第25話 外の話
――帝国暦三二〇年・春中頃 東ロンバルディア帝国騎士団 第七騎士団 本庁 一室――夕刻
簡素な卓。
余計な装飾はない。
壁には必要最低限の地図と、騎士団領の配置図。部屋としては、あまりにも実務向きだった。
「いいな、こういうのは」
皇太子アシュレイが椅子に腰掛けながら言う。
「ここにも無駄がない」
「削れるものは削っているからな」
「それがいい」
アシュレイは軽く笑った。
レオンは向かいに座っている。
エリシアは控えめに立ち、リリアは少し後ろで静かに控えていた。
昼間の視察とは違い、今は限られた者だけの場だ。護衛も、侍従も、必要最低限しか入っていない。
「さて」
アシュレイが視線をレオンへ向けた。
「今回、俺がここに来た理由だが」
「言わなくていい」
「言う」
(面倒だな)
レオンは内心で呟く。
皇太子の話は軽い。
だが、軽いだけでは終わらない。
昨日の昼間の視察で、それはもう分かっていた。
「三つある」
アシュレイは指を一本立てた。
「一つ目。帝国と騎士団領の関係強化だ」
「表向きだな」
「表向きだが、嘘じゃない」
アシュレイはあっさりと言う。
「騎士団領の評判は、帝都にも届いている。最年少団長が三騎士団を兼任し、それでも運用が崩れていないとなれば、見に来る理由としては十分だ」
「迷惑な評判だな」
「有能だと評判は勝手に増える」
「やめてくれ」
「俺に言うな」
アシュレイは笑う。
「実際に見に来た。来て正解だった」
率直な評価だった。
エリシアの背筋が、わずかに伸びる。
レオンは嫌な顔をする。
褒められると、仕事が増える。その法則を、もう嫌というほど知っている。
「二つ目」
アシュレイの声で、空気が少しだけ変わった。
「これは、話してもいい」
レオンが眉をひそめる。
「……珍しいな」
「現実の話だからな」
軽く言いながらも、その目は笑っていない。
「騎士団領は強い。戦力としても、組織としてもな」
「それで?」
「だが、それだけじゃ足りない」
視線がまっすぐ向く。
「金だ」
短く、はっきりとした言葉だった。
部屋の空気が静かに締まる。
「帝国は広い。維持にも、拡張にも、金がかかる。軍を動かすにも、道を整えるにも、人を食わせるにも、全部金がいる」
「騎士団領は?」
レオンが聞く。
「回っている」
即答だった。
「無駄が少ない。運用効率が高い。物資の流れも悪くない。だから、余力が出る」
エリシアの目が、わずかに細くなる。
(……見ている)
ただの視察ではない。
アシュレイは最初から、戦力だけでなく運用の中身を見ていた。
「帝国としては、その力を活かしたい」
「言い方を変えれば?」
レオンが淡々と返す。
「資金源か」
「そうとも言う」
アシュレイは否定しなかった。
「もちろん、取り上げる気はない。力ずくで奪えば、回っているものまで壊れる」
「だが、流れは作る」
「そうだ」
静かな言葉だった。
「帝都と騎士団領の間に、人、物、金の流れを増やす。騎士団領が蓄えている力を、帝国全体に回す。そういう話が上で出ている」
「……面倒だな」
「そうだな」
アシュレイはあっさり頷く。
「だが合理的だ」
レオンは何も言わなかった。
否定はできない。
それが現実だからだ。
騎士団領だけで完結していれば楽だ。
だが、帝国の一部である以上、外から求められるものもある。
そういう話なのだろう。
分かる。
分かるからこそ、面倒だった。
「そして三つ目だが――」
そこで、空気がわずかに変わった。
アシュレイは言葉を止める。
ほんの一瞬だけ、視線が動いた。
レオンではない。
エリシアでも、リリアでもない。
もっと別の何かを見るような目だった。
だが、すぐに軽く笑う。
「……まあいい」
「なんだ」
「これは今話しても意味がない」
「最初から言う気ないだろ」
「あるさ」
アシュレイは楽しそうに返す。
「ただ、お前が嫌がるのは確実だからな」
さらりと言う。
だが、そこだけは軽くなかった。
レオンは目を細める。
「ろくでもないな」
「大抵そうだ」
否定しない。
「そのうち分かる」
「それ、だいたい面倒事の前置きだろ」
「よく分かってるじゃないか」
「分かりたくなかった」
レオンは深く息を吐いた。
アシュレイは椅子から立ち上がる。
「一つ言えるのは」
扉へ向かいながら、振り返った。
「ここは面白い」
そして。
「お前もな、レオン」
軽く笑う。
その目は、何かを見極める者のそれだった。
「やめてくれ」
レオンがぼそっと言う。
「そういうのは嫌いだ」
「知っている」
「なら言うな」
「嫌がるところも含めて面白い」
「最悪だな」
アシュレイは楽しそうに笑い、そのまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。
束の間の静寂。
レオンはゆっくりと息を吐いた。
(……絶対ろくでもない)
確信に近い予感があった。
一つ目は、関係強化。
二つ目は、帝国全体へ金と物の流れを作る話。
三つ目は、まだ伏せられている。
おそらく、それが一番面倒だ。
エリシアも、リリアも何も言わない。二人とも、今の会話の重さを理解している。
ただ、踏み込むにはまだ情報が足りなかった。
(まあ、いい)
レオンは背もたれに体を預ける。
どうせ、面倒事は勝手に来る。
避けようとしても、役職ごと積み上がってくる。
けれど。
「選ぶのは俺だ」
小さく呟いた。
それだけは、変わらない。
皇太子が何を見ていようと。
総長が何を押しつけようと。
上層部がどんな評価を積み上げようと。
最後に、自分がどう動くか。
それだけは、まだ自分のもののはずだった。




