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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章67話 ただいま教育中です

――帝国暦三二二年・春中頃 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


 ■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 帝都から派遣された騎士団長候補の受け入れ式典が終わったあと。


 レオンは第一執務室へ戻っていた。


 机の前にはイリスがいる。


 少し離れたところでは、メリーが書類を確認していた。


「そういえば」


 レオンが書類から顔を上げた。


「ヴィクトル・アルノルト伯爵は、まだ来ていないのか?」


 イリスの手が止まった。


「…………」


「イリス?」


「……はい?」


「今朝、今日こちらへ来る予定だと連絡をもらった伯爵だ」


 レオンは首を傾げた。


「帝都から来る騎士団長候補は三人だっただろう」


「はい」


「式典には二人しかいなかった」


 セドリック・ローゼンフェルト。


 フェリクス・ハーゲン。


 その二人とは、レオンも式典で顔を合わせている。


 だが。


「そういえば、ヴィクトル伯爵を見ていないな」


「…………」


 イリスの表情が、ほんのわずかに固くなった。


 もちろん知っている。


 ヴィクトル・アルノルト伯爵は、すでに騎士団領へ到着している。


 そして現在。


 リリアへ無礼を働いた結果、親衛隊に連れていかれていた。


「ヴィクトル伯爵でしたら、すでに到着しています」


「来てるのか?」


「はい」


「じゃあ、なぜ式典にいなかった?」


 イリスは一瞬だけ間を置いた。


「ただいま、教育中です」


「教育?」


「はい」


 嘘ではない。


 少なくとも、現在はそういう扱いになっている。


「もう教育に入ってるのか?」


「はい」


「いつからだ?」


「到着した当日からです」


 レオンが目を見開いた。


「当日から?」


「はい」


「ずいぶん早いな」


「…………」


 イリスは何も言わなかった。


 だが、レオンは一人で納得したように頷く。


「そんなに仕事熱心な奴なのか」


「…………」


 イリスはすぐには答えなかった。


「イリス?」


「仕事については、真面目な方です」


 嘘ではない。


「剣は?」


「腕は確かです」


 これも嘘ではない。


「そうか」


 レオンの表情が少し明るくなった。


「なんか、俺と合いそうな奴だな」


「…………」


 イリスは黙った。


 メリーが顔を上げる。


「お兄様とですか?」


「ああ」


 レオンは頷いた。


「到着した日から教育に入るくらい仕事熱心なんだろ?」


「そう伺いました」


「だったら、俺と似たような人間なのかもしれない」


 レオンは少し考え。


 すぐに付け加えた。


「ただし、勘違いするなよ」


「何をですか?」


 メリーが尋ねる。


「俺は仕事が好きなわけじゃない」


「誰も、そのようなことは言っていません」


「でも、仕事熱心だとは思ってるだろ」


「はい」


「そこは否定しない」


 レオンは真顔だった。


「仕事が嫌いなのと、やるべき仕事をちゃんとやることは別だ」


「そうですね」


「俺は仕事が好きなんじゃない。やらないと終わらないからやってるだけだ」


「はい」


「そこは大事だからな」


「分かりました」


 メリーは淡々と頷いた。


 レオンは満足したようだった。


「ヴィクトル伯爵も、そういう感じなのか?」


 再びイリスへ視線を向ける。


「俺みたいな奴なのか?」


「…………」


 イリスは答えに困った。


 仕事については真面目である。


 剣の腕も確かだ。


 そこだけを見れば、レオンがそう考えるのも分からなくはない。


 だが。


「仕事については、真面目な方です」


 結局、同じことだけを答えた。


「やっぱりそうか」


 レオンは嬉しそうに頷いた。


「だったら、やはり気が合うかもしれないな」


「…………そうですね」


 イリスの頬が、ほんの少しだけ引きつった。


 レオンの中で、ヴィクトル・アルノルト伯爵の評価が恐ろしい勢いで上がっている。


「今回は、皇太子殿下もまともな人間を送ってくれたみたいだな」


「…………」


「いつも面倒事ばかり押しつけてくると思ってたが」


 イリスの眉が、ほんのわずかに動いた。


「兄にも、何か考えがあったのでしょう」


「そうかもしれないな」


 レオンは頷く。


「それに、総長にも礼を言っておかないと」


「総長に、ですか?」


「ああ」


「三人ともこっちへ回されるんじゃないかと思ってた」


 レオンは机の上の書類を見る。


「三人も騎士団長候補の面倒を見ろなんて言われたら、また仕事が増えるところだった」


「……そうですね」


「でも、総長は一人だけこっちへ回してくれた」


「はい」


「しかも、その一人が一番まともそうじゃないか」


「…………」


 イリスの頬がさらにわずかに引きつった。


「そう……ですね」


「到着した当日から教育に入るくらい真面目で、剣の腕も確か」


 レオンは指を折りながら確認する。


「余計なことをせず、自分から勉強してる」


「…………」


 イリスは何も言わなかった。


「三人の中で一番いい奴を、こっちへ回してくれたんじゃないか?」


「…………そうかもしれませんね」


 どうにか答えた。


「総長も、たまには気が利くな」


 イリスは黙っていた。


「皇太子殿下にも礼を言っておいた方がいいな」


「え?」


「今回はちゃんとした人間を送ってくれたんだろ」


 レオンは少し考える。


「感謝状でも書くか」


「必要ありません」


 イリスは即座に答えた。


 レオンが目を瞬いた。


「そうか?」


「はい。兄には、私から伝えておきます」


「そうか」


 レオンは素直に頷いた。


「気が利くな。さすがイリスだ」


「恐縮です」


 これ以上、ヴィクトル・アルノルト伯爵への高評価が書面として帝都へ残るのは避けたかった。


「総長には、俺から直接言っておく」


「……はい」


 こちらは止められなかった。


「それで、いつ頃教育は終わるんだ?」


「…………」


 今度は、少し長い間が空いた。


「イリス?」


「まだ、分かりません」


「決まってないのか?」


「はい」


 分かるわけがなかった。


 イリスが教育しているわけではない。


 現在、ヴィクトル伯爵が何をされているのかすら、詳しくは知らない。


 親衛隊へ聞けば分かるかもしれない。


 だが。


 正直、あまり聞きに行きたくなかった。


 現在ヴィクトル伯爵が、どのような状態で、どのような教育を受けているのか。


 考えれば考えるほど、確認したいとは思えなくなる。


「早く終われば、すぐ戻ってくるのか?」


「はい。そのはずです」


「そうか」


 レオンはまた納得した。


 そして、本当に何の疑いもなく言った。


「今頃、騎士団領のことや、騎士団長になるための仕事を必死に勉強してるんだろうな」


「…………」


 イリスは返事をしなかった。


「そういえば、メリー」


「はい、お兄様」


「新しい騎士団長候補向けの育成課程は、どうなってる?」


「一応、あります」


 メリーは手元の書類を確認した。


「必要であれば使用できます。訓練内容や騎士団運営について、候補者ごとに調整することも可能です」


「じゃあ、ヴィクトル伯爵にも使えるな」


「使えますけれど」


 メリーは淡々と続けた。


「本人がいないのでは始められません」


「それもそうだな」


 レオンは頷いた。


「じゃあ、今の教育が終わって戻ってきてからだ」


「はい」


「どれだけできる奴なのか、会うのが楽しみだな」


「そうですね」


 メリーは素直に答えた。


 何も知らない。


 当然だった。


 ヴィクトル伯爵が親衛隊に連れていかれていることなど、メリーには伝えられていない。


「お姉様」


「……何でしょう?」


「ヴィクトル伯爵とは、昔からのお知り合いなのですよね?」


「ええ」


「でしたら、今度どんな方なのか聞かせてください」


 イリスの表情が止まった。


「……どんな方、ですか?」


「はい」


 メリーは素直に頷いた。


「お兄様も、会うのを楽しみにしているようですし」


「…………」


「私も少し興味があります」


「そうですか」


「あとで、昔のお話を聞かせてくださいね」


「…………ええ」


 イリスは、それだけ答えた。


 それが一番困る。


 レオンなら、仕事ができるか。


 剣が使えるか。


 余計な仕事を増やさないか。


 そこしか気にしていない。


 だから、まだ答えられる。


 だが。


 ヴィクトル・アルノルト伯爵が、どんな人物だったのか。


 そう聞かれると非常に困る。


 伯爵という身分を鼻にかけるところがある。


 剣の腕があることも、本人はよく分かっている。


 女性関係も派手だった。


 イリスが昔から知っているヴィクトル伯爵について、メリーへ聞かせられるような良い話は、ほとんど思いつかなかった。


 もちろん、そのまま話すわけにもいかない。


 だからといって、毎回都合のいい話を作って聞かせるわけにもいかなかった。


 今日だけなら、まだ何とかなる。


 だが。


 ヴィクトル伯爵が戻ってくるまで、毎日のように聞かれたらどうすればいいのだろう。


 イリスが本気で悩み始めた、その時だった。


 第一執務室の扉が開いた。


「失礼します」


 リリアだった。


「リリア、どうした?」


「お兄様、少しよろしいですか?」


「ああ」


 リリアが室内へ入ってくる。


 すると、メリーが声をかけた。


「リリアさん」


「はい?」


「今、帝都から来られた騎士団長候補の方のお話をしていたんです」


「そうなんですか?」


「ヴィクトル・アルノルト伯爵という方です」


「ヴィクトル……?」


 リリアが首を傾げた。


 当然、知らない。


 その名前と、先日自分の髪へ勝手に触れた男が結びついていなかった。


「お姉様が、昔からご存じなんです」


「そうなんですね」


 リリアがイリスを見る。


「イリス様」


「……はい」


「ヴィクトル伯爵って、どんな方なんですか?」


 イリスは黙った。


「お兄様が、とても仕事熱心な方だとおっしゃっていました」


 メリーが説明する。


「到着したその日から、教育を始められたそうです」


「まあ」


 リリアの表情が明るくなった。


「そんなに真面目な方なんですね」


「…………」


「お兄様とも気が合いそうなんですか?」


「ああ」


 レオンが答えた。


「仕事熱心らしいからな」


「やっぱり、お兄様と似ているんですね」


「だから、俺は仕事が好きなわけじゃない」


「はい。お兄様はいつもそうおっしゃっていますね」


「分かってるならいい」


 リリアは楽しそうに頷いた。


 そして、再びイリスを見る。


「私も、どんな素晴らしい方なのか聞いてみたいです」


「…………」


 イリスは答えられなかった。


 もう会っている。


 目の前にいるリリアは、そのヴィクトル伯爵とすでに会っている。


 しかも。


 現在ヴィクトル伯爵が「教育中」になっている原因となった出来事の中心にいる。


 もちろん、リリア本人には何の責任もない。


 だが、本人は何が起きたのかすら理解していないようだった。


「イリス様?」


 リリアが不思議そうに首を傾げる。


「……また今度、お話しします」


 どうにか、それだけ答えた。


「はい。楽しみにしていますね」


「私も楽しみにしています、お姉様」


 メリーまで続いた。


「…………」


 イリスは静かに目を閉じた。


 しかも。


 その騒動の中心にいた本人まで、何も知らずに昔話を楽しみにしている。


 これからヴィクトル伯爵が戻ってくるまで、毎日こんなことになるのだろうか。


 そう思うと。


 イリスは、この騒動を起こしたヴィクトル・アルノルト伯爵を、少しだけ恨んだ。

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