第2章 Side Story 議事録
――帝国暦三二二年・春中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――
■総騎士団副長府庁舎・第一執務室
大隊長会議を数日後に控えた第一執務室で、メリーは当日使う資料を確認していた。
説明する内容は、ほとんどまとまっている。
そこで一つ、まだ決めていなかったことを思い出した。
「お兄様」
「何だ」
「今度の大隊長会議ですが、今回は議事録を取る方を新たに決める必要があります」
書類を読んでいたレオンが顔を上げた。
「そうなのか?」
「必要です」
「そうか」
メリーは少しだけレオンを見た。
「今まで、誰が取っていたと思っていたんですか?」
「考えたことなかった」
「そうですか」
「じゃあ今までは誰がやってたんだ?」
「統合管理関係の会議なら、私が取ることもありました」
「なら今回も頼む」
「今回は無理なんです」
「何でだ?」
「私が説明する側だからです。説明しながら、九人分の発言を記録するのは難しいです」
「ああ。それもそうか」
レオンはそこで、ようやく以前の会議を思い返した。
「じゃあ、メリーが取らない時は誰がやってたんだ?」
「エリシアさんです」
「ああ……そうだったな」
以前なら、副官として会議に同行したエリシアが、そのまま議事録を取ることもあった。
だが今のエリシアは第二執務室付軍務補佐官へ配置が変わり、しかも職務停止中である。今回だけ呼び戻して議事録を取らせるわけにもいかない。
「エリシアには頼めないな」
「はい。ですから、今回は別の方にお願いする必要があります」
「私がまたやりましょうか?」
少し離れた机からイリスが声をかけた。
レオンがそちらを見るより先に、メリーが首を横に振る。
「お姉様は駄目です」
「駄目ですか?」
「はい。以前ならよかったのですが、お姉様は現在、首席書記官ですから。今回は副長の後ろに控えて、会議全体を見ていただきたいです」
「議事録を取りながらでも、それはできますが」
「できるかどうかではなく、形式の問題です。首席書記官として後ろに控えていただく方が自然です」
「形式ですか」
イリスは少し考えた。
仕事量や能力の問題なら反論できたかもしれないが、形式と言われると確かにその通りだった。
「……そうですね。では私はやめておきます」
「お願いします」
あっさり一人目が候補から消えた。
レオンは第一執務室を見回し、次にマリニーファと目が合った。
「私は駄目です」
「まだ何も言ってないぞ」
「分かります。大隊長会議の議事録でしょう?」
「ああ」
「嫌です」
「即答だな」
マリニーファは冗談を言っている様子ではなかった。
レオンは少し首を傾げる。
「ここは騎士団の仕事場だぞ」
「知っています」
「仕事だぞ」
「それも知っています」
「マリは、仕事熱心な男が好きなんだろ?」
「はい。好きです」
「じゃあいいじゃないか。大隊長なんて、クリス以外、みんな仕事熱心だぞ」
ところがマリニーファは、ますます嫌そうな顔をした。
「ああいうのは、私には仕事に見えないんです」
「何がだ?」
「訓練で人を斬ったり、殴ったり、剣を振り回したりしている方々です」
マリニーファは嫌そうな表情のまま続けた。
「あれを楽しそうにやっている人を見て、仕事熱心な男性だとは思えません」
「いや……」
レオンは言いかけて、やめた。
ひどい誤解だ。
騎士たちも、人を斬ったり殴ったりすること自体を楽しんでいるわけではない。
少なくとも、たぶん。
「私は、書類を一生懸命やっている方とか、仕事が多くて疲れているのに頑張っている方とか、そういう方が大好きなんです」
「そうか……」
そこまで聞いたところで、レオンの頭に一つ疑問が浮かんだ。
だったら、なぜ騎士団関係の職場に就職したのだろう。
ただ、聞くと話が長くなりそうなので黙っておいた。
「でも今回は、別に戦うわけじゃないぞ。会議で議事録を取るだけだ」
「それでも嫌です」
「今度は何でだ?」
「ああいう方々が、クリス様を除いて他に八人もいるんですよね?」
「ああ」
「顔に傷があって、大きくて、ごつくて、怖そうで、目つきも鋭そうな方々が何人も並んでいるところで、ずっと話を聞かないといけないんですよね?」
「別にお前を睨みに来るわけじゃないぞ」
「それでも嫌です。怖くて議事録どころではありません」
また誤解だった。
確かに、ジェイドをはじめとして長年戦場に出てきた大隊長も多い。身体に多少の傷がある者もいるだろう。
だが、そこまでひどくない。
それでもレオンにとっては見慣れた連中でも、マリニーファからすれば近くにいるだけで威圧感があるのかもしれない。
「でも、マリ」
「はい、レオン様」
「クリスを除いてってことは、あいつは大丈夫なんだな」
「クリス様は特別ですから」
「何が違うんだ?」
「クリス様は、いつもへらへらしていて軽そうなので、全然怖くありません。だから話すだけなら別に問題ないです」
「そうなのか」
「はい」
そこでレオンは、何となく聞いてみた。
「特別ってことは、じゃあクリスは好きなのか?」
「規格外に嫌いです」
返事は早かった。
「真面目に仕事をしているように見えませんので。怖くはありませんけど、好きではありません」
「…………」
そこまで言わなくてもいいだろう。
レオンは少しだけクリスが気の毒になった。
どこまで嫌われているんだ、あいつ。
「分かった。マリニーファはなし」
「ありがとうございます」
次にレオンが見たのはフィアナだった。
「フィアナは?」
「私はリリアさんのお世話がありますので」
「じゃあココ」
「私もリリアさんのお世話があります」
「二人も必要なのか?」
「必要です」
「必要です」
二人の返事がほとんど同時に重なった。
どうやら、そこを崩すつもりはまったくないらしい。
「そうか……」
レオンはもう諦めて、そのさらに向こうにいる書記官たちを見た。
ライとコウがいる。
別に議事録係が女性である必要はない。男の書記官に任せてもいい。
そう思って二人を見ると、二人とも微妙に目を逸らした。
「…………」
やめておくか。
そう思って視線を戻そうとしたところで、ライが口を開いた。
「副長閣下」
「何だ」
「何で僕たちには声をかけないんですか?」
「今、かけようと思ったんだが、お前ら嫌そうな顔しただろ」
「それとこれとは別です。女性の方には一人ずつ聞いていたのに、僕たちは最初から候補に入ってないみたいじゃないですか」
「しかし、大隊長が九人いるだろ。ほとんど男だし、そこにさらに男の書記官まで置くのもなと思ってな」
「ひどい偏見です」
「そうか?」
レオンはコウを見る。
「コウもそう思うだろ?」
「僕は別にやりたくないです」
「…………」
今度はライがコウを見た。
「お前、今俺が抗議してるんだけど」
「僕は頼まれたくないから」
「じゃあ何で俺だけ抗議してるみたいになってるんだよ」
「ライはやりたいんじゃないのか?」
レオンが聞くと、ライは少し詰まった。
「いや、特にやりたいわけじゃありませんけど」
「じゃあ何で言ったんだ」
「僕たちだけ最初から除外されるのは違うと思ったんです!」
「面倒くさいな、お前」
「ひどい!」
そこでコウが口を挟んだ。
「だから最近、お前はそうやって何にでも首を突っ込むから、余計な仕事を背負うんだよ」
「違うだろ。お前がすぐ逃げるから、その分が全部俺のところに来るんだろ!」
「嫌なら断ればいいだろ」
「誰かがやらないといけない仕事もあるだろ!」
「それで自分から引き受けてるなら、お前のせいじゃないか」
「違う。お前が逃げるからだ!」
「何で俺のせいなんだよ」
いつの間にか、議事録係とはほとんど関係のない言い争いになっていた。
レオンは二人から視線を外した。
もう勝手にやっていればいい。
「他に誰か……」
「副長」
その時、横から声がした。
リリアが小さく手を上げている。
「ん?」
「私がやってみてもいいですか?」
「議事録を?」
「はい」
意外な申し出だった。
レオンは少し驚いてリリアを見る。
「やったことあるのか?」
「ありません」
「ないのか」
「はい。なので、最初に少し教えていただかないといけないと思いますけど」
リリアはそう言って、少し困ったように笑った。
レオンは判断を自分だけでせず、メリーへ目を向ける。
「どうだ?」
「問題ないと思います」
「本当に?」
「はい。今回は私が説明する側なのでできないだけで、議事録そのものは特別難しい仕事ではありません。会議の前に、何を書けばいいのか私から説明します」
リリアが嬉しそうにメリーを見る。
「お願いします、メリーさん」
「はい」
それでもレオンは、一応もう一度確認した。
「本当にいいのか? 九人の大隊長が来るぞ」
「大丈夫です」
「マリニーファは怖いって言ってたぞ」
「私は大丈夫です」
少し離れたところから、マリニーファの声が飛んできた。
「私は嫌です」
「分かったよ」
もう念を押さなくてもいい。
レオンは小さく息を吐き、改めて妹を見る。
「じゃあリリア、頼めるか?」
「はい」
リリアは頷いた。
そして、少し楽しそうに続けた。
「私も、やってみたいです」
■親衛隊室
その日のうちに。
まだ当人が議事録の取り方すら教わっていない段階で、その話はすでに別の場所まで届いていた。
「隊長」
親衛隊室へ入ってきたのは、第七大隊長のアポロだった。
普段なら千を超える部下を率いる大隊長だが、ここでは立場が違う。
親衛隊室で一番上なのは、親衛隊長のエゼルだった。
「どうしました、同志アポロ」
「新しい情報があります」
「姫様についてか?」
「はい」
その一言だけで、エゼルの顔つきが変わった。
「話してください」
「今度の統括統合管理官絡みの大隊長会議で、姫様が議事録係を務められるそうです」
「…………本当ですか?」
「本当です」
「姫様が、九人の大隊長が集まる会議で議事録を?」
「はい」
エゼルは少し考え込んだ。
それを見ながら、アポロはどこか楽しそうだった。
「ちょうど、そろそろ新しいものが欲しいと思っていたんです」
「何がです?」
「絵です」
「…………」
「議事録を書いている姫様です。大隊長たちの話を聞きながら、真剣に書き留めている姿を何枚かデッサンしておきたいなと」
アポロは興奮した様子で続ける。
「それに、記録している間なら姫様もあまり動かれないでしょう。デッサンするには好都合です」
エゼルがじっとアポロを見る。
「ちゃんと許可は取ってくださいよ」
「分かっています。会議前に姫様へ許可をいただきます」
「それならいいです」
アポロは満足そうに頷いた。
「もちろん、私は第七大隊長として会議にも参加します。ただ、今回の会議は新しい戦い方について、大隊長たちの意見を聞くためのものですよね?」
「そう聞いてますけど」
「でしたら、私は最初から全部賛成するつもりです」
「…………」
エゼルが怪訝そうに眉を寄せた。
「全部ですか? まだ内容を聞いてませんよね?」
「姫様が議事録係を務められるのであれば、反対する理由がありません」
「いや、それとこれは別でしょう」
エゼルが呆れたように言った。
だがアポロは、まったく気にした様子もなく答える。
「大丈夫です。どうせ反対するつもりはありませんから」
「だから、ちゃんと話は聞いてくださいよ」
今度はエゼルが念を押す。
アポロは笑顔のまま頷いた。
「もちろん聞きますよ。必要なところは」
「必要なところだけですか?」
「その方が、デッサンにも集中できます」
「…………」
エゼルは何とも言えない顔になった。
一応、大隊長会議なのだ。
それなのに目の前の大隊長は、すでに会議の内容よりもリリアのデッサンの方に意識が向いている。
「姫様が真剣に議事録を書いている姿なんて、目の前でそう何度も見られるものではありませんから」
アポロはすでに楽しそうだった。
「できれば何枚か描いて、あとで一番いいものを選びたいですね」
「…………」
「隊長?」
エゼルはしばらくアポロを見ていた。
その顔は、これから大隊長会議へ出る男というより、新しい絵の題材を見つけた親衛隊員そのものだった。
「……まあ、頑張ってください」
「はい」
「期待してますから」
「任せてください」
アポロは嬉しそうに頷いた。
エゼルはその姿を見ながら、小さく息を吐いた。
うちの大隊長。
本当に大丈夫なのだろうか。
こうして。
リリアが初めて議事録を取ることになった、その日のうちに。
本人の知らないところでは、新しい絵の候補まで生まれていた。




