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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章幕間16 ランタン

――帝国暦三二二年・春中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――


■総騎士団副長府庁舎・三階・仮眠室前


 三階へ出る。


 廊下の一角だけが、ぼんやりと明るい。


 二階にもあったものと同じ。


 壁から突き出した鉄製の燭台受け。


 だが。


 こちらには。


 ちゃんと太いろうそくが差し込まれていた。


 一つ。


 その先にも。


 もう一つ。


 長時間灯しておくための、大きな獣脂ろうそく。


 揺れる火が。


 暗かった廊下を淡く照らしている。


 近づくと。


 わずかに獣脂特有の匂いもした。


「……こっちは点いてる」


 ライは少しだけ恨めしそうに、ろうそくを見る。


 二階にも燭台受けはあった。


 こちらには火がある。


 なら。


 二階にも点けておいてほしかった。


 心からそう思った。


 そして。


 その灯りの中。


 仮眠室の扉の両側に。


 二人の男が立っていた。


 白い鎧。


 近衛中隊の隊員だった。


 完全武装で。


 一人ずつ。


 扉の左右に立っている。


「……」


 ライは、その光景を見る。


 第一執務室を出た時には。


 レオンはまだ二階にいた。


 今もそこにいるかは分からない。


 だが。


 少なくとも。


 この仮眠室の中にはいない。


 それでも。


 二人は何事もないように、真面目な顔で扉の左右を警護していた。


 少しだけ。


 妙な光景に見えた。


 だが。


 今は。


 そんなことはどうでもいい。


 人がいる。


 灯りもある。


 それだけで十分だった。


「……よかった」


 思わず声が漏れる。


 二人の隊員がライを見る。


「どうされました?」


「第一執務室のライです」


 ライは急いで近づいた。


 手にしていた通達文を見せる。


「ミズーリ・バス中隊長へ、これを渡すように言われています」


 二人は通達文を見る。


「イリス首席書記官殿からですか?」


「はい。イリス殿下からです」


 ライは通達文を差し出した。


「なので、これを中隊長へ渡しておいてもらえますか?」


 一人の隊員が手を伸ばしかけた。


 だが。


 止まった。


「申し訳ありません」


「はい?」


「それはできません」


「……できない?」


「はい」


「どうしてですか?」


「中隊長本人宛ての正式な通達文ですよね」


「そうですけど」


「でしたら、中隊長本人へお渡しください」


「……」


 ライは通達文を見る。


 そして。


 もう一度、隊員へ差し出した。


「これを本人に渡してもらえば、それでいいと思うんですけど」


「申し訳ありません」


「僕から渡したということで」


「駄目です」


 即答だった。


「……」


 また。


 形式。


 ライの頭の中に、イリスの顔が浮かんだ。


 正式な通達です。


 本人へ直接。


 形式を守ってください。


「……分かりました」


 ライは諦めて通達文を引っ込めた。


「では、中隊長はどこですか?」


 二人が互いを見る。


「今なら、巡回に出ていると思います」


「巡回?」


「はい」


「この三階をですか?」


「いえ。庁舎内です」


「……庁舎内?」


「はい」


「どこにいるんですか?」


「正確な位置までは分かりません」


「……」


 ライは。


 暗闇に覆われた廊下をみた。


 ライの顔から。


 ようやく戻ってきた安心が。


 少しずつ消えていった。


「この三階だけではないんですよね?」


「はい」


「二階にも行く?」


「行きます」


「一階も?」


「はい。一階から三階まで、すべて巡回順路に入っています」


「……」


 ライは黙った。


 この広い庁舎の。


 どこか。


 そこにいる人間を探せ。


 そういうことらしい。


「……あの」


「はい」


「お一人、ついてきてもらえませんか?」


 二人の隊員がライを見る。


「なぜですか?」


「なぜって……」


 ライは後ろを見る。


 暗い廊下。


 さっき。


 何かが後ろからついてきているような気がした場所。


「その……」


 少し言いにくい。


 だが。


 ここは正直に言った方がいい。


「夜のこういう場所、あまり得意じゃないんです」


「……」


 二人が少し不思議そうな顔をした。


「申し訳ありません」


 一人が答える。


「我々は現在、警護任務中です」


「ですよね……」


 ライは。


 仮眠室前を見る。


 ここは明るい。


 人もいる。


 ここにいる限りは。


 少なくとも怖くない。


「……じゃあ」


「はい?」


「中隊長が戻ってくるまで、ここで待っていたら駄目ですか?」


「ここで、ですか?」


「はい」


「巡回しているなら、そのうち戻ってきますよね?」


「戻ってこられる時もあります」


「じゃあ――」


「ですが、戻ってこられない時もあります」


「……え?」


「我々との交代のために、こちらへ戻ってこられることもあります」


「はい」


「ですが、そのまま巡回を続けたり、別の場所へ向かわれたりして、こちらへ戻らないまま勤務を終えられることもあります」


「…………」


 ライは止まった。


「じゃあ、いつ戻ってくるか分からないんですか?」


「分かりません」


「今日ここへ戻ってくるかどうかも?」


「はい」


「…………」


「場合によっては、朝までお待ちいただくことになるかもしれません」


「朝まで?」


「はい」


「…………」


 朝まで。


 ここで。


 待つ。


 しかも。


 そこまで待てば必ず会える。


 というわけでもない。


「……それは無理です」


「そうですか」


「無理です」


 ライは即答した。


 朝までここにいる気など。


 まったくない。


「……じゃあ」


「はい?」


「第一執務室で待ってます」


「第一執務室ですか?」


「はい」


「副長閣下もいますし」


 そこなら。


 明るい。


 仕事もできる。


 何より。


 一人ではない。


 だが。


 隊員は少し考えてから。


「多分、もういらっしゃらないと思いますよ」


「え?」


 ライが顔を上げた。


「何でですか?」


「副長閣下は、八時を過ぎると統合管理室へ移られていることがありますので」


「統合管理室?」


「はい」


「まだ仕事するんですか?」


「されますね」


「…………」


 ライは黙った。


 午後五時を過ぎ。


 八時まで。


 第一執務室で。


 ずっと仕事をしていた。


 それなのに。


 今度は。


 統合管理室。


「……あの人、本当に仕事が好きなんじゃないですか」


「何か?」


「何でもありません」


 ライは小さく息を吐いた。


「じゃあ、今は統合管理室にいるんですか?」


「その可能性はあります」


「その後は?」


「分かりません」


「…………」


「我々も、副長閣下が庁舎内のどこにいらっしゃるか、常に把握しているわけではありませんので」


「じゃあ」


 ライは。


 仮眠室の扉を見る。


「ここには戻ってくるんですよね?」


「はい」


「いつですか?」


「お休みになる時には」


「…………」


 寝る時。


 それまでは。


 どこにいるか分からない。


 ライは。


 仮眠室の扉を見る。


 今。


 中には誰もいない。


 その前を。


 二人の近衛隊員が。


 真面目に警護している。


 やっぱり。


 誰もいないじゃないですか。


 喉まで出かかった。


 だが。


 言わなかった。


 それに。


 もう一つ。


 どうしても気になる。


 そもそも。


 何で。


 近衛中隊が。


 庁舎の夜間巡回までしているのだろう。


 そして。


 なぜ。


 誰もいない仮眠室を。


 二人でずっと警護しているのか。


「…………」


 聞きたい。


 ものすごく聞きたい。


 だが。


 やめた。


 今。


 この暗い庁舎で。


 頼れそうなのは。


 この人たちくらいしかいない。


 そんな相手に。


 何で近衛中隊が巡回してるんですか。


 何で誰もいない仮眠室を二人で守ってるんですか。


 などと聞いて。


 機嫌を損ねたら困る。


 ライは口を閉じた。


 ここで待つ。


 駄目。


 第一執務室へ戻る。


 それも駄目。


「…………」


 結局。


 中隊長を探しに行くしかない。


「……分かりました」


 ライは肩を落とした。


「探してきます」


「その方がよろしいかと」


「…………」


 仕方がない。


 本当に。


 それしかないらしい。


 すると。


 隊員が何気なく言った。


「お帰りの際も、足元にはお気をつけください」


「……帰り?」


「はい」


 ライは止まった。


 帰り。


 そうだった。


 中隊長を探す。


 見つける。


 通達文を渡す。


 それで。


 全部終わるわけではない。


 そのあと。


 自分は。


 帰らなければならない。


「……帰る時も、真っ暗なんですよね?」


「そうですね」


「二階も?」


「はい」


「一階も?」


「基本的には」


「…………」


 ライは。


 さらに嫌なことに気づいた。


「門の辺りは?」


「門ですか?」


「はい」


「さすがに、そこには誰かいますよね?」


「いません」


「……いない?」


「はい」


「衛兵は?」


「現在はいません」


「守衛は?」


「いません」


「…………」


 ライは隊員を見る。


「夜だからですか?」


「いえ」


「え?」


「昼夜に関係なく、現在は配置されていません」


「…………」


「以前の衛兵隊は、副長閣下が解散されましたので」


「…………」


 ライは。


 ゆっくり。


 二階の方を見る。


 その副長閣下は。


 ついさっきまで。


 第一執務室で。


 普通に仕事をしていた。


「……やっぱり、あの人のせいなんじゃないですか」


「何か?」


「何でもありません……」


 中隊長を探す。


 それだけでも嫌なのに。


 見つけたあと。


 帰る時も。


 真っ暗な庁舎を歩かなければならない。


「あなた方は?」


「我々ですか?」


「帰る時、どうするんです?」


「我々の勤務が終わるのは朝ですので」


「朝?」


「はい」


「……明るくなってから?」


「そうですね」


「…………」


 ずるい。


 ライは本気でそう思った。


 この人たちは。


 明るくなってから帰る。


 自分だけ。


 夜。


 真っ暗な庁舎を。


 一人で帰る。


「……あの」


「はい」


「僕が帰る時」


 ライは。


 最後の希望を込めて聞いた。


「誰か、門までついてきてもらうことは……」


「申し訳ありません」


 即答だった。


「職務中ですので」


「…………」


「……そうですよね」


 行きも怖い。


 帰りも怖い。


 それなのに。


 一人。


「…………」


 ライは。


 暗い廊下を見る。


 二階から三階までなら。


 まだよかった。


 距離も短かった。


 階段を一つ上がれば。


 すぐに人も。


 灯りもあった。


 だが。


 今度は違う。


 どこにいるか分からない中隊長を探して。


 庁舎の中を。


 歩き回らなければならない。


 そのうえ。


 帰りも。


 暗い。


 ろうそく一本だけでは。


 あまりにも心もとなかった。


 火が剥き出しなら。


 廊下に風でも入って。


 途中で消えてしまうかもしれない。


 その瞬間。


 真っ暗になる。


「……それが一番嫌だ」


「何か?」


「何でもありません」


 せめて。


 もっと明るく。


 火もしっかりしたものが欲しい。


「松明だけでも貸してもらえませんか?」


「松明ですか?」


「はい」


「ろうそく一本だと、途中で消えそうで怖いんです」


「……なるほど」


「松明なら、もっと明るいですし。火も大きいですよね」


 だが。


 一人の隊員が首を横に振った。


「屋内ですので、松明は危険です」


「……駄目ですか?」


「はい。火が大きすぎます。書類や木材も多い庁舎ですから」


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


「ランタンがあります」


「ランタン?」


「はい。ろうそくを入れて使うものです。予備がありますので、お貸しできます」


「それ、貸してください」


 ライは即答した。


 一人の隊員が、警護用に置かれていた予備のランタンを持ってくる。


 中にはろうそくが収められていた。


 壁の獣脂ろうそくから火を移す。


 小さな炎が。


 ランタンの内側で揺れた。


「これなら、火が直接風に当たりにくくなっています」


「……消えにくいんですか?」


「普通に歩く程度でしたら、簡単には消えません」


「……」


 ライは。


 ランタンを見る。


 中には。


 ちゃんと火がある。


 しかも。


 剥き出しではない。


 これなら。


 廊下を歩いている途中で。


 少しくらい風が入っても。


 いきなり真っ暗になる可能性は低い。


「……これなら、まだ安心ですね」


「はい」


「ありがとうございます!」


 今夜。


 一番心から出た礼だった。


 ライはランタンをしっかり握った。


 火がある。


 しかも。


 簡単には消えない。


 それだけで。


 さっきまでより、だいぶ心強かった。


「じゃあ」


「はい?」


「これ、帰る時も借りていっていいですよね?」


「申し訳ありません」


「……え?」


「ランタンは警護用の備品ですので、お帰りになる前にお返しください」


「…………」


 ライは。


 ランタンを少し強く握った。


「明日返します」


「それは困ります」


「ちゃんと返しますから」


「庁舎の備品ですので、外へ持ち出すことはできません」


「…………」


「中のろうそくだけでしたら、差し上げても構いませんが」


「ろうそくだけ?」


「はい」


「…………」


 ライはランタンを見る。


 今。


 安心できている理由は。


 ろうそくの火が。


 ランタンの中に守られているからだ。


 ろうそくだけ。


 剥き出しの火。


 それを持って。


 この暗い廊下を歩く。


「……それ、全然安心できないんですけど」


「そうですか?」


「そうですよ……」


 結局。


 帰る時には。


 これも返さなければならない。


「……帰ること、考えたくなくなってきた」


「何か?」


「何でもありません……」


 ライは。


 ランタンを握ったまま。


 仮眠室前の壁を見る。


 そこには。


 太い獣脂ろうそくが灯っている。


 だが。


 二階には。


 同じ燭台受けがいくつもあったのに。


 一つも灯っていなかった。


「そういえば」


「はい?」


「何で、二階のろうそくは点けてないんですか?」


「二階ですか?」


「はい」


「燭台受けは、あちこちにありましたよね?」


「あります」


「だったら、ろうそくを差して点けておけばいいじゃないですか」


 隊員は少し困ったような顔をした。


「そこまで手が回らないんです」


「……手が回らない?」


「はい」


「どういうことですか?」


「現在、この庁舎内で夜間警護の配置についている近衛中隊員は四人だけです」


「四人?」


「はい」


 隊員は。


 自分と。


 扉の反対側に立っている、もう一人の隊員を見る。


「我々二人が、この三階にいます」


「……はい」


「残りの二人が、一階から三階までを巡回しています」


「…………」


 ライは少し黙った。


「四人だけ?」


「はい」


「この建物全部を?」


「そうなります」


「…………」


 ライは。


 改めて周囲を見る。


 総騎士団副長府庁舎は広い。


 一階。


 二階。


 三階。


 それだけではない。


 まだ使われていない未完成部分まである。


「この建物、かなり広いですよね」


「広いですね」


「総長府よりも?」


「未完成部分まで合わせれば、総長府庁舎の三倍近くあります」


「…………」


 ライは。


 思わず周囲を見る。


 三倍。


 改めて聞くと。


 途方もなく広く感じる。


「それを四人で?」


「はい」


「……大変ですね」


「最近は、妙な噂もありますからね」


「……え?」


 ライが止まった。


「妙な噂?」


「はい」


 隊員は。


 何でもないことのように答えた。


「白い影に襲われた、と言う者がいたり」


「…………」


「誰もいないはずの部屋から、物音が聞こえたとか」


「…………」


 ライは。


 完全に黙った。


「そういう話が、最近出ていまして」


「……近衛中隊の人たちも知ってるんですか?」


「もちろんです」


「…………」


「我々としても、少し困っています」


「困ってるんですか?」


「はい」


「…………」


 ライは。


 ゆっくり。


 暗い廊下を見る。


 さっき。


 二階から三階へ上がってくる途中。


 何か。


 自分の後ろをついてきているような音がした。


「…………」


 聞かなければよかった。


 本気でそう思った。


 広い。


 暗い。


 人が少ない。


 そのうえ。


 白い影に襲われた。


 誰もいない部屋から物音がする。


「……余計なこと聞いた」


「何か?」


「何でもありません……」


 さっきより。


 確実に。


 怖くなった。


「ですので、四人ではなかなかすべてに手が回りません」


「……でしょうね」


 ライにも。


 それは分かった。


 これほど広い建物で。


 廊下のろうそくまで一本ずつ管理する余裕はない。


「それに」


 隊員が続けた。


「誰もいない場所へ、火だけを灯したままにしておくわけにもいきません」


「火事ですか?」


「はい」


「……」


「警護の者がいる場所でしたら、何かあってもすぐ対応できます」


 隊員は。


 仮眠室前の燭台を示した。


「ここは我々がいますので、夜間も灯しておけます」


「じゃあ、二階は?」


「巡回時以外は、基本的に誰もいません」


「一階も?」


「同じです」


「…………」


 ライは黙った。


 なるほど。


 理由は分かった。


 分かったのだが。


 何一つ。


 安心できる話ではなかった。


「…………」


 ライは。


 ランタンを見る。


 これから。


 この広い庁舎を。


 歩かなければならない。


 しかも。


 今聞いたばかりの話を。


 思い出しながら。


「本当に、一人だけでも駄目ですか?」


「申し訳ありません」


「少しだけでも」


「任務中ですので」


「……ですよね」


 やはり駄目だった。


 ライは。


 もう一度。


 暗い廊下を見る。


 片手にランタン。


 もう片方に通達文。


「……何でこんなことになってるんだ」


 誰に言うでもなく。


 小さく呟く。


 そして。


 明るい仮眠室前から。


 再び。


 暗い廊下へ。


 一歩を踏み出した。

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