第2章幕間18 僕は見たんです
――帝国暦三二二年・春中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――
■三階・仮眠室前
しばらくして。
近衛隊員は。
気を失ったライを背負って、仮眠室前へ戻ってきた。
もう一人の隊員は。
変わらず扉の前で警護を続けている。
「戻りました」
「ああ」
隊員は背中のライを見た。
それから。
仮眠室の扉を見る。
レオンは。
すでに第一執務室での仕事を終え。
仮眠室へ来ていた。
隊員は扉を叩いた。
こん。
こん。
「副長閣下」
少しして。
「何だ」
中からレオンの声が返ってきた。
「近衛中隊です。少々よろしいでしょうか」
「ああ。入れ」
「失礼します」
隊員は扉を開けた。
ライを背負ったまま。
仮眠室へ入る。
レオンが顔を上げた。
「……何だ、そいつ」
「ライ書記官です」
「それは見れば分かる」
レオンは背負われているライを見る。
「何で気を失ってる」
「少々、驚かせてしまいまして」
「少々?」
「はい」
隊員は少し言いにくそうにした。
「先ほど、ライ書記官がこちらへ来られました」
「ああ」
「ミズーリ・バス中隊長宛ての正式な通達文を持っておられまして」
「イリスが渡させたやつか」
「おそらく、それかと」
隊員は頷いた。
「ライ書記官から、中隊長へ直接渡すよう命じられていると聞きました」
「ああ」
「それで私は、中隊長は庁舎内を巡回していると思い込みまして」
「……」
「ライ書記官に、ご自身で中隊長を探していただくようお願いしました」
レオンが少し眉を寄せた。
「思い込み?」
「はい」
隊員は一度頭を下げた。
「ライ書記官を送り出してから、思い出しました」
「何をだ」
「ミズーリ・バス中隊長は、本日非番です」
「……」
「そして」
隊員はさらに言いづらそうに続ける。
「中隊長が不在のため、今夜、正式な通達が来た場合は、私が代理で受領するよう命じられていました」
「……お前が?」
「はい」
「忘れてたのか」
「……申し訳ありません」
隊員は素直に頭を下げた。
「それで?」
「思い出して、すぐにライ書記官を追いかけました」
「ああ」
「呼び止めたのですが」
隊員は背中のライを見る。
「逃げられまして」
「逃げた?」
「はい」
「何でだ」
「おそらく」
隊員は自分の鎧を見る。
「私の姿を、何かと勘違いされたのではないかと」
白い鎧。
夜の暗い廊下。
「……」
レオンも、その鎧を見る。
「白い鎧で追いかけたのか」
「はい」
「この暗い中を?」
「……はい」
「呼びながら?」
「はい」
「それで逃げたから、さらに追いかけた?」
「……はい」
レオンは少し黙った。
「それは驚くだろ」
「申し訳ありません」
「で」
レオンがライを見る。
「どうして気を失った」
「追いついて、肩を掴みました」
「……」
「振り返った瞬間に、そのまま」
「気を失ったのか」
「はい」
「……」
レオンはもう一度。
白い鎧の隊員を見る。
「まあ」
少し考える。
「白い幽霊だ何だと騒いでる時に、暗闇からその格好で追いかけられたら、そうなる奴もいるか」
「面目ありません」
「怪我は?」
「見た限りではありません」
「そうか」
レオンは仮眠室の中を見る。
「とりあえず、寝かせておけ」
「よろしいのですか?」
「そのまま背負ってるわけにもいかないだろ」
「承知しました」
隊員はライを寝台へ運んだ。
ゆっくり寝かせる。
ライは。
まったく目を覚まさなかった。
「起こしますか?」
隊員が聞いた。
レオンはライを見る。
それから。
窓の外を見る。
すでに。
外は暗い。
「起こしてどうする」
「と、言いますと?」
「今から一人で帰らせるのか?」
「……」
隊員も少し考えた。
この時間。
庁舎の廊下は暗い。
衛兵も。
守衛もいない。
近衛中隊の隊員たちも。
それぞれ警護や巡回の任務についている。
「……難しいですね」
「ああ」
レオンは何でもないことのように言った。
「だったら、朝まで寝かせておけばいいだろ」
「よろしいのですか?」
「今さら起こしても仕方ない」
「承知しました」
ライは。
相変わらず目を覚まさない。
だが。
しばらくすると。
乱れていた呼吸も。
少しずつ落ち着いていった。
やがて。
静かな寝息へ変わる。
気を失っていたライは。
そのまま。
眠ってしまったらしい。
レオンは少しだけその様子を見る。
「これなら朝まで寝るだろ」
「そうですね」
「それより」
レオンが、ライの持っていた通達文を見る。
「それはどうする」
隊員も通達文を見る。
「私が代理として正式に受領します」
「今度は忘れるなよ」
「……はい」
隊員は少し肩を落とした。
そして。
通達文を正式に受領した。
ミズーリ・バス中隊長が不在であること。
代理として自分が受領したこと。
中隊長には次の勤務時に確実に伝えること。
それらを記した受領確認書も作る。
「これで受領は完了です」
「ああ」
隊員は書面を見る。
少し考え。
最後に。
もう一文を書き加えた。
先ほどは驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。
「……」
レオンがその文を見る。
「何だ、それ」
「ライ書記官への謝罪です」
「そうか」
「目を覚まされた時に、お渡ししようかと」
レオンは寝台を見る。
ライは。
すでに静かな寝息を立てている。
「枕元に置いておけばいいだろ」
「よろしいでしょうか」
「ああ」
「では」
隊員は。
受領確認書を。
ライの枕元へ置いた。
これで。
通達そのものは。
確かに近衛中隊へ渡った。
■翌朝・第一執務室
「見たんです!」
朝から。
第一執務室にライの声が響いていた。
「絶対に見ました!」
周囲の書記官たちが。
ライを囲んでいる。
「何を見たんですか?」
「白い影です!」
ライは真剣だった。
「白い影?」
「はい!」
「最初は足音だけだったんですよ」
ライは昨夜のことを話していた。
「二階から三階へ上がる時も、ずっと後ろから誰かがついてくるような感じがして」
「それで?」
「その時は誰もいなかったんです」
「じゃあ、気のせいだったんじゃ」
「違います!」
ライは強く否定した。
「そのあとです!」
「そのあと?」
「ランタンを借りて、中隊長を探しに行ったら」
ライは少し青い顔になる。
「後ろから足音がして」
「……」
「振り返ったら、白い影がいたんです」
周囲が静かになった。
「それが追いかけてきたんです」
「追いかけて?」
「僕が速く歩いたら、向こうも速くなって」
「それで逃げたんですか?」
「逃げますよ!」
ライは当然のように答える。
「白い影が追いかけてくるんですよ!」
「それで?」
「走って逃げたんですけど」
ライは自分の肩を押さえた。
「最後に」
「最後に?」
「肩を掴まれました」
「えっ」
何人かが声を上げた。
「それから?」
「覚えてません」
「覚えてないんですか?」
「気づいたら朝でした」
「どこで?」
「新副長室です」
「どうしてそこに?」
「分かりません」
ライは首を振った。
「通達文は?」
「それも」
ライは自分の机の上に置かれた一枚の紙を持ち上げる。
「代理で受領したという確認が残っていました」
「じゃあ、仕事は終わったんですか?」
「多分」
ライは受領確認を見る。
先ほどは驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。
そうも書いてある。
「この謝罪も、よく分からないんですけど」
ライは首を傾げた。
「とにかく」
紙を机へ置く。
「僕は見たんです」
「白い影を?」
「はい」
ライは力強く頷いた。
「白い幽霊です」
第一執務室のあちこちで。
ざわめきが起こった。
「やっぱり本当にいるんじゃ……」
「七不思議の話も……」
「白い影って、前にも……」
また。
一つ。
新しい目撃談が増えた。
その少し離れたところで。
レオンは。
黙々と仕事をしていた。
昨夜。
白い鎧を着た近衛隊員が。
気を失ったライを背負ってきたことも。
白い影の正体が。
その近衛隊員だったことも。
全部知っている。
「副長閣下」
ライがレオンを見る。
「何だ」
「僕、本当に幽霊を見たんです」
「そうか」
「……それだけですか?」
「ああ」
「怖くないんですか?」
「仕事中だ」
「……」
ライは黙った。
レオンは。
再び書類へ視線を落とした。
白い影の正体を。
わざわざ説明しようとはしなかった。
別に。
隠そうとしているわけでもない。
ただ。
レオンにとっては。
どうでもいいことだった。




