんの少しだけ本音が混じっていた。
エリシアは、静かに目を細める。
(……危うい)
理由は、まだ言葉にならない。
だが、確かに何かが動いている。
リリアは外へ向かった。
アシュレイは帝都へ戻った。
そして、そのどちらも、レオンの周囲に新しい流れを残していった。
(このままでは、済まない)
エリシアは、遠ざかる馬車を見つめる。
春の終わりの風が、正門前を抜けていく。
騎士たちのざわめきだけが、しばらく残っていた。




