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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第26話 それぞれの選択

 ――帝国暦三二〇年・春中頃 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁 一室前――夕刻


 扉の外で、エリシアとリリアは静かに立っていた。


 皇太子アシュレイが、途中から人を下げたためだ。中に残っているのは、レオンとアシュレイのみ。


 声は完全には聞こえない。それでも、いくつかの言葉だけは、扉越しに届いていた。


「……三つある」


「帝国との関係」


「資金の流れ」


 断片的な言葉。

 だが、それだけで十分だった。


 エリシアの表情が、わずかに硬くなる。


(……危険ですね)


 皇太子アシュレイ。


 帝都では“旅人”と呼ばれる変わり者。


 皇族でありながら、帝都に留まらず、各地を見て回る男。


 常識に縛られない。

 身分に縛られない。

 そして、人を動かす言葉を持っている。


 それが、厄介だった。


(レオンも)


 エリシアは、昼間の会話を思い出す。


 息が詰まる。

 外を見たい。


 レオンは、確かにそう言った。


 そこに、アシュレイが現れた。


 外を知る皇太子。

 外へ誘う言葉。


 二つが重なる。


(……連れていかれる)


 確信に近い予感だった。


 エリシアは静かに拳を握る。


(それだけは、許容できません)


 その隣で、リリアもまた中の声を聞いていた。けれど、向いている思考は違っていた。


(……外)


 レオンが見る景色。

 自分が知らない世界。


 兄が、初めて本気で意識した場所。


(今のままでは)


 リリアは、静かに理解してしまった。


 今の自分では、並べない。

 兄の隣にいるつもりだった。


 いつも側にいるのは自分だと思っていた。

 けれど、もし兄が外を見始めるなら。


 自分だけが、家の中にいるままではいられない。


 エリシアは“引き止める”ことを考え。


 リリアは“追いつく”ことを考える。


 同じ場所に立ちながら、まったく違う未来を見ていた。


 その時。


 扉の向こうで、ふと会話の調子が変わった。


 少しだけ低く。


「……もう一つあるが」


 アシュレイの声だった。


「これは今話しても仕方がないな」


 短い間。


 それから、かすかに言葉が続く。


「帝都の連中が、お前をどう扱うかで揉めている」


 わずかな沈黙。


「……そういう話だ」


 詳しい言葉は、続かない。


「今言えば、お前は面倒だと思うだけだろうしな」


 軽く笑う気配。

 だが、どこか乾いている。


「だから後でいい」


 それで話は切れた。


 エリシアの指が、わずかに止まる。


(……扱う?)


 リリアも、ほんの少しだけ眉を寄せた。


(……何の話でしょう)


 だが、それ以上は聞こえない。


 続いて、アシュレイの声がまた戻る。


「……ああ、そうだ」


 調子は軽い。


 しかし、言葉の中身は軽くない。


「もう一つ、準備は進めている」


 少し笑いながら。


「“あれ”は、そちらに向かわせるつもりだ」


 リリアの呼吸が、わずかに止まる。


 エリシアの視線が鋭くなる。


「今話しても意味はないが」


 それ以上は語られない。


(……誰か、来る)


 エリシアは確信する。


 人なのか。

 物なのか。


 命令なのか。

 まだ分からない。


 けれど、外から何かが来る。


(“外”が、動いている)


 一方で、リリアはぼんやりと思った。


(……楽しそう)


 少しだけ、胸が高鳴る。

 知らないものが来る。


 自分の知らない外が、兄のいる場所へ近づいてくる。不安より先に、好奇心が動いた。


 やがて、扉が開く。


 レオンが出てきた。


「どうした?」


 二人を見て言う。


 エリシアはすぐに姿勢を整えた。


「いえ。待機しておりました」


「そうか」


 レオンは軽く流す。


 その時、リリアが一歩前に出た。


「……少し、よろしいですか」


「今?」


「はい」


 レオンは少しだけ考えた。


 中では、アシュレイがまだ侍従と短く言葉を交わしている。今なら少しだけ時間はある。


「いいぞ」


 レオンは頷き、場所を変えた。


 ■第七騎士団 本庁 廊下奥――


 人のいない場所で、リリアは静かに息を整えた。


「団長閣下」


 そう呼ぶ。


 だが、すぐに。


「……お兄様」


 言い直した。


 レオンは何も言わない。


 ただ言葉を待つ。


「私」


 リリアは一歩、踏み出した。


「一度、騎士団を離れます」


 レオンの眉が、わずかに動く。


 リリアは続けた。


「長期の休暇という形で」


 そして、すぐに補足する。


「戻る前提で、です」


 言葉は整っている。


 迷いはない。


「理由は?」


 レオンが問う。


 リリアは少しだけ目を伏せた。


 それから、顔を上げる。


「……見てきます」


 短く言う。


「家の外を」


 それだけで十分だった。


 レオンは小さく息を吐く。


(なるほどな)


 たぶん、アシュレイの言葉を聞いたのだろう。


 外。

 世界。


 兄が見ようとしているもの。


 リリアは、それを自分も知ろうとしている。


「いいんじゃないか」


 レオンはあっさり答えた。


「え……」


 リリアが少しだけ驚く。


「止めないのですか」


「どうせ止めてもやるだろ」


「……はい」


 正直だった。


「なら、最初から許可した方が楽だ」


 レオンはそう言った。


 リリアはしばらく兄を見る。

 それから、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 その顔は、どこか晴れていた。


 エリシアは少し離れた場所で、それを見ている。止める言葉は出なかった。


 リリアは、自分の意思で動こうとしている。ならば、止める理由はない。


 そう判断するべきだ。


 けれど。


(……また一人、外へ向く)


 エリシアの胸には、静かな焦りだけが残った。


 ■第七騎士団 本庁前――


 数日後。


 本庁前には、妙な空気が流れていた。


「姫様……!」


「どうかお気をつけて……!」


「必ずお戻りください……!」


 騎士たちが並んでいる。

 中には、本気で泣いている者までいた。


「大げさだな」


 レオンがぼそっと言う。


「いつものことだろ」


 クリスが肩をすくめる。


「いや、いつもより大げさだ」


「お前の姫様が長くいなくなるんだぞ。そりゃこうなる」


「なるな」


 レオンは少し笑いながら、即答した。


 だが、騎士たちは止まらない。


 リリアは一人ひとりに頭を下げる。


「ありがとうございます」


「必ず戻ります」


 その声は、変わらない。

 柔らかく、そしてしっかりしている。


 旅装は上品で、動きやすい。

 屋敷の外へ出るための装い。


 騎士団の中で補助をしていた時とも、公式の場でドレスを着ていた時とも違う。自分で外へ向かう者の姿だった。


 エリシアは、その背中を静かに見つめる。


(……来る)


 何かが。

 ここに。


 外から。


 アシュレイが言った“あれ”。


 帝都の連中がレオンをどう扱うかで揉めているという話。


 そして、外を見に行くリリア。

 すべてが、少しずつ動き始めている。


(このままでは、いられない)


 エリシアは静かに息を吐いた。


 レオンは外を見始めた。


 リリアは外へ向かった。


 アシュレイは何かを運び込もうとしている。ならば、自分もまた、選ばなければならない。


 引き止めるのか。

 支えるのか。


 それとも、隣に立つために変わるのか。


 答えはまだ出ない。


 けれど、物語は静かに次の段階へ進んでいた。

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