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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章幕間14 静かすぎる第一執務室

――帝国暦三二二年・春中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――


 ■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 午後五時。


 第一執務室から、一人、また一人と人がいなくなっていった。


「お先に失礼します」


「お疲れ様でした」


「では、また明日」


 そんな声が続き。


 やがて。


 最後の書記官が扉を閉めた。


 静かになった。


「……」


 ライは、自分の机に座ったまま周囲を見る。


 少し前まで。


 あれほど騒がしかった第一執務室が。


 驚くほど静かだった。


 書類をめくる音。


 話し声。


 椅子を引く音。


 誰かが歩く足音。


 そうした音が。


 一気になくなった。


 聞こえるのは。


 紙をめくる音。


 ペンを走らせる音。


 それだけだった。


 その音を出しているのは。


 レオンだった。


 少し離れた机で。


 いつもと何も変わらない様子で、黙々と仕事をしている。


「……静かだな」


 ライは小さく呟いた。


 まだ。


 この時は、それだけだった。


 静かだ。


 少し落ち着かない。


 今はその程度だった。


 窓の外にも、まだ明るさが残っている。


 レオンもいる。


 仕事をしていれば、そのうち八時になる。


 大丈夫、そう思っていた。


 ライは室内の時計を見る。


 まだ五時を少し過ぎたところだった。


 夜八時まで。


 あと三時間近くある。


「長いな……」


 机の上に置かれた通達文を見る。


 全部。


 これのせいだった。


 いや。


 正確には。


 イリスのせいだった。


 夜八時まで残ってください。


 最初はお願いだった。


 だから断った。


 すると、命令です。


 最後はそれだった。


「理不尽だ……」


 女性書記官を夜まで一人で残すのは危ない。


 それは分かる。


 分かるが。


 だからといって。


 自分なら大丈夫という理屈は、やはり納得できない。


 仮にも親衛隊員ですよね。


 あの一言まで使われた。


 親衛隊員と幽霊に何の関係があるのか。


「……絶対おかしい」


 レオンは反応しない。


 仕事を続けている。


 ライは少しだけ顔を上げた。


 そして。


 もう一人。


 文句を言わなければならない相手を思い出した。


 コウだ。


「あいつもだ……」


 ライは眉を寄せる。


 体調が悪い。


 そう言って帰った。


 だが。


 最近のコウは。


 何かあると、すぐに体調が悪いと言う。


 そして。


 いなくなる。


 そのあと。


 なぜか面倒なことはライのところへ来る。


 今回もそうだった。


 ちょうどイリスが夜まで残る人間を探し始めたところで。


 体調が悪いので早退します。


 あまりにもタイミングがよすぎる。


「絶対、逃げたよな……」


 今回は間違いない。


 絶対に逃げた。


 朝から調子が悪かったと言っていたが。


 本当だろうか。


 少なくとも。


 ライには何も言っていなかった。


 親友だと思っているのに。


 こういう時だけ。


 何も言わずに逃げる。


「明日、一言言ってやる」


 絶対に言う。


 文句の一つも言わないと気が済まない。


 そう思っていると。


 なぜか。


 今度はクリスにも腹が立ってきた。


「……クリスさんもですよ」


 普段なら。


 特に用があるわけでもないのに、第一執務室へふらっと顔を出す。


 そして。


 ライを見つければ。


 何かしら言ってくる。


 いじってくる。


 そういう時に限って何度も来る。


 なのに。


「何で今日はいないんですか……」


 今日こそ。


 いてほしかった。


 いつもみたいに。


 何をしてるんだ。


 怖がってるのか。


 そんなことを言いながら。


 自分をいじりに来ればいいのに。


「こういう時だけ来ないんですよね……」


 もちろん。


 クリスには何の責任もない。


 それでも。


 今のライには。


 少しくらい文句を言いたかった。


 そんなことを考えながら。


 ライは仕事へ戻った。


 紙を一枚めくる。


 その音が。


 思ったより大きく聞こえた。


「……」


 ライは周囲を見る。


 何もない。


 当たり前だった。


 まだ外も明るい。


 怖がるような時間ではない。


 ライは再び仕事へ戻った。



 しばらくして。


 第一執務室は。


 さらに静かになったような気がした。


「……」


 ライは一度、顔を上げた。


 静かだった。


 何も起きていない。


 何も聞こえない。


 いや。


 聞こえる。


 カサ。カサ。


 レオンが書類をめくる音。


 サラサラ。


 ペン先が紙を擦る音。


 ぎ。


 どこかの椅子が、ほんの少し軋んだ。


「……」


 ライは、その椅子を見る。


 誰も座っていない。


 当然だ。


 別に何でもない。


 人が帰る時に少し動いた椅子が戻っただけかもしれない。


 それだけだ。


 だが。


 静かだから。


 一つ一つの音が。


 妙に大きく聞こえる。


 第一執務室は広かった。


 昼間なら。


 まったく気にならない。


 人がいるからだ。


 今は。


 使われていない机ばかりが並んでいる。


 誰も座っていない椅子。


 誰もいない机。


「……」


 ライはレオンを見る。


 仕事をしている。


 何も気にしていない。


 さっきから。


 ずっと同じ姿勢で仕事をしている。


 それが。


 今は少しありがたかった。


 少なくとも。


 一人ではない。


 ライは仕事を続けた。


 だが。


 しばらくして。


 立ち上がった。


 書類を何枚か持つ。


 そして。


 少し離れた別の机へ移動する。


 先ほどより。


 少しだけレオンに近い。


 座る。


 何事もなかったように仕事を始める。


 レオンは何も言わない。


「……」


 しばらくして。


 ライは、また立ち上がった。


 書類を持って。


 もう一つ。


 レオンに近い机へ移る。


 座る。


 仕事をする。


 レオンは。


 やはり何も言わなかった。


 ライは少し不満だった。


 これだけ移動している。


 普通なら。


 何をしているんだ。


 くらい聞いてもよさそうなものだった。


 だが。


 まったく反応がない。


「……副長閣下」


 ライは試しに呼んだ。


「……」


 返事がない。


「副長閣下?」


「……」


 やはり返事がない。


 ライはレオンを見る。


 聞こえていない。


 仕事に集中している。


 ずっと。


 仕事をしている。


「……この人、いつもこうなのか?」


 ライには不思議だった。


 普段。


 レオンは何度も言っている。


 仕事が嫌いだ。


 辞めたい。


 仕事を増やすな。


 休みたい。


 それなのに。


 誰もいなくなっても。


 声をかけられても気づかないほど。


 仕事に集中している。


「……本当は仕事が好きなんじゃないのか」


 ライには。


 そうとしか思えなかった。


 嫌いな人間が。


 ここまで夢中になって仕事をするものなのだろうか。


 だが。


 仕事の邪魔をするわけにもいかない。


 ライは仕方なく。


 自分の仕事へ戻った。


 さらに時間が過ぎた。


 ライは。


 ふと。


 窓の外を見る。


「……暗くなってきたな」


 いつの間にか。


 外に残っていた明るさも。


 かなり薄くなっていた。


 第一執務室の中も。


 少しずつ暗くなっている。


 レオンが。


 ようやく仕事の手を止めた。


 机のそばに置かれていた燭台へ。


 一本のろうそくを立てる。


 火を灯した。


 小さな炎が。


 レオンの机と。


 その周囲を淡く照らした。


 それから。


 レオンは。


 もう一本のろうそくを手に取った。


「ライ」


「はい?」


「これ」


 一本。


 差し出される。


「……ありがとうございます」


 ライは受け取った。


 近くの柱に取り付けられている。


 鉄製の燭台受けへ。


 ろうそくを差し込む。


 レオンのろうそくから。


 火を移した。


 小さな炎が。


 もう一つ。


 第一執務室の中に増えた。


 レオンの机に一つ。


 ライの近くに一つ。


 それだけだった。


 第一執務室の柱や壁には。


 ほかにも。


 ろうそくを差すための鉄製の燭台受けが取り付けられている。


 だが。


 そこには。


 ろうそくは灯されていない。


 そして。


 扉の向こう。


 すでに誰もいない廊下にも。


 灯りはなかった。


「……」


 ライは。


 目の前に増えた火を見る。


 さっきまでより。


 少しだけ安心した。


 さらに時間が過ぎた。


 窓の外は。


 もうかなり暗くなっていた。


 ライは時計を見る。


「……まだか」


 八時にはならない。


 時間が。


 妙に遅く感じる。


 第一執務室は。


 先ほどより、さらに静かだった。


 ライは何度か廊下の方を見る。


 扉は閉まっている。


 何も聞こえない。


 当然だ。


 みんな帰ったのだから。


 それでも。


 何となく気になる。


 白い幽霊。


 七不思議。


 昼間なら馬鹿馬鹿しい。


 そう思える。


 だが。


 暗くなって。


 人がいなくなって。


 こんなに静かになると。


 思い出したくなくても。


 勝手に思い出す。


「……出ない」


 ライは小さく言った。


「出るとは限らない」


 イリスもそう言っていた。


 幽霊が出るとは限らない。


「……」


 ライは止まった。


 出るとは限らない。


 ということは。


 出るかもしれない。


「……あの人、言い方おかしいだろ」


 思い出したら。


 余計に怖くなった。


 ライはレオンを見る。


 相変わらず。


 仕事。


 仕事。


 仕事。


 少しくらい。


 自分に話してくれればいいのに。


 ライは本気でそう思った。


 何でもいい。


 仕事の話でもいい。


 天気の話でもいい。


 声が聞こえていれば。


 少しはましな気がした。


「副長閣下」


 今度は少し大きめに呼んだ。


「……ああ」


 返事があった。


 ライは。


 思った以上に安心した。


「何か、お飲み物でもお持ちしましょうか?」


「ああ」


「……」


 それだけだった。


 ライは少し待った。


 続きはない。


「何か飲まれますか?」


「ああ」


「……」


 何が。


 ああ。


 なのか分からない。


 だが。


 返事があった。


 それだけで。


 少しだけ安心した。


「では、持ってきます」


「ああ」


 ライは立ち上がった。


 第一執務室の扉へ向かう。


 扉を開けた。


 そして。


 止まった。


「……」


 暗い。


 廊下が。


 思っていたより暗かった。


 背後の第一執務室には。


 二本のろうそくが灯っている。


 だが。


 廊下には。


 誰もいない。


 だから。


 灯りもない。


 昼間。


 何度も歩いている廊下だ。


 隣の部屋まで。


 ほんの少し。


 怖いことなど何もない。


 はずだった。


 だが。


 人がいない。


 話し声もない。


 足音もない。


 先の方まで続く廊下が。


 昼間より。


 ずっと長く見えた。


「……」


 ライは、一度扉を閉めかけた。


 止まる。


「いや」


 お茶を持ってくると言った。


 ここで戻る方がおかしい。


 隣の部屋は。


 すぐそこ。


「大丈夫だ」


 一歩。


 廊下へ出る。


 後ろを見る。


 第一執務室の明かり。


 レオンがいる。


 まだ見える。


 ライは。


 いつもより少し早足で隣の部屋へ向かった。


 扉を開ける。


 中も暗い。


「……」


 一瞬。


 足が止まる。


 だが。


 すぐにお茶の用意を始めた。


 早く戻ろう。


 そう思っていた。


 何も出ない。


 何も聞こえない。


 大丈夫。


 大丈夫。


 そう思いながら。


 何度か後ろを見る。


 もちろん。


 誰もいない。


 急いでお茶を用意する。


 すぐ戻る。


 第一執務室へ入る。


 急いで扉を閉めた。


「……ふう」


 思わず息が出た。


 戻ってきただけで。


 安心した。


 レオンは。


 相変わらず仕事をしている。


 その姿を見て。


 さらに安心する。


「副長閣下、お茶です」


「ああ」


 ライは机へ置いた。


 そのまま。


 少しだけそこに立っていた。


 元いた机へ戻りたくなかった。


 最初に使っていた机は。

 

 レオンから少し離れている。


 だから。


 何とか会話を続けようとする。


「ずいぶん静かになりましたね」


「ああ」


「昼間とは全然違いますね」


「ああ」


「副長閣下は、いつもこの時間まで仕事をされているんですか?」


「ああ」


「毎日ですか?」


「ああ」


「……」


 全部。


 ああ。


 だった。


 ライは少し呆れた。


 だが。


 今は。


 返事が返ってくるだけでもありがたかった。


「副長閣下って、本当に仕事に集中すると何も聞こえなくなるんですね」


「ああ」


「今のも聞いてないですよね?」


「ああ」


「……やっぱり」


 ライは小さく息を吐いた。


 この人。


 本当に仕事が好きなのではないだろうか。


 ライには。


 やはりそうとしか思えなかった。


 これで。


 仕事が嫌いだ。


 仕方なくやっている。


 などと。


 よく言えるものだ。


 ライは仕事の邪魔をしない程度に。


 そのままレオンの近くの机へ移った。


 もう。


 元の席へ戻る気にはならなかった。


 それから。


 時間はゆっくり過ぎた。


 レオンは仕事。


 ライも仕事。


 紙をめくる音。


 ペンを走らせる音。


 時折。


 レオンがお茶を飲む音。


 それだけ。


 だが。


 ライにとっては。


 その音があるだけで、さっきよりずっとましだった。


 そして。


 しばらくして。


 ライは。


 第一執務室の壁に掛けられた時計を見る。


「……八時」


 針は。


 ようやく夜八時を示していた。


「やっと……」


 長かった。


 本当に。


 長かった。


 近衛中隊の夜勤が入る時間。


 あとは。


 ミズーリ・バス中隊長へ通達文を渡す。


 それだけ。


 渡したら。


 帰れる。


「終わった……」


 まだ終わってはいない。


 だが。


 ライの中では。


 ほとんど終わったような気分だった。


 机の上に置かれた通達文を手に取る。


 立ち上がる。


「副長閣下」


「ああ」


「では、ミズーリ・バス中隊長へ、これを渡してきます」


「ああ」


 やはり。


 ああ。


 だけだった。


 ライはもう何も言わなかった。


 通達文を持って。


 第一執務室の扉を開く。


 そして。


 止まった。


「……」


 さっきとは違う。


 完全に夜だった。


 第一執務室には。


 二本のろうそくだけが灯っている。


 だが。


 扉の向こうには。


 灯りがない。


 窓の外は真っ暗。


 廊下も暗い。


 まるで深い闇が広がっているようだった。


 頼りになるのは。


 窓から入る月明かりくらいだった。


「……え?」


 ライはしばらく動かなかった。


 さっき隣の部屋へ行った時より。


 明らかに暗い。


「副長閣下」


 ライは扉から顔だけ戻した。


「何だ」


「廊下、真っ暗なんですけど」


「ああ」


「ろうそくとか、何か灯りになるものはないんですか?」


 レオンは少しだけ顔を上げた。


「この辺には灯してないぞ」


「それは分かりましたけど……」


 ライは。


 自分の近くで灯っているろうそくを見る。


「じゃあ、これを持っていけば……」


「燭台受けごとは持っていけないぞ」


「分かってますよ」


 壁に固定されている。


 当然だった。


「ろうそくだけ抜いて持っていくとか」


「そのまま持つのか?」


「……」


 ライは黙った。


 ろうそくだけ。


 剥き出しの火。


 溶けた蝋も落ちる。


「……受け皿になるものは?」


「ないな」


「…………」


「ほかに、持っていける燭台とかないんですか?」


「ない」


「……ないんですか?」


「ああ」


「持ち運べる燭台は、俺が使ってるそれだけだ」


 ライは。


 レオンの机を見る。


「それ、借りたら駄目ですよね」


「俺が仕事できなくなるだろ」


「ですよね……」


 即座に諦めた。


「ろうそくは余分があったけどな」


 レオンは何でもないことのように言った。


「普段、この時間まで残るのは俺一人だから、持ち運べる燭台をもう一つ用意してなかった」


「…………」


「僕が残ることになったの、分かってましたよね?」


「ああ」


「…………」


 レオンは少し考えた。


「今度から用意しておく」


「今度?」


「ああ」


「またお前が夜まで残ることがあったらな」


「…………」


 今度。


 また。


 夜まで。


 ここに残る。


 そんな予定は。


 絶対ない。


 というより。


 二度とあってほしくなかった。


「……今度はないと思います」


「何か言ったか?」


「何でもありません」


 結局。


 持っていける灯りは。


 なかった。


 ライは。


 もう一度。


 暗い廊下を見る。


「どうして廊下には点けてないんですか?」


「もう誰もいないんだから、廊下全部にろうそくを灯しておく必要もないだろ」


「僕は必要だと思いますけど……」


 ライは暗い廊下を見る。


 本気でそう思った。


「副長閣下は、いつもこの中をそのまま歩いてるんですか?」


「ああ」


「真っ暗なまま?」


「ああ」


「……本当に?」


「見えるだろ」


「僕にはほとんど見えませんよ」


 レオンは少し考えた。


「ああ。でも」


「はい?」


「三階まで上がれば、すぐ明るくなるぞ」


「三階?」


「ああ」


 レオンは何でもないことのように答える。


「仮眠室の前は近衛中隊が警護してるから、あの辺には夜も灯りがある」


「灯りですか?」


「ああ。壁の鉄製の燭台受けに、大きなろうそくを差してる」


 警護のための明かりだった。


 廊下の壁から突き出した鉄製の燭台受けに、太く長く燃える獣脂ろうそくを差し込んで使っている。


 細い室内用のろうそくとは違い、長時間灯しておくための大きなものだった。


 普段、人のいない廊下すべてに灯しているわけではない。


 夜間も近衛中隊が立つ仮眠室前など、必要な場所だけに火を残していた。


「そこまで行けば明るい」


「新副長室ですよね」


「仮眠室だ」


「今はどっちでもいいです」


 ライは珍しく即座に返した。


 第一執務室は二階。


 階段を一つ上がれば三階だった。


 そこまで行けば。


 近衛中隊がいる。


 人がいる。


 ろうそくの灯りもある。


「二階から三階までなら、すぐだろ」


「まあ……そうですけど」


「階段を上がるだけだ」


「そうなんですけど……」


 ライは、もう一度。


 暗い廊下を見る。


 三階まで行けば。


 明るい。


 それは分かった。


 分かったのだが。


「やっぱり、真っ暗だと危なくないですか?」


「ああ」


 レオンは少し考えた。


「確かに」


「……」


 ライは少し期待した。


 やっと分かってくれた。


 そう思った。


 だが。


「足元は危ないかもしれないな」


「……」


「階段もあるし」


 レオンは真面目な顔で言った。


「転ばないように、気をつけて行け」


「……はい」


 ライは通達文を握りしめた。


 違う。


 そういう危険の話ではない。


「……そっちじゃないんですよ」


「何か言ったか?」


「何でもありません」


 もういい。


 この人には。


 多分。


 永遠に伝わらない。


 ライは暗い廊下へ目を戻した。


 二階から三階まで。


 ほんの一階分。


 階段を上がれば。


 すぐ人がいる。


 灯りもある。


 そう自分に言い聞かせながら。


 ライは通達文を握り直した。


 そして。


 暗い廊下へ。


 一歩を踏みだした。

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